赤羽駅から程近い高台の上の静勝寺が城跡です。
太田道灌が築城したと伝わります。寺内の道灌堂に太田道灌の木造坐像があり、命日の7月26日にちなみ毎月26日に見られるそうですが、今回は日にちが合わず見られませんでした。
赤羽駅は路線数も多く、駅周辺は大変賑やかですが、この辺りは閑静な住宅地といった感じでとても静かです。お寺の両サイドに坂道がありますが、もしかしたらかつての堀の跡かも?
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2023/01/12 21:40
太田道灌ゆかりのお城 (2023/01/05 訪問)
赤羽駅から程近い高台の上の静勝寺が城跡です。
太田道灌が築城したと伝わります。寺内の道灌堂に太田道灌の木造坐像があり、命日の7月26日にちなみ毎月26日に見られるそうですが、今回は日にちが合わず見られませんでした。
赤羽駅は路線数も多く、駅周辺は大変賑やかですが、この辺りは閑静な住宅地といった感じでとても静かです。お寺の両サイドに坂道がありますが、もしかしたらかつての堀の跡かも?
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2023/01/12 21:29
吉川元春館 (2022/12/11 訪問)
【吉川元春館】
<駐車場他>戦国の庭歴史館駐車場
<交通手段>車
<見所>館跡・堀・石垣・吉川元春・元長墓地
<感想>1泊2日萩・浜田の旅、3城目。吉川元春館は1582年に嫡子元長に家督を譲った後、1583年に隠居所として築造を開始しましたが築造途中のまま元春はここに入ります。1586年に九州遠征の時に元春が死去し、翌年元長も病死し吉川広家の時に完成したが1591年に月山富田城に移ると廃墟化していったようです。
まず戦国の庭歴史館(有料)に寄りました。館跡からの出土品等が展示しています。館跡は南側が正面になっており真っすぐの正面大石垣が見事です。内部は礎石建物跡、庭園跡があり復元建物もあります。北側の奥に吉川元春・元長墓地があります。
<満足度>◆◆◇
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2023/01/12 20:24
石垣を探すの巻 (2023/01/02 訪問)
遺構★★☆☆☆ 石垣
二俣城を終えて、隣の山まで車でいき、鳥羽山城に行きました。鳥羽山城は二俣城を家康が攻める際に詰城として築いたお城です。こちらも堀尾吉晴によって改修され、ここには屋敷が立っていたようです。
鳥羽山公園の駐車場に車を停めて、約 5分ほど登って行きます。今は石段が整備されています。両サイドには何やら石垣の一部でしょうか?石の列が連なっています。階段を登り終えると、正面に大きな石垣が立ちはだかります。たぶんここが一番良好に残ってる。荒々しい野面積みでした。また石垣も低くはないので何かしら役割が果たせていたと思います。石垣を横切って左から進んで右に曲がると大手門跡が見えてきます。大手門跡には暗渠が残っています。これには結構驚きました。なんなら鳥羽山城で見どころはこれかもしれないです。また大手門跡には当時の石垣や石段も残ってるので結構貴重ですよ。
では本丸周辺を散策。続く
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2023/01/12 20:04
富士山が素敵 (2023/01/11 訪問)
私は、富士山大好きです。たまたま、足柄峠を通過していると、足柄城を発見!
階段を上ると、ほんまにそこはお城でした。
廓の跡が散見出来て、堀切も確認出来てGOODでした。
更には、富士山が鎮座されてるではありませんか。
ここから見える富士山は、最高です!
