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todo94

磐田駅前 (2022/01/06 訪問)

浜松から掛川に向かう途中に立ち寄りました。御殿遺跡公園として整備されていて、防人の歌なんかもありました。移築門の案内も見つけたのですが、この先の予定もあるので今回は割愛。いつか再訪したいと思います。

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赤い城

ハイキングコースの一部 (2022/02/26 訪問)

要害神社の駐車場があり、展望台も設置されています。
その脇に鳥居があり、ここが登城口。
少し登って行くと要害神社が建つ主郭に。
北東側に尾根が延びていて曲輪や堀切が設置されています。
主郭の周りには曲輪が展開され段になっています。
戦国期に里見氏が改修し、その後由良氏や阿久沢氏が居城としました。
ハイキングコースの一部になっていて見学はしやすい城でした。

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ぴーかる

坂本城 (2022/02/11 訪問)

【坂本城】
<駐車場>駐車場はなし
<交通手段>車

<感想>播磨の坂本城の築城年代は定かではないが赤松氏によって築城され、代々赤松氏の播磨守護所として政治の中心地となっていました。嘉吉の乱ののち山名宗全が攻めてきた際に赤松満祐は防備力が薄い坂本城を放棄して城山城に立て籠もりますが落城します。播磨国は分国として坂本城を中心に山名宗全が統治しますが応仁の乱後赤松政則が播磨を再び平定し政則は新たに置塩城を築いてそこを本拠としたため坂本城は廃城となりました。
 現在は城びとのポイントに土塁遺構が一部残っています。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

妻と一緒に初登城 (2010/11/04 訪問)

 12年前の平成22年11月上旬母の三回忌法要の後、城廻り観光旅行、大山の紅葉を堪能した後月山富田城を初登城、近くの足立美術館は以前訪ねていたのに月山富田城には寄らずじまいでした。
 車は大手門跡近くの駐車エリアに駐めて大手門跡から探訪開始。

 石垣整備された山中御殿跡をぐるっと回り、山上の丸へ約20分への標柱が有り少し登るが樹木で鬱蒼としており山頂へは諦めました、菅谷口門跡、花の壇周辺を探訪して道の駅、資料館へサラッと流しました。
 
 尼子の土の城を堀尾吉晴が織豊系城郭に改修して石垣が残ったようです、平成30年9月の全国山城サミット安来大会開催に向かって七曲り登城路が周辺の樹木伐採と登城路整備、山頂部の樹木伐採、整備で麓からも良く見える様になりましたし登城もし易くなりました、また馬乗馬場跡、千畳平跡の樹木伐採、施設整備も行われ、大土塁跡も樹木伐採整備されて居るようです。
 整備後訪ねましたが未だ山頂の丸には登って居ません、今後の課題です。

 近くの足立美術館は四季毎に庭園の景観を楽しめます、日本画横山大観、版画棟方志功の俊作が展示され見応え充分、1日居ても飽きないと思います、お勧めです。

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ガチャピン

歩いて登城 (2022/02/04 訪問)

かなりの勾配があります。鎧塚ファームでソフトクリームを食べて来ました。

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ガチャピン

初登城 (2022/02/04 訪問)

見ごたえあり

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三田(サンダ)盆地を行く (2022/02/26 訪問)

三田盆地あたりは約3500万年前に古神戸湖であり、その後に平な湖底が隆起し、武庫川等が浸食した地形です。福知山線三田〜新三田間の盆地西側には、数十mの段丘崖が見られ、その上に三田ニュータウンが載っています。この段丘の南端を利用して九鬼氏の三田城(陣屋)があります。
大原城は、武庫川東側の段丘がさらに南北を浸食されて舌状に伸びた比高20mほどの高まりを利用して縄張りされています。本郭と二ノ丸と帯郭群からなる比較的小さい城ですが良い感じの土の城です。本郭から大手口の間の帯郭は、果樹があるためか、草刈りされており、藪こぎせずに到達できました。大手口の下(外)は私有地です。かつての湖底であるため、城にある小石は丸っこい礫です。

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カズサン

【伯耆・大山】紅葉を鍵掛峠から眺望 (2010/11/04 訪問)

 母の三回忌法要を終えて2泊3日で出雲、石見の城廻り及び観光へ12年前の平成22年11月上旬出掛ける途中、大山の紅葉も見頃と大山北壁をバックにブナ林紅葉の絨毯絶景を鍵掛峠より堪能する。
 タイミングが良ければ初冠雪の大山と紅葉を楽しむ事も出来ますが今回冠雪は有りませんが、青空と大山北壁、ブナの紅葉を下に見て、いつもながらの絶景を家内と楽しむ事が出来ました、鍵掛峠の駐車場はこの時期大変混みますので朝早く出掛けました。

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やま

愛知県の城郭散策 (2022/01/12 訪問)

