ふくしまじょう

福島城

長野県木曽郡

別名 : 木曽福島城、向城
旧国名 : 信濃

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本丸と二の丸間の堀切
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)11日目:福島城 (2023/04/28 訪問)

須原城からの転戦です。木曾福島郷土館入口(35.853992、137.701651)から進入し、駐車場に駐車しようとしましたが、木曾福島郷土館は休館中だった為、少し戻って興禅寺の駐車場を借用しました。

戦国時代の天文年間(1532~55年)木曽氏18代の木曽義康により築かれました。木曽氏19代の木曽義昌も居城としました。
平時は、「上の段城」を館とし、この山城を「詰の城」とし、木曽川を挟んで館の向いに築かれたので向城とも呼ばれていました。
武田家の遺領を巡り上杉景勝と徳川家康・北条氏直が争うと(天正壬午の乱)、義昌は家康に通じて盟約を結び、再度安曇・筑摩両郡および木曽谷安堵の約定を得ました。
1584年(天正12年)家康と羽柴秀吉との対立をうけて義昌は盟約を反故にし、次子・義春を人質として秀吉に恭順しました。
このため家康は小笠原貞慶、菅沼定利、保科正直らを木曽福島へ攻め込ませ、妻籠城で戦し義昌が勝利しました。これによって、家康は木曽家を快く思わなくなったと史書は伝えているそうです。
1590年(天正18年)家康の関東移封に伴い、秀吉から徳川附属を命ぜられて下総阿知戸(現在の千葉県旭市網戸)10,000万石(あるいは20,000万石とも)が与えられて木曽谷を退き、城は廃城となりました。  
ちなみに木曾家は1600年(慶長5年)木曽義利の時、叔父義豊を殺したことで改易となりました。


遊歩道入口から片道1.8Kmのハイキングコースです。福島城址分岐点までは緩やかな登り坂が17~18分、そこから本丸までは12~13分くらいだと思います。
堀切、空堀、土橋などが確認できます。
本丸に城址標柱と説明看板が立てられ、祠が祀られていました。
攻城時間は65分くらいでした。レンタカーを松本駅で返却する為、松本駅に向かいます。

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【城と看板】 (2022/04/09 訪問)

 この地方は熊がよく出没するらしく、地元の2人の方に「熊がでますから気を付けてください」と言われました。登城口には薄くなっていましたが「熊出没注意」の看板があります。登っていくと「クマが突然面会に現れることがあります。事前にノックして知らせてあげてください」と書いた案内板とともに金属の棒をならすためのトンカチがありました。もちろん激しく叩いて登城しました。本丸にも同じものがありましたが、こちらは倒れていました。後で考えるとまだ冬眠していた熊さんを起こしてしまったのではないかとも思いました。

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向城 (2022/04/09 訪問)

 木曽義康によって築かれたとされる城址です。城址は整備されて散策しやすくなっています。本丸周辺以外にも くつかの堀切をいい状態で見ることができます。三の丸の東側の急坂を降りて行くと、いい堀切がありました。本丸北東部を降りて行くとやはり堀切を見ることができます。城址は比較的コンパクトですが、一部を除き散策しやすい城址でした。
いくつか登城路はありますが、城山林道を経由して登城しました。道は整備され道幅も広く急坂も少なく歩きやすかった。帰りは山村稲荷神社を経由して山村代官所へ降りて行きましたが、急な細い崖っぷちの道でした。今回は行きませんでしたが、権現滝方面からのルートもあります。

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todo94

木曽デビュー (2021/05/03 訪問)

県境を越えないゴールデンウイーク、直近1週間の感染者数が0の木曽圏域をターゲットにしてみました。県歌「信濃の国」に謳われてる木曽の桟と寝覚ノ床、それに赤沢森林鉄道で木曽デビューを果たした後、木曽福島の山村代官屋敷に立ち寄ってから、木曽福島城を攻城しました。木曽の城初攻城です。堀切や郭など、それなりに見応えがあって満足できました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 木曽義康
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 木曽氏
廃城年 慶長3年(1598)
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 町史跡(福島城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 長野県木曽郡木曽町福島
問い合わせ先 木曽町役場
問い合わせ先電話番号 0264-22-3000