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2023/01/12 19:49
2023/01/12 19:25
村上海賊の居城を訪ねて (2023/01/08 訪問)
城跡がある能島へはガイド付きのツアーを事前予約しての上陸になります。令和4年4月から令和5年3月までの土日祝の運行で1日2便から3便です。私が利用したのは13時45分の便で約30名ぐらい、2班に別れての見学でした。乗船場所は能島水軍レストランの裏手、駐車場はレストラン前と向かいの村上海賊ミュージアムにもあります。高さ31mの本丸跡からの伯方・大島大橋と瀬戸内海の眺めは美しいです。豪雨による遊歩道の崩落により矢びつ、東南出丸は立入禁止となっているので注意が必要です。御城印とスタンプは村上海賊ミュージアム内にあります。
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2023/01/12 19:00
2023/01/12 18:01
細野城 (2023/01/12 訪問)
中の城との分岐から標識に従って西の城へ進みます。途中、藪化しているところもありますが、道は明瞭で歩いて行くと西の城に行くことができます。藪がひどく見学が困難との情報がありましたが、整備されたのか、季節がよかったのか、主要な場所は木が切ってあり草も刈ってありました。「ちえぞー!城行こまい」さんのHPでは「主要部の南西尾根に二重堀切があり、その西に分厚い土塁をもつ郭があります」と記載されていましたが、よくわかりませんでした。帰りはぴーかるさんが登城された墓を経由する道を通って降りてきました。西の城へだけ来るなら、こちらの道の方が断然歩きやすいと思います。
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2023/01/12 17:49
2023/01/12 17:36
細野城 (2023/01/12 訪問)
津駅から三重交通バスに乗り長野東バス停下車。降りたところから少し戻ると案内板があり登城口となっています。谷筋を歩いて行くと東の城と中の城、西の城の分岐点があり標識が立っています。谷筋には石垣がありますが、当時のものではないかもしれません。東の城の標識に従っていくと、すぐに堀切を認めます。よく見ると石垣があります。手にした縄張り図には、この堀切はなく戸惑ってしまいました。道は整備され歩きやすく主郭へ行くことができます。帯曲輪等もありました。南東部にも曲輪があると思われますが、竹藪となっていて、倒れた竹で行く手が阻まれていました。強行突破はすることなく戻りました。
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2023/01/12 07:05
奈良の城めぐり⑨ (2022/12/10 訪問)
献血前最後の攻城が窪之庄城でした。現在は八坂神社になっています。神社の下の方には空堀などの遺構が残っているようですが、境内の散策だけで済ませてしまいました。献血ルームに赴く前に、近くの帯解寺には立ち寄っていきました。独身者には余り縁のない寺のようですけれども。
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2023/01/11 22:45
湿地帯の城 (2023/01/06 訪問)
高松城跡は、高松城址公園となっています。
駐車場は本丸脇と三の丸脇の2か所あります。
高松城址公園資料館で続日本100名城スタンプを押すことができます。
三の丸西の駐車場から徒歩1分のところにある高松山妙玄寺の境内に、清水宗治自刃址があります。
清水宗治は、敵味方両軍が見まもる中、舟上で見事切腹を果たしたそうです。さらにその近くに宗治が切腹する船を追って、家臣が刺し違えて殉死したといわれているこうやぶ遺跡があります。
高松城址公園より2km、クルマで約4分のところに蛙が鼻築堤跡があります。
高松城といえば、1582(天正10)年黒田官兵衛が豊臣秀吉に進言したの水攻めの主戦場となったことで有名です。
その際につくられた堤は、ほとんど後世に崩されてしまいましたが、ここだけ残されています。
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2023/01/11 21:22
黒田六端城めぐり① (2022/12/30 訪問)
18きっぷ3回目は実家スタートで北九州を少しまわってきました。
戸畑駅北口に降り立つと目に飛び込んでくる真紅の橋、若戸大橋は若松区と戸畑区を結ぶ歴史のある橋で、2022年に国の重要文化財に指定されています。
この橋の真下にあった「中の島」に築かれていたのが若松城で、福岡城を本城とする黒田長政の筑前六端城のうち、いちばん北に位置しています。
中の島は時代の流れの中で海中に姿を消し、若松城も二度と見ることのできない幻の城となってしまいました。しかし、現地に立ち(立てないけど)、“ここにあったんだ”と感じられただけで充分で、寧ろ、城の行く末を見届けた気持ちになりました。
海中に埋没してしまった城ですが、島の痕跡すべてが消滅してしまったわけではありませんでした。
「河白斗【白へんに斗】嶋(かばしま)記念石」と刻まれた石が戸畑図書館前に展示されています。島の住人たちが島を離れる際に運び出した石なのだそうです。石は黙したまま何も語らないけれどたくさんの歴史を見てきたはずで、若松城の形見でもあるのだなぁと思いました。
前々回投稿の真鶴の品川台場の礎石と、この中の島の石。
どちらも消滅寸前の城跡から運び出された、城の存在の証しとなる石で、城めぐりをする中での石との出会いの楽しさを感じると同時に、歴史の伝達を石に託した人たちの思いを真摯に受け止めたいと思いました。
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2023/01/11 19:28
南の丸探訪 (2023/01/02 訪問)
遺構★★★☆☆ 堀切、土塁、石垣、虎口?
二の丸を終えて南の丸へ急ぎました。すると何やらまた石垣の虎口が、形の成り立っていない野面積みになっていました。そこから南の丸に行くと結構大きな堀切がありました。どうやら二の丸と南の丸に仕切りをつけるためのもののようです。南の丸にも虎口らしきものがあり、一部石垣になっていました。南の丸に入ると奥の方に石垣が。石垣の上には土塁が立っていたので鉢巻石垣かな?あと、積み方が他の場所の石垣とは異なっていて石材も違うようですが、これは家康の石垣なのかな?よく分かりません。またなんでこんなところに石垣があるのだろう?
100名城には指定されていないものの、遺構がよく残っているお城だと思いました。。天守台も堀も石垣も残っていますが、国指定史跡だけはちょっと厳しくないでしょうか?