田原市は仕事で何度も訪問していましたが田原城の存在は知らず、この度初めての登城。二の丸跡にある田原市博物館の無料駐車場に車を停め、博物館にて無料パンフを入手。城址南には復興桜門や水堀となる袖池、柝池、石垣跡があり、本丸は巴江神社となっていましたが、本丸南には巨大な空堀跡や、本丸に残る土塁等、櫓や城門などの復元を交えながら整備され、厳かな雰囲気のある良い城址だと感じました。小規模ですがこれは隠れた名城です。

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にのまる

36見附めぐり㉛~半蔵門~

最寄り駅は半蔵門線の半蔵門駅です。
半蔵濠と桜田濠の間で土橋も立派ですが、お堀沿いの土塁(鉢巻/腰巻石垣)が見事です。
半蔵門の奥はやんごとなきお方のお住まいなので一般人は立ち入りできませんが、土塁を眺めていると横移動も縦移動も無理っぽく、現役の城、江戸城を実感します。
土橋の先に見える高麗門は和田倉門(㉟で投稿予定)からの移設だそうです。
写真⑩の石碑は桜田門の方へ進むとあります。

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赤い城

正円寺より低いところに本丸が。 (2022/02/26 訪問)

正円寺に駐車場があります。
お寺一帯が城域となります。
駐車場より下の位置に本丸があります。
案内板が立っていて曲輪とその間の深い堀があります。
手が入った感じですが堀は深くて広いです。
本丸南側に登城口があり、虎口のようです。
二郭の東側は岩盤の崖になっていました。
人の手も入っているのでしょうか。
正円寺の背後にも堀が残っていました。
別名は深沢城で地元ではこちらの名で通っているようで説明板にも深沢城と記載されていました。
阿久沢氏の居城と言われ、戦国期には北条氏か由良氏によって改修されたと言われています。

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小城小次郎

移築建築物が意外とたくさんある (2021/10/30 訪問)

お城らしい遺構のほとんどがスーパー堤防に飲み込まれたお城だが、移築建造物ははるか栃木県に移設された大手門を含め意外なくらいたくさん残っている。関宿町内にも御殿と門があるし、逆井城にも実は移築されている。

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北風の又三郎

日本最古の木造復元天守!! (2022/02/27 訪問)

郡上節で有名な郡上市の郡上八幡城に行きました😆 

車で上る場合、道が細いので気をつけてください(城下町も)。石垣は野面積みでした。天守閣あたりの石垣は、一度積み直されているようですが、他の場所では自然なままの石垣を見ることができます。天守閣は、模擬ですが、90年くらい前の木造の天守閣なので結構古いです。あと50年ぐらい経てば、価値のあるものになるかもしれません😁結構ギシギシなってました。ちなみに関ヶ原の戦いの後、この城は東軍対東軍というダラダラの争奪戦になったそうです。

雪があって綺麗な写真が撮れるかと思いましたが、溶けてしまっていて、正面側は全くありませんでした。

今度は、周りの篠脇城や赤谷山城に長良川鉄道に乗って行きたいです。道が細い城下町にも歴史を感じます。
#木造模擬天守 #野面積みの石垣 #長良川鉄道 #道が細い #石垣 #続日本100名城

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カズサン

圧巻竹田城石垣番外編 (2010/11/02 訪問)

 先に投稿したつづきです。
 百枚近く撮影して先に拾枚に絞りましたが捨てがたい写真を拾枚選び投稿させて頂きます。

 竹田城は豊臣政権下赤松広秀が天正13年(1585年)城主となり今日の姿に豊臣政権と共に改修完成させたと言われて居り以来約400年石垣の美しい姿を現在の人々に知らしめています、しかし400年保全は大変厳しく昭和46年から55年に掛けて修復工事が穴太衆の手により往時の野面積石垣が復元しました。
 修復復元後映画天と地とのオープンセットで天守閣、櫓、門が出現、TV戦国物ドラマでも活用されています、私が訪ねた12年間の平成22年11月上旬は年間の訪問者は2万人程度、朝霧に包まれた竹田城が天空の城、日本のマチュピチュとはやされ有名になってからは年間60万人、80万人と登城者が増えました、良い事ですが人が増えると事故とか遺跡の破壊が進み、ガイドロープが出来たり指定路以外は入り込めず、駐車場の制限、登城料金の徴収、季節により登城時間制限、冬場の登城禁止とか制限が付き保全管理が成されて居ます。
 いつまでも守っていきたい圧巻の日本一美しい山城です。今日この姿を見れる事に感謝です❣

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tsuchinari

一番好きなお城! (2022/02/13 訪問)

まだ寒さが厳しい2月に久しぶりの登城。
ふいご峠から徒歩で10分ほどで山頂の城郭にたどり着く。山城としては比較的楽に登れるお城である。
備中松山城にはたくさんの魅力があるが、一番は大手門跡の自然の岩盤とその上に作られた石垣群。自然と建造物のコラボがおりなす壮大な迫力と美しさは、他に類を見ない。
幾多の戦によって歴史の表舞台になった戦国時代。
山頂に城郭がたつ臥牛山の麓に政庁が作られた江戸時代。
そして明治の廃城令によって朽ち果てた天守は、地元の方達の尽力で復活し、現在に至る。
備中松山城は今も尚、歴史絵巻の中にある名城であることを体感できた。

