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ryu

御所ヶ谷神籠石(2014年) (2014/12/07 訪問)

御所ヶ岳(ホトギ山)に築かれた日本の古代山城(神籠石系山城)である。

馬ヶ岳城より縦走してホトギ山より下りながら遺構を見学する。第二東門から景行神社にある礎石建物跡を経て中門を見学。中門の石塁は見事である。

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ryu

軍師官兵衛ブームで馬ヶ岳城に登る(2014年) (2014/12/07 訪問)

馬ヶ岳~ホトギ山まで縦走し、馬ヶ岳城と御所ヶ谷神籠石を探訪する。

10世紀、清和源氏の始祖である源経基によって築城と伝えられる。豊前北部の重要拠点として少弐氏や大友氏・秋月氏、中国地方の大内氏や毛利氏といった群雄たちによる激しい争奪戦が繰り広げられた。
秀吉の九州征伐の際には、長野氏が城主で、秀吉は馬ヶ岳城に二泊滞在している。その後、豊前国6郡(宇佐郡の一部除く)12万5000石を与えられた黒田官兵衛が馬ヶ岳城を拠点としたが、やがて中津城を築いて移っている。

この年は大河ドラマ「軍師官兵衛」のブームで登山者も多かった。大谷登山口から遺構(土塁・横堀・畝状竪堀群、二の丸、堀切、本丸)を見学しながら登り、御所ヶ谷神籠石があるホトギ山まで縦走する。

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朝田 辰兵衛

【城と生き物】城ふぉとコンテスト📷 (2021/08/08 訪問)

脚をケガしているようで,ゆっくりこの場所まで歩いてとどまりました。ここを死に場所に選んだのか…?
ずっと遠くを見つめたまま,動きませんでした。

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チェブ

卵形のお城の曲線美。 (2022/04/10 訪問)

「忍城」の成田氏の家臣のお城「山田城」です。
埼玉県比企郡の『武蔵丘陵森林公園』の中にあります。
皆さんの投稿にしたがって、南口から入城しました。
公園の案内パネルを確認して、これは、たくさん歩くぞっと気合いを入れましたが「山田城」は南口から右手に5分位で到着しました。

「山田城」の説明板があり、卵形にちかい長方形とあります。
きれいに土塁が残ってますが、こんもりドーナツのような曲線美(←すいません。ボキャブラリーが貧相で上手く現せません。)
堀や虎口も、やさしい形になってます。

『武蔵丘陵森林公園』の入口に写真⑧⑨がありました。
皆さん、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』観てますか?
こちらは比企郡。
そう比企郡の豪族、比企 能員や源 頼朝さんの乳母の比企尼がいらっしゃいました。
頼朝さんが流罪になっても支援した比企家です。
幟には、おにぎりを持った頼朝さん。
、、、比企 能員さんじゃないの?

卵に、おにぎり。
「山田城」のある『武蔵丘陵森林公園』はお弁当を持ってピクニック気分で攻城できます。

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ほりーないと

本曲輪の土塁の秘密「城と生き物の館」 (2022/01/15 訪問)

土塁をよ~く見ると、いくつもの穴
キツネ城主様の巣穴です。
本曲輪の土塁にお住まいになってます。

保全活動をしている地元の方から教えていただきました。土塁が崩れてしまうと話されていました。
先日、キツネ城主様に会えましたが、記念撮影できませんでした。

土塁を崩したのは、キツネ城主様
う〰️ん、仕方がないです。

城ふぉとコンテスト投稿できず
【城と生き物の館】とさせていただきました。

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肉球

20年ぶりの登城 (2022/04/05 訪問)

桜は散り観光客も少なく天守閣内も密なしでした。
前回訪れた時より長門丸石垣付近や代右衛門石垣付近は木々が減り見学しやすくなっていました。
大雨による災害がこのお城にも出てきているようで本丸南角矢倉付近の石垣は補強されていますが
あまり見栄えの良いものではなく今後崩落も含め心配です。
本丸石垣を見学できるように腰曲輪に整備がされると見所が増えると思うのですが。 
城山部分以外は大手門跡を含め市街地と化し見どころが少なく残念ですが
北西に1キロくらいの所に石垣で作られた樺崎砲台が残されています。
この日は樺崎砲台と真反対の愛宕公園からの夕景を撮影しようかと思いましたが
当日は夕焼けがイマイチで残念。もう一度訪れることができるかどうか。

