藤岡城を終えて北東に約12km程、栃木市小山市未踏の城廻り3城目榎本城へ初登城。
駐車場:無し、榎本城跡石碑前辺りに路駐、他の地点も路駐。
参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
狭い集落の道に路駐し、城びととグーグルマップの史跡マーク地点に石碑と解説板、裏の堀と土塁を撮影、車の往来が有ったのですぐ退散、余湖図コレクションさんの城郭マーク、城郭放浪記さんの城郭マークを車で移動し確認するが現在は水田の中、田植えが終わって早苗の水田風景、景色は最高。
解説板には。
城郭の規模は東西613m、南北396mという複郭で広大、西は永野川、東は巴波川、杣行川が南流する要害の地であった。
小山氏は祇園城の出城として築いたと伝わる、小田原北条氏へ備えるが北条氏に従い、上杉氏に占領され、北条氏に再占領、と上杉氏北条氏の覇権争いに翻弄される。秀吉の小田原征伐後は結城領、その後廃城に成ったが、慶長10年(1605年)10月本多忠純が28000石の城主として復活。しかし本多氏も寛永16年(1639年)断絶し、榎本城はついに廃城と成った。
北西約5km程の大中寺に本多忠純の墓があるそうです。
広大な城域も耕地整理農地整理で水田と成り、法宣寺辺りから北の石碑の有る辺りが城域の北辺のようで土塁と堀が点在残って居る様子。
石碑と解説板が重なり合ってるのは頂けない、読みづらく写真を撮り難い。
+ 続きを読む