とまつじょう

富松城

兵庫県尼崎市

別名 : 東富松城
旧国名 : 摂津

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小城小次郎

いつまでもこの姿が守られてほしい (2024/01/13 訪問)

市街地の中に奇跡的に土塁を残すこのお城の西側を南北に貫く市道「道意線」は富松城の土塁を基準線にしているのではなかろうか。道路拡幅と地主さんの心変わりがない限りこの土塁はいつまでも守られるだろう。守られてほしい。

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イオ

市街地の中の遺構 (2024/04/13 訪問)

詳細は不明ながら、室町中期に薬師寺氏によって築かれたと考えられ、大物城、伊丹城、越水城の中間地点に位置することから、戦国期には細川氏や三好氏の内紛で争奪戦が展開されました。織田信長の有岡城攻めでは河原林対馬守が陣を置いたと伝わりますが、その後は廃城となったようです。

この日は西宮北口での所用のついでに、阪急レンタサイクルで近隣の城めぐりをしました。富松城跡バス停の前に「中世の富松城跡を守ろう!!」の看板が立てられ、その背後に土塁と堀が南北にのびています。往時の堀は現在の市道にかかるほどの幅があったようです。バス停のベンチ脇には富松城跡の説明板も設けられています。土塁南端の道を東に入ると、柵が設けられていて中には入れないものの、土塁を内側から見ることができました。北辺にも堀があるようなので行ってみると、北西隅から県道沿いにしばらく東にのび、小道として緩やかに南に折れて続いていました。その途中の南北に金網フェンスが設けられたあたりも堀跡のようです。県道の北側には北方土壇と呼ばれる櫓跡があったようですが、現在は稲荷社の土壇にその痕跡が見られるのみです。

市街地の中に一部とはいえこれほど明瞭に堀と土塁が遺っているのは貴重なことですね。看板にあるように、ぜひこの歴史遺産を守り継いでいっていただきたいものです。
 

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しんちゃん

残ってるだけ凄いのかも。 (2023/08/12 訪問)

富松城はかつて細川氏の分裂抗争が尼崎に及んだ際に
尼崎城・伊丹城・越水城のほぼ中間地点に位置していたため
戦略上の要地であったと案内板には書かれています。
周囲はフェンスで囲まれていますが、フェンスごしに堀が
周囲を囲っているのがわかります。
南側に回ってみますがここも柵で囲まれていて入ることは
出来ません。‥ダメだわ。
遠目になんとなく郭らしきものが見えますが
木がうっそうと茂っていて良くわかりません。
しかたがないので次へ向かいます。

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武庫之荘駅より (2022/04/23 訪問)

 阪急神戸線「武庫之荘駅」より徒歩にて登城しました。土塁などが一部残っています。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 薬師寺氏?
築城年 長享元年(1487)11月以前
主な城主 薬師寺氏
遺構 土塁、横堀(水堀)
住所 兵庫県尼崎市富松2
問い合わせ先 尼崎市教育委員会
問い合わせ先電話番号 06-6489-9801