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イオ

鎌の刃 (2022/04/09 訪問)

(続き)

主郭南側の副郭は堀切で南北二つに区画され、南側の曲輪(南-Ⅱ)の南辺には南尾根に立ちふさがるように土塁が築かれています。土塁の上からは眼下の堀切の先に細尾根が続いており、堀切を越えて振り返ってみると、乗り越えてきた土塁の堀切側には石垣が施されていました。南尾根は岩盤むき出しの上に両側は鋭く切り立った断崖になっていて、鎌刃城の名の通り鎌の刃の上を歩いているかのようです。特に西斜面は急峻で、転落したらただでは済まないのはもちろん、カメラやスマホを落としても拾いに行けない(行ったら戻れない)ため、写真を撮るのもストラップを手に通してからでないと心配なほどで、そんな細尾根に岩盤を掘り込んだ堀切が八条も連続する光景はまさに圧巻でした。南尾根南端の堀切(切通)の崖下には水の手の水源となっている青龍の滝があるようですが、ルートがわからないので今回はパスして、鎌の刃の上を副郭まで戻り、今度は西尾根の曲輪群へ。

トラロープにしがみつくように急斜面を降りて行くと、西尾根沿いに階段状の曲輪群が続き、曲輪間には二条の堀切が設けられています。また、ずいぶん浅くなってはいるものの、曲輪群先端部の南斜面には近江の城では珍しい畝状空堀群が見られます。そして、西曲輪群西端の二条の堀切で鎌刃城をひとめぐり。当初は主郭に戻って来た道を帰るつもりでしたが、あの急斜面を登るのは避けたかったので、そのまま西尾根を進んで滝谷林道に合流し、42番ガードから駐車場に戻りました。所要時間約3時間半、堀切に石垣に虎口に鎌の刃に…と大満足の鎌刃城でした。

ところで、城びとの記事にもあるように、鎌刃城の保存整備に取り組んでおられる「番場の歴史を知り明日を考える会」が第1回日本城郭文化振興賞に選ばれたとのことで、登城時には受賞のことは知らなかったんですが、現地では案内表示や説明板、展望台やのぼり旗などあちこちで会の名前を目にし、登城道はよく整備され、険しい箇所にはトラロープが張られ、草木もきれいに刈られて、本当に大切にされている城だなぁ、と感じていましたので、栄えある第1回の受賞にも大いに納得させられました。受賞まことにおめでとうございます。おかげさまで楽しくめぐらせていただきました。
 

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todo94

県内の城めぐり2022⑭ (2022/04/09 訪問)

小谷村の山城を目指して出発しましたが、青木湖近辺の残雪の多さを見て断念。引き返して木崎湖畔の仁科城を攻城いたしました。このあたりには雪は残っていませんでした。仁科神社がその故地でそれなりに土塁や曲輪を視認できますが、湖の対岸からの遠望がなかなか良かったです。この後は、国宝の仁科神明宮へと向かいました。

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トク

北ノ庄城 (2022/02/12 訪問)

北ノ庄城は柴田勝家の居城、お市の方との悲運の城でも有名なので訪れました。今ではビルの谷間にひっそりと柴田公園・柴田神社・資料館があり、そこに城があった事を伝えています。秀吉が小早川隆景宛にあてた手紙には、九重の天守があったかとか・・・(でも絵図ではどう見ても五重🤔?)

勝家や北ノ庄城に関する資料があれば見たかったのですが、資料館は小さく発掘の様子もちょっとしかありませんでした。これだけ歴史的な場所なので、もう少し何とかしてほしいとは思いましたが・・・とても残念です。もうすでに回りにはビルが立ち並んでいるので、どうしようもないのでしょうか?

【余談:勝家とお市の方】
お市の方は、なぜ最後は勝家と共にここで死のうと思ったのか? 以前からずっと不思議に思っていました。幼い頃から嫌いだった無骨な勝家の事を最後は本当に好きになったからなのか? それとも兄信長の後継者になるために自分を道具として勝家に嫁がせたあげく、攻めてきたのが勝家以上に嫌いだった猿(秀吉)だったので、嫌がらせからそうしたのか? ならばなぜ自分の3人の娘(茶々・初・江)を最後は秀吉に託したのか? 私はこの心境がよくわからず今でも気になっています。でも勇猛果敢な勝家も、晩年は平穏な人生をお市の方とここで過ごしたかったのは間違えないようです😊。
 

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退会済み
ユーザー

【究極の1枚】刺客 神5(ファイブ)参上 (2022/04/24 訪問)

熊本城の天守閣に向かう闇がり通路(くらがりつうろ)の写真です。観光客5人の人影が、刀(傘ですけど)を持った忍者やくのいちたちのように見えました! 逃げろ!!

