国吉城からの転戦です。登城口となる獣除けフェンスは見つけやすいですが電線は通電しているようで少々ビビります。グーグルマップによると登城路の途中に井崎砦があるようですが、表示は見当たりませんでした。主郭からは三方五湖が遠くに小さく見えました。三方五湖は見たことも行ったこともなかったので、かなりうれしい眺望でした。三方に伸びる尾根に郭が設けられており、びーかるさんのおっしゃる通り、なかなかの城だと感じました。
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2024/05/29 07:18
若狭の城めぐり② (2024/05/11 訪問)
国吉城からの転戦です。登城口となる獣除けフェンスは見つけやすいですが電線は通電しているようで少々ビビります。グーグルマップによると登城路の途中に井崎砦があるようですが、表示は見当たりませんでした。主郭からは三方五湖が遠くに小さく見えました。三方五湖は見たことも行ったこともなかったので、かなりうれしい眺望でした。三方に伸びる尾根に郭が設けられており、びーかるさんのおっしゃる通り、なかなかの城だと感じました。
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2022/04/12 00:17
大倉見城 (2022/03/27 訪問)
【大倉見城】
<駐車場他>登城口前<35.518816, 135.895592>に駐車可能
<交通手段>車
<見所>竪堀・堀切・曲輪
<感想>日帰り城びと初投稿いただきますの旅1城目。大倉見城は天文年間(1532~1555年)に熊谷直之によって築城されたとあります。熊谷直之は当初は若狭武田氏に属していましたが国吉城の粟屋勝久と同じくして1570年に織田信長に付きます。大倉見城は1567年越前朝倉勢の攻撃を受けましたが城を落とせず撤退しています。信長従属後は領主の丹羽長秀に付き、本能寺後は羽柴秀次に属しますが秀次事件で切腹連座しています。
城跡へは山頂から南南東方向へ伸びた丘陵上の尾根上を北上して行きます。登山道は整備され軽自動車が通れる程の道幅で非常に登り易いです。城跡は主郭を中心に登ってきた南南東に伸びる段曲輪と北東に伸びる大きな段曲輪からなっています。大きい曲輪には各々腰曲輪が付いています。尾根上の曲輪先には堀切で仕切り、斜面に沿って大竪堀が多くあります。特に主郭から北西方向の曲輪(トイレあります)から伸びる竪堀群はかなり見応えあります。今まで未投稿だったのが不思議、いい城跡です。
<満足度>◆◆◇
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 熊谷直之 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 熊谷氏(武田氏家臣) |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 福井県三方上中郡若狭町井崎 |