髻山城から転戦。登り口先(36.807013、138.242956)に路駐し、登り口(36.807022、138.242956)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、在地豪族の柴津為信の城ともいわれています。
1561年(永禄4年)武田軍が鰐ヶ岳城を攻め落としており、これがこの割ヶ岳城とも考えられているようです。
登山道入口は南の県道沿いにあり、道標の西側から北の民家へと向かって歩き、民家と民家の間を抜けて山へ入ると道が付いています。
民家の方が登城口を教えてくれました。
ポイント、ポイントで標識があり迷うことなく辿り着けます。
山頂が主郭で、北東から南西に伸びた尾根に曲輪があります。主郭の北西側に土塁があり、南西に向かって三段程の曲輪があります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=飯山城に向かいました。
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