こうざんじょう

幸山城

岡山県総社市

別名 : 高山城、甲山城
旧国名 : 備中

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主郭
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ぴーかる

幸山城 (2026/01/31 訪問)

【幸山城】
<駐車場他>清音ふるさとふれあい広場 数十台分あり
<交通手段>車

<見所>堀切・巨石・眺望
<感想>現地説明板によると幸山城の築城は鎌倉期の後半頃に庄資房に築城されたといわれる。その後応永年間に細川氏の被官で吉備津神社の社務代である石川氏の居城となった。1575年に石川久武の時に毛利氏と松山城主の三村元親との合戦では義兄の三村元親の救援に向かうが利あらずして帰陣して自刃します。その後は毛利氏の領国支配となり廃城します。
 山頂の福山(福山城跡)の中腹に築かれた山城で上記駐車場からの登山道から登っていくと暫くして左手に石垣跡が現れます。また暫く登ると右手に竪堀跡が現れ、左手に石垣と曲輪跡があります。曲輪跡を奥へ進むと巨大な大堀切の上に出ます。主要部の下方部に当たる位置になるようで、堀切の先が袋小路になっています。ここに誘い込むゾーンになっていていい見応えです。登山等に戻り尾根上の堀切から左手に進むと巨石で塞がれた虎口、入ると東曲輪に着きます。主要部は大きく2局構造となっていて、主郭と東曲輪に分かれていて、間に広い堀切があります。主郭と東曲輪はほぼ同じ大きさで、東曲輪には櫓台のような土塁があります。主郭には巨石が多くあります。眺望が抜群でハイキングを楽しむ人達が多くいました。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

やめときゃいいのに (2025/02/23 訪問)

備中松山城、鶴首城と歩き、足はパンパン。
少し早いけど大返し、と思いつつ帰りに寄れる城は無いか、と探してしまう悲しい性。
備中福山城と幸山城は登城路も整備されているとのことなのでちょっと立ち寄って帰ることにしました。

清音ふるさとふれあい広場のグラウンド奥に登城口があります。
その後は案内板があるので迷うことはありません。
が、少し登ったところで脚があまり残っていないことに気づきます。
やめときゃよかった、と思いながも登ってしまいます。
登城路脇には畑の跡と思われる地形もありますが私有地で立入禁止。
ひたすら登ると幸山城への案内板があります。

まずは巨岩がお出迎え、その上が東の曲輪です。
さらに進むと広く深い堀切があり、その先が西の曲輪です。
幸山城は東西2つの曲輪から成っています。

戦国時代は吉備津神社の社務代だった石川氏が居城としましたが、石川久智が明禅寺合戦で戦死。
その子、久式も毛利氏と三村氏の戦いの中で自刃しました。
その後は毛利氏のものとなります。
最後の城主は清水宗治でした。

もちろんここまで来たら福山城を目指さないわけには行きません。
とりあえずさらに登ります。

【見どころ】
 ・東の曲輪下の巨岩
 ・西の曲輪からの眺望

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備中兵乱 (2024/05/16 訪問)

 福山の西北、標高164mの小山の頂上にあり、眼下に山陽道が一望できる良好な立地条件の下に築かれた山城です。16世紀の後半には、備中松山城主三村元親と毛利氏の間に備中兵乱と呼ばれる戦が起こり、幸山城はその舞台のひとつとなりました。
 東の曲輪と西の曲輪に分かれていて間に幅30m、深さ4mの堀切があります。低い曲輪だと思っていましたが、堀切とは説明板を見て知りました。また説明板には「福山の北西の中腹から大きな堀切を下りて、、」とあります。福山から来る途中に土橋、竪堀のような地形はありましたが、その場所が説明板に書いてある堀切なのかはわかりません。コンパクトな城址で土塁が少し残っています。

 福山城より登城しました。下りなので20分くらいで行けると思います。ただ自分は妙見展望台や八畳岩などに寄り道をし、さらに道に迷ったので40分くらいかかってしまいました。

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城と看板 天気も良く、幸福な気持ち (2020/06/07 訪問)

城と看板に投稿します。激しい戦いがあった城でもあります。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 庄資房
築城年 正慶2年〔北朝〕/元弘3年〔南朝〕(1333)
主な城主 庄氏、石川氏
廃城年 江戸時代前期
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県総社市西郡