清音駅から徒歩40分くらいで、福山登山道ふれあい広場口(34.652848、133.755353)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、延慶年間(1308年〜1311年)前後に庄資房によって築城されたと云われています。
資房は1333年(正慶2・元弘3年)六波羅が攻められた時に死亡し資氏が継いで在城したが、資政の時に猿掛城を築き拠点を移した為、その後は備中守護代の石川氏へと城主が替わっています。
1567年(永禄10年)の明禅寺合戦において石川久智も戦傷がもとで没しました。
1571年(元亀2年)尼子氏が備中に南下備中北部を制圧し勢いを付けて幸山城に攻め寄せた。
このとき、石川久智の子久式は毛利軍に加わって九州へ出陣していたため落城してしまいますが、毛利氏の援軍を得て幸山城を奪還しました。
1582年(天正2年)毛利氏が宇喜多氏と同盟したことによって、三村氏が毛利氏から離反した(備中兵乱)。
城主石川久式は三村元親と義兄弟の関係から三村方となり、幸山城には重臣友野石見守らを入れて守らせ、自身は兵を率いて松山城へ籠城した。
しかし、幸山城は毛利方に降伏、松山城も毛利氏によって攻め落とされ三村元親は切腹、久式も逃亡したが討死、あるいは岡谷城で自刃した。
毛利氏の領国支配のもとで清水宗治が一時居城しますが、備中高松城の役ののちは宇喜多領となり、庭瀬城主となった岡氏の家臣が在番しますが、関ヶ原合戦ののちに廃城となりました。
方向音痴の自分は登り口がわからずウロウロしましたが、登山客のご夫婦?に助けられ登り口発見。
現在は登山道が整備されています。
周囲は切り立った岩山になっており、滑落しないように気をつけて下さい。
福山城とともに攻城すると「幸」「福」セットになるようです。
攻城時間は40分(登り口がわからずウロウロした時間を含む)くらいでした。次の攻城先=備中福山城に徒歩で向かいました。
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