はなくまじょう

花隈城

兵庫県神戸市

別名 : 花熊城、花隅城、鼻熊城
旧国名 : 摂津

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花隈公園の模擬石垣
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イオ

雰囲気だけでも (2021/06/05 訪問)

戦国末期、織田信長の命により荒木村重が築いた城で、後に信長から離反した村重が有岡城から尼崎城を経て逃げ込みましたが、池田恒興らに攻められ落城。その功によりこの地は恒興に与えられましたが、兵庫城の築城により廃城となり、部材は兵庫城に転用されました。

六甲山から海にのびる台地の突端に築かれ、南麓の西国街道を抑える位置にあり、北西隅に天守、南東隅に櫓を擁する本丸を二の丸、三の丸が取り巻き、侍町や足軽町を切岸と堀で囲んだ惣構の造りだったようですが、都市化により遺構は消滅しています。

本丸跡とされる花隈公園(地下は駐車場)には模擬石垣と模擬天守台が設けられ、城趾碑や説明板が設置されています。また、花隈公園から西に徒歩3分の福徳寺は本丸の天守跡と伝わり、門前には花隈城天主閣之趾の石碑があり、屋根が天守閣風の建物が建てられています。

花隈公園の模擬石垣は史料等に基づかない雰囲気だけのもののようですが、それでも石垣があれば公園として訪れた人が城の存在を認識するきっかけにはなるでしょうし、城目的の人にとっても、石碑や説明板しかないよりは雰囲気だけでも楽しめるほうが良いかな、とも。
 

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前ちゃん

村重逃亡の城 (2020/07/14 訪問)

有岡城(伊丹)の籠城から逃げ落ち、花隈城で身を潜めてから、毛利側へ亡命

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勝野武士

荒木村重、最後の抵抗。 (2019/05/04 訪問)

花隈城…私兵庫県民なのに、お城ファン歴25年以上にして何でか今回初めて登城致しました。
行こうと思えば行けたのに、ねぇ…。

花隈城といえば、荒木道薫こと村重が信長公に謀叛を起こし、有岡城を脱出して大物城に移り、大物城が陥落するとまた脱出して、ここで最後の抵抗をした場所であります。

築城年は諸説あるようですが、村重の件で落城・廃城になるまで10年前後しか存在しなかったようで、以外と短命だったようですね…。
そんな花隈城、六甲山系の大倉山から海岸近くまで続く丘陵地を利用して築かれた、いわゆる天然の要害だったようです。
地名の『花隈』もこの地形からきているそうで、元々は『鼻隅(ハナクマ)』と書いたんだそう。意味は「海岸に突き出た先(崎)」といったところでしょうか。
そういえば大物城もここ花隈城も海から近い立地です。
村重の有岡城からの脱出は、毛利の援軍を期待しての移動だったかもしれませんね。…まぁ実際は来ることはなかったのですが。
で、どんなお城だったかというと…古図『摂津花熊之城図』によると、花隈城の縄張は北から三の丸、二の丸、本丸と並ぶ連郭式で四方を切岸を造り、本丸の西北隅に天守、東南隅に櫓があったようです。そして東には侍町と足軽町、西には町屋を配置して守りを固めてたようです。規模にして東西約350m、南北約200m程だったと推定されているそうです。

さて、現状はというと、JR神戸線の高架沿いに高石垣が築かれています。ここが花隈公園(城跡公園)となっていますが、高石垣は全て模擬です。公園の整備方法に史実は何一つ反映されておりませぬ。
おまけに地下はなんと駐車場。しかも土日祝は最大設定料金の適用無しで15分100円。ク●高ぇ。
ちなみに、石碑と説明板(石製)が公園内にあります。

で、公園の周辺はというと、見事に都市化しており面影は何も残ってません。
強いて言うと、やはり地形でしょうか。公園の近辺はかなりの傾斜地となっており、高低差も相当あります。
あとは福徳寺門前の『花隈城天主閣之趾』の石碑も見ておきましょう。
福徳寺から南の花隈公園までが本丸だったようですが、同じ(推定)本丸にしては公園とは高低差がありすぎます。
個人的な推定ですが、本丸跡が福徳寺周辺とするならば花隈公園は本丸下段もしくは帯曲輪と思っているのですが、どうなんでしょう?地形自体が著しく削られてる可能性もありますからねぇ。

結論、城の遺構はほぼ無いに等しいのですが、公園の周辺を歩いてみると、当時のお城の姿が妄想できるかもしれませんよ??

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中川藤兵衛尉

花隈城 (2019/01/20 訪問)

城域が
 東:生田中学校
 西:本願寺神戸別院に入らないぐらい
 南:JR
 北:県庁通りくらいまで
というのを聞いたので再訪。後ろ二枚は去年の写真

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 型式不明[階層不明/築年不明/破却?]
築城主 荒木村重
築城年 永禄10年(1567)
主な城主 大河原氏
廃城年 天正8年(1580)
遺構 消滅
再建造物 模擬石垣、石碑、説明板
住所 兵庫県神戸市中央区花隈町
問い合わせ先 神戸市兵庫区役所
問い合わせ先電話番号 078-511-2111