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2023/01/11 19:23
浜田城 (2022/12/11 訪問)
【続百名城55城目】
<駐車場他>浜田城山公園駐車場
<交通手段>車
<見所>中ノ門跡・主要部高石垣
<感想>1泊2日萩・浜田の旅。浜田で宿泊し2日目、到着早々に降雨。硝煙蔵曲輪⇒井戸⇒中ノ門跡⇒県庁門のある大手道を通って本丸まで行った。算木前段階ながら三の丸の高石垣はすごい迫力で圧巻です。二の門枡形虎口も見応えあります。本丸内の三重櫓跡は櫓台はなく、低い基壇が直置きだったようです。本丸が吹きっさらしで暴風雨で眺望が見えづらかったが、外ノ浦の湾や岩崖の外海が見えて良かった。最後に資料館を見学し終了した。これにて島根県の百・続百名城制覇。
<満足度>★★☆
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2023/01/11 13:03
2023/01/11 11:36
赤門 (2023/01/10 訪問)
昔から、位置が変わっていないそうです。小学校と県の合同庁舎の間にあります。
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2023/01/11 09:56
⑦【関ケ原の26人 】(3)福島正則 (福島正則と清州城) (2022/11/30 訪問)
(3人目)は「福島正則」です。
関ケ原当時の居城、「清州城」を訪れてきました。
清州城と言えば、織田信長を思い浮かべる方が多いと思いますが、関ケ原当時は福島正則の居城でしたので、正則の気持ちになり登城してきました。
実は、この清州城から対峙する、石田三成が籠る大垣城やその後攻める岐阜城が正則にはどう見えたのかが気になって、天守に登り眺めてみました。もっと近くに見えるのかと思っていたのですが、意外と遠く感じました(岐阜愛知に来たのは初めてですが・・・いや~濃尾平野は広い!)。大垣城はビルに囲まれ見えませんでした(当時はかすかに見えたと思いますが・・)。岐阜城も山の上に小さく点のようにしか見えませんでした。(写真⑩)
正則は秀吉とは姻戚関係にあったため(正則の母は大政所の妹とも)、縁者であるがゆえ武功で認められたい気持ちが人一倍強かったようです。しかし、縁者でも武功もない三成が自分より秀吉にかわいがられ、石高も多かった事にかなり嫉妬していたのかもしれません。
小山評定では黒田長政におだてられ、「三成を討つべし!」と一番に声を上げ皆を鼓舞します(しかし家康からは信用されず😩~)。清州城では徳川家康から忠誠の証を求められ、真っ先に岐阜城攻めに向かいます(しかし池田輝政に先を越される😩~)。関ケ原でも先鋒1番槍を務めます(しかし井伊直政に抜け駆けされる😩~)。何でも1番が好きな人だったようです。何が彼をそこまでかきたてていたのでしょうか? そしてこの清州城天守から、どのような気持ちで三成のいる大垣城を見つめていたのでしょうか?
次は「福島正則陣跡」を歩きます。
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2023/01/11 07:01
奈良の城めぐり⑧ (2022/12/10 訪問)
この日攻城した城の中では、続100名城の大和郡山城を除いて、最も魅力を感じることの出来た城でした。国史跡の黒塚古墳が城郭として活用されていたのです。黒塚古墳展示館には城郭にかかわる展示は見当たりませんでしたが、前方後円墳の前方部と後円部の接続部分あたりの足下に落ち葉に埋もれて、城郭に利用された跡という説明板を見つけることが出来ました。黒塚古墳展示館には万城目学の「鹿男あをによし」に出てくる「サンカク」がたくさん展示されていてちょっと萌えてしまいました。
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2023/01/11 06:51
高部館 茨城県常陸大宮市 (2022/12/30 訪問)
2022年の城納めとして常陸大宮市の美和地区周辺の城を廻りました。
いずれも未登録ですが近年、地元の方により整備され、駐車場も設けられていました。
最初は高部館、佐竹氏が那須氏や白河結城氏に備えて築いた城です。
駐車場から少し登っていくと堀切があり、その先に「寿コース」と「若武者コース」の案内板。
迷わず・・・寿コースを選択しました。
すぐに堀切とそこから落ちる竪堀に出会えます。
さらに進み、段になった曲輪を登っていくと主郭です。
結構広さもあります。
二郭との間に堀切があり、進んでいくと大子へ向かう街道が見渡せます。
二郭の先にも曲輪が、三日月形の六郭、さらに囲むように七郭で周りを堀が囲んでいます。
東側は竪堀となって落ち、西側には堀底道が続き、こちらも竪堀へ続いていました。
西の大堀を戻り、最初の竪堀と堀切のところまで戻り、今度は若武者コースから下って行きました。
六郭の三日月状の曲輪周辺が一番の見どころでしょうか。
曲線が美しいと感じました。
おすすめです。
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