げんじがみねじょう

源氏ヶ嶺城

富山県小矢部市

別名 : 源氏ケ峰城、源氏ヶ峰城
旧国名 : 越中

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南端の大堀切
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しんちゃん

源義仲の伝説と佐々成政の築城技術が残る城。 (2021/11/19 訪問)

源氏ヶ嶺城は倶利伽羅峠の戦いの際に平氏の軍勢が布陣していましたが、源義仲の軍に
攻め落とされ、平氏を攻撃するための陣所になりました。北側の麓には平氏の軍が
突き落とされたといわれる地獄谷が有ります。現在の縄張りは、天正12~13年ごろに
佐々成政によって改修されたものと思われます。登城道を登ってすぐに城址碑のある
郭に到着しますが東と南西に城域が伸びています。この時は、より多くの遺構が残る
南西側を散策しました。尾根伝いに進んでいくと本丸らしき広い郭にたどり着きます。
この郭には土塁が残っています。さらに進むと巨大な堀切が行く手を遮ります。
脇から道が伸びているのでそこから下り、対岸へ渡ります。その先にも城域は続きますが
本格的な遺構は無いので、適当なところで引き返します。
おそらく佐々成政にとっては支城の一つでしかないのでしょうが、豪勇のイメージが
強かった彼の築城した城を周っていると印象が少し変わってきます。
一乗寺城も松根城も、とても技巧的な城でした。やはり戦国武将にとって城づくりに
長けていることは必須スキルなのでしょう。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ11日目:源氏ヶ嶺城 (2022/07/30 訪問)

一乗寺城からの転戦です。登り口付近(36.656544、136.824021)に路駐しました。

詳細は不明のようです。 源氏ヶ嶺の名の由来は1183年(寿永2年)の源平合戦に由来するものですが、現在残っている城の縄張りは戦国時代のもので、佐々成政によるものと推測されています。
1585年(天正13年)富山の役までには放棄されたようです。

倶利伽羅峠から続く車道脇に登り口があり、案内板が建てられています。
登るとすぐ、展望台が建てられていおり、そこから「くりから古戦場跡」や地獄谷が望めるようですが、テープが張ってあり登れません。
遊歩道が設けられ数分で山頂に着きます。最高所に「源氏が嶺」の石碑が建てられています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=蓮沼城に向かいます。

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釜次郎

倶利伽羅峠古戦場近くにあります。 (2022/04/09 訪問)

富山県小矢部市側から倶利伽羅峠古戦場跡へ向かう途中に入口の階段があります。
加賀の前田利家に備えるため、佐々成政による改修を受けています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 平維盛
築城年 寿永2年(1183)
主な改修者 佐々成政
主な城主 平維盛、佐々氏
廃城年 天正13年(1585)頃
遺構 曲輪、土塁、堅堀、堀切、切岸
住所 富山県小矢部市道林寺字源氏ヶ峰