須原城からの転戦です。木曾福島郷土館入口(35.853992、137.701651)から進入し、駐車場に駐車しようとしましたが、木曾福島郷土館は休館中だった為、少し戻って興禅寺の駐車場を借用しました。
戦国時代の天文年間(1532~55年)木曽氏18代の木曽義康により築かれました。木曽氏19代の木曽義昌も居城としました。
平時は、「上の段城」を館とし、この山城を「詰の城」とし、木曽川を挟んで館の向いに築かれたので向城とも呼ばれていました。
武田家の遺領を巡り上杉景勝と徳川家康・北条氏直が争うと(天正壬午の乱)、義昌は家康に通じて盟約を結び、再度安曇・筑摩両郡および木曽谷安堵の約定を得ました。
1584年(天正12年)家康と羽柴秀吉との対立をうけて義昌は盟約を反故にし、次子・義春を人質として秀吉に恭順しました。
このため家康は小笠原貞慶、菅沼定利、保科正直らを木曽福島へ攻め込ませ、妻籠城で戦し義昌が勝利しました。これによって、家康は木曽家を快く思わなくなったと史書は伝えているそうです。
1590年(天正18年)家康の関東移封に伴い、秀吉から徳川附属を命ぜられて下総阿知戸(現在の千葉県旭市網戸)10,000万石(あるいは20,000万石とも)が与えられて木曽谷を退き、城は廃城となりました。
ちなみに木曾家は1600年(慶長5年)木曽義利の時、叔父義豊を殺したことで改易となりました。
遊歩道入口から片道1.8Kmのハイキングコースです。福島城址分岐点までは緩やかな登り坂が17~18分、そこから本丸までは12~13分くらいだと思います。
堀切、空堀、土橋などが確認できます。
本丸に城址標柱と説明看板が立てられ、祠が祀られていました。
攻城時間は65分くらいでした。レンタカーを松本駅で返却する為、松本駅に向かいます。
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