源氏ヶ嶺城は倶利伽羅峠の戦いの際に平氏の軍勢が布陣していましたが、源義仲の軍に
攻め落とされ、平氏を攻撃するための陣所になりました。北側の麓には平氏の軍が
突き落とされたといわれる地獄谷が有ります。現在の縄張りは、天正12~13年ごろに
佐々成政によって改修されたものと思われます。登城道を登ってすぐに城址碑のある
郭に到着しますが東と南西に城域が伸びています。この時は、より多くの遺構が残る
南西側を散策しました。尾根伝いに進んでいくと本丸らしき広い郭にたどり着きます。
この郭には土塁が残っています。さらに進むと巨大な堀切が行く手を遮ります。
脇から道が伸びているのでそこから下り、対岸へ渡ります。その先にも城域は続きますが
本格的な遺構は無いので、適当なところで引き返します。
おそらく佐々成政にとっては支城の一つでしかないのでしょうが、豪勇のイメージが
強かった彼の築城した城を周っていると印象が少し変わってきます。
一乗寺城も松根城も、とても技巧的な城でした。やはり戦国武将にとって城づくりに
長けていることは必須スキルなのでしょう。
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