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モト

見応えある石垣の出現に感動 (2019/10/01 訪問)

城跡はちょっとした小高い山の上にあります。
入り口から登っていきますとそこまで時間がかからずに主郭に到着します。
登って行く途中に岩の間に祠のような物があります。
どのくらいで遺構が出てくるのかな、なんて考えていた所で石垣が登場!
その見事な石垣を見た瞬間に思わず声がでてしまいました。
現れた石垣を色々な角度から眺めてしまいました。
平石小口積という石垣ですが近辺はこの石垣が多いように思います。
主郭にも所々石垣があり、もう大興奮でございました。

長野県の中ではかなりおすすめの城跡だと思います。
皆さま、ぜひぜひ行って見てください。

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えるどらど

伊賀鉄道忍者列車で行ってきました (2022/02/26 訪問)

高石垣は流石の藤堂高虎様。
そして1612年に倒壊した後再建されなかった天守閣を1935年に私財を投げ打ち再建された川崎克という方の業績を知ることができる興味深い場所でした。
松本零士さんの絵でラッピングされた忍者列車の車内は「みえのき」で装飾されていて、拘りを感じます。どうか廃線になりませんように。

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カズサン

圧巻竹田城を妻と訪ねました (2010/11/02 訪問)

 母の三回忌法要の前日、故郷鳥取へ帰省途中、舞鶴若狭道、北近畿道経由して12年前の平成22年11月上旬に竹田城を探訪しました。
 車は山腹の専用駐車場を利用.。(当時は駐車可能でした)

 専用駐車場から以前は車通行可能だった道を北千畳下の登城口まで歩き、登城階段を見付櫓台下を通って大手桝形虎口から北千畳へ、石垣の素晴らしさに興奮状態、写真を撮りまくり、北千畳、三の丸桝形虎口、三の丸、二の丸弐の門跡、二の丸、本丸天守台が目前に、本丸に入り、天守台へ天守台には質素な梯子を登って行くが梯子が不安定、(現在は手摺の付いた階段が設置されてる様です)、天守台からの眺望に感激、圧巻の絶景です。
 北千畳方向二ノ丸、三の丸、北千畳を俯瞰、南千畳方向南二の丸、南千畳を俯瞰、花屋敷方向を俯瞰、天守台の横階段を降りて天守台、本丸を眺める、南二の丸へ、振り返って本丸天守台の石垣群を眺める素晴らしい重量感です、南千畳、南千畳より眺望を楽しみ、振り返って南二の丸石塁越しに主郭石垣群を写真撮影、本丸下の花屋敷へ降りる、土塀、多聞櫓跡の石垣台が三方を囲ってる、本丸石垣の眺めも素晴らしい。
 当時はガードロープ、指定道も無く天端石垣まで踏み込み観察探訪が出来ました、懐かしい貴重な写真です。
 妻も良く付き合った呉れました。

 鳥取への往路は国道9号線、高速の無かった頃は京都より9号線を通って子供たちも一緒に帰省した道で懐かしい思い出も詰まってる山陰道9号線を走りました。

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小城小次郎

かつては中世的景観が広がっていたことだろう (2021/10/30 訪問)

古河公方被官の野田氏のお城だったが後北条氏に席捲された後は兵站基地として使われたらしい。お城と軸線が揃い南北に神社を擁する道路が今も残り、かつて町屋が広がり中世的景観が広がっていたことを髣髴とさせる。

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赤い城

主郭だと思ってたら違った (2022/02/26 訪問)

国道122号線に小さな案内板があり、ここを登って行くと案内板があります。
3ヶ所の登り口までの距離も書いてあります。
ここの広くなったスペースに駐車し高橋口まで歩くことにしました。
高橋口から登って行くと結構急峻、倒木もあり消耗します。
リボンも付いているので迷うことは無いと思います。
かなり登ると開けたガードレールの付いた場所があり、説明板も立っています。
ここが駐車場のようですが車でここまで来るのには勇気が必要かと。
さらに登ると東屋がある曲輪に到達します。
石碑や祠もあるのでてっきり主郭かと思ってました。
眺めは良いです。
富士山もてっぺんだけですが望めます。
帰って調べると主郭ではないと。
さらに進むと尾根上に堀切があり、また登っていった先がどうやら主郭だったようです。
中山峠へ続く尾根の先には土塁がありました。
引き返し関守口へ伸びる尾根を探しましたが主郭を間違ってたのでたどり着けず。断念しました。
事前の下調べが重要と再認識しました。
北条氏が築いた城ですが上杉氏や由良氏との争奪戦もあった城です。

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