かんばらじょう

蒲原城

静岡県静岡市


旧国名 : 駿河

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しんしんちゃん

マイナーな城だけど北条・今川 / 武田で、ガチの争奪戦。 (2022/01/08 訪問)

蒲原城は今川方の城ですが武田信玄が駿河に侵攻した際に
救援の北条勢がこの城を拠点とし、武田勢を撤退させています。
永禄12年(1569)武田方が再侵攻し、落城して武田方の拠点になりました。
主に散策できる郭は北の帯曲輪と北の曲輪(善福寺曲輪)と南の本曲輪です。
北の曲輪には西から南にかけて土塁が残され
南の本曲輪には神社がまつられています。
訪城は一年半前になるのですが、どうやらそのあと逆茂木が設置されたらしく
もう一度訪問してみようかなと考えています。
しかし逆茂木とは‥ マイナーなもん置きよってからに‥


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T-Shionoya

逆茂木を備える蒲原城 (2023/01/08 訪問)

この城を落とした勝頼を信玄が称賛するほど堅固な城と聞き、興味を持った静岡県静岡市清水区の蒲原城。
富士山が見える日を狙い、1月の晴れた日に訪問。

東海道において江戸期には宿が置かれた蒲原は、甲斐国に繋がる富士川の河口から西に3km。
蒲原城は南に駿河湾、北から西側に向田川が流れる標高138mの山に築かれた城。

築城時期は不明ながら、1500年代中頃は今川方の飯尾氏が城番を務めており、桶狭間の戦いで今川氏が衰退すると小田原北条氏が兵を派遣して支援。勝頼らの侵攻で落城し武田方の城となるものの、1582年に家康が攻め落とし、秀吉の小田原征伐まで徳川方の城でした。

現在、大手曲輪は高速道路でほぼ消滅し、三ノ郭は農地化。
しかし善福寺曲輪周辺は復元され、本丸の南曲輪は城山八幡宮の境内に。

搦手方面から入城すると、所々で茂みの中にも石垣が点在。これだけ石垣が見られるとは予想外。
見どころは北曲輪北側の石垣と、北曲輪と南曲輪の間の空堀、そして実物を見ると少々チープなものの、北曲輪に設置された珍しい逆茂木の復元物でしょうか。
南曲輪から海側の眺めは遮られていましたが、山側は富士山が顔を出してくれました。

滞在時間は大手口と三ノ郭も含めて約2時間。
蒲原城が私の城郭巡りの143城目となりました。

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城好きのメガネ

「蒲原城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
蒲原城は駿河守護であった今川氏が築いたとされる。甲相駿三国同盟の崩壊に伴い、武田信玄による駿河侵攻が始まる。今川氏救援のため北条氏政が派遣した北条氏信率いる援軍が蒲原城に入り武田軍封じ込めの拠点とする。1569年、武田氏による再侵攻が行われた。総攻撃を加え、北条氏信ら後北条勢や今川諸将は戦死し、落城した。後北条氏に対する境目の城として武田氏が掌握する。1582年に織田・徳川連合軍に攻められ落城、廃城となった。現在、曲輪、堀切、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR新蒲原駅 徒歩20分

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カズサン

夏草茂る蒲原城 (2022/09/11 訪問)

 駿府城を終えて北東に道のり約30km程の蒲原城へ、今年の2月富士市未踏の城を初登城後、予備の登城を蒲原城と小島陣屋を抑えて居たのですが小島陣屋で終ってしまい、9月とは言えまだ夏の季節、草が茂り心配でしたが、蒲原城址駐車場に車を駐めて登城しました。
 心配の通り草が茂り、本郭北曲輪(善福寺曲輪)と北曲輪の北、東側の腰曲輪は草が大いに茂り探訪断念、本郭南曲輪は草茂るも何とかかき分けて鎮座する神社、北端で北曲輪を見下ろすが、草に覆われ良く分からない状態、同場所は富士山を仰ぐベストポジションですが、今日も雲に隠れて稜線が見えるだけ。
 登城路は台風11号後の長雨で湿って居り、蜘蛛の巣、やぶ蚊、ぶよが飛び、ストックで蜘蛛の巣を払い、防虫ネットを車に備えて居ながら持ってこず、草以上にてこずりました。山城は冬が良い!
 
 前回は平成28年3月23日で草も刈られてベストのタイミング、しかし富士山は霞んで見えるが写真写りは今一でした、蒲原城の登城は冬場から桜の頃が良いようです。絶景の富士山、駿河湾が見所で桜が有れば最高です。

 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 今川氏
築城年 室町時代
主な城主 今川氏、後北条氏、武田氏、徳川氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 市史跡(蒲原城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県静岡市清水区蒲原
問い合わせ先 静岡市生活文化局文化スポーツ部文化財課
問い合わせ先電話番号 054-221-1069