福山の西北、標高164mの小山の頂上にあり、眼下に山陽道が一望できる良好な立地条件の下に築かれた山城です。16世紀の後半には、備中松山城主三村元親と毛利氏の間に備中兵乱と呼ばれる戦が起こり、幸山城はその舞台のひとつとなりました。
東の曲輪と西の曲輪に分かれていて間に幅30m、深さ4mの堀切があります。低い曲輪だと思っていましたが、堀切とは説明板を見て知りました。また説明板には「福山の北西の中腹から大きな堀切を下りて、、」とあります。福山から来る途中に土橋、竪堀のような地形はありましたが、その場所が説明板に書いてある堀切なのかはわかりません。コンパクトな城址で土塁が少し残っています。
福山城より登城しました。下りなので20分くらいで行けると思います。ただ自分は妙見展望台や八畳岩などに寄り道をし、さらに道に迷ったので40分くらいかかってしまいました。
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