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肉球

見上げただけです (2022/04/05 訪問)

伊予吉田陣屋を訪れた際に吉田図書館前の橋から撮った一枚です。
まだ画像がないようなのでとりあえず。
西園寺氏の出城のようです。

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肉球

伊予吉田陣屋・愛媛県宇和島市 (2022/04/05 訪問)

宇和島藩伊達秀宗の五男宗純が3万石を分知され宇和島市吉田町に
陣屋を築き幕末まで納めました。
跡地には御殿を模した図書館が建てられ駐車場脇には石垣の一部が
残されています。
少し離れた住宅街に陣屋井戸があります。

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赤い城

フレックス (2022/04/10 訪問)

城跡には太田フレックス高校が建っています。
名前的には興味をそそられる学校ですね。
周囲を一周しますがもちろん中には入れません。
サッカーのゴール越しに土塁を遠くから見つめるばかり。
怪しまれる前に退却しました。

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カズサン

「二俣一夜城」天守閣甦る (2009/10/31 訪問)

 平成21年10月31日から11月8日期間限定で二俣城天守台に二層付櫓の天守閣が出現しました。
 「国民文化祭・しずおか2009」の期間中に浜松市天竜地区の自治会連合会、観光協会、文化協会などで二俣城跡の天守台にバラック建て塗装ペンディング、鯱を載せて、期間中各種イベントを開催、終了後は部材を分解、保存して何時でも再建出来る様にするとの事。
 イベント、祭りが開かれる前に二俣城本丸に出向き出来上がったばかりのバラックですが天守閣付櫓の建物を見学し東西南北から撮影しました、天守には登閣出来無い仕様でした。
 祭りの天守再現でも楽しく嬉しい企画でした。

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ほりーないと

【城と生き物】 (2021/12/31 訪問)

本丸を歩く…キツネ城主様
一の堀に隠れながら、そ~っと撮影しました。

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朝田 辰兵衛

【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2021/06/25 訪問)

この子も,読み出したら止まらない…。

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ぴーかる

【城と看板】

そこまで行けませーん(>_<)

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ぴーかる

【城と看板】

地元小学生の素晴らしい手作り説明板
さらに本郭と本格をかけている。

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ぴーかる

小倉山城 (2022/04/03 訪問)

【小倉山城】
<駐車場他>小倉公園駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・曲輪
<感想>1泊2日郡上の旅5城目。小倉山城は高山藩主金森長近が家督を養子である可重に譲り隠居し1605年に隠居城として築きました。その後、後に生まれた長近の実子長光に2万石が分知されこの地に上有知藩が成立しましたが長光は6歳で夭折したため、上有知藩は廃藩となり小倉山城は廃城となり上有知は尾張藩の直轄領となりました。現在でも城下町は残っており、うだつの上がる町並みとして重要伝統的建造物群保存地区となっています。
 城跡は野外ステージの模擬櫓が建つ曲輪が本丸、駐車場が二の丸となっています。本丸の石垣と城門跡の石段はよく残っており見応えがあります。山頂までの中腹部分にも所々薄っすらと石垣が残っている場所があり探索しながら登るのが楽しいです。山頂の少し手前に巨石群がありスピリチュアルな場所だったとも思われます。山頂の西側にも岩盤が突き出ており自然かもしれませんが堀切状になっています。城跡の東側に忠魂碑のある曲輪とその下段も曲輪だったように思います。忠魂碑の台座の石垣は城跡の物を流用しているように見えました。山頂には展望台があって南の城下町、北は長良川が見え隠居城ながら後ろ堅固な立地に築城しているのがよく分かります。
 ちょうど桜が満開で本丸石垣とよく合っていました。駐車場の東側にミニ動物園もあってなかなか楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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mass

静かな場所 (2022/04/25 訪問)

黒田官兵衛ゆかりのお城♬

城自体はありませんが、とても静かで
藤の花、つつじ、桜に囲まれ自然豊かな
美しい場所でした。

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