とまつじょう

富松城

兵庫県尼崎市

別名 : 東富松城
旧国名 : 摂津

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しんしんちゃん

残ってるだけ凄いのかも。 (2023/08/12 訪問)

富松城はかつて細川氏の分裂抗争が尼崎に及んだ際に
尼崎城・伊丹城・越水城のほぼ中間地点に位置していたため
戦略上の要地であったと案内板には書かれています。
周囲はフェンスで囲まれていますが、フェンスごしに堀が
周囲を囲っているのがわかります。
南側に回ってみますがここも柵で囲まれていて入ることは
出来ません。‥ダメだわ。
遠目になんとなく郭らしきものが見えますが
木がうっそうと茂っていて良くわかりません。
しかたがないので次へ向かいます。

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武庫之荘駅より (2022/04/23 訪問)

 阪急神戸線「武庫之荘駅」より徒歩にて登城しました。土塁などが一部残っています。

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やま

瓦林氏城跡 (2021/12/19 訪問)

子供の頃よく登った鷹尾山にある鷹尾城を築いた瓦林正頼公にまつわる城跡を自転車で回りました。鷹尾城址⇒越水城址⇒瓦林城址⇒富松城址の順で回りましたが、富松城以外は遺構がほとんど残っていない城跡でした。鷹尾城は登山口の案内板のみが残っていました。越水城はこちらも石碑のみしか残っていませんが、お城があったと思われる現在の住宅地が北側を除き、高台にあることがわかる地形で、特に東側の急な崖は恐らく切岸の跡かと想像できました。瓦林城は瓦林正頼公の居城で、1570年(元亀元年)に三好氏の家臣である篠原長房に攻められ落城した城ですが、こちらも城址に遺構はなく、日野神社の境内に城址碑が建てられていました。富松城は薬師寺氏によって築かれた城だと推定されています。戦乱のたびに城主が入れ代わった城で、三好長慶が摂津を治めていた時代には越水城の支城として利用されていましたが、織田信長の摂津進攻により越水城とともに放棄されたとのことです。現在城址には土塁、水堀の遺構が残っていましたが、柵が張り巡らされており、中には入れませんでした。

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ぴーかる

富松城 (2020/08/23 訪問)

【富松城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡の隣にコンビニ・スーパー等があります。
<交通手段>バイク

<感想>摂津国、バイクでちょこ城巡りのツーリング第2弾、7城目。ここ一帯は平安時代は富松荘という荘園だったらしい。あとは添付写真の現地説明板をご覧あれ。
城跡は柵で囲って中に入ることはできない。西側と北側に堀跡が見られます。北側の県道606号線を挟んで北側に櫓台跡があります。ここも柵で中に入れません。大切に守られている城跡でした。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 薬師寺氏?
築城年 長享元年(1487)11月以前
主な城主 薬師寺氏
遺構 土塁、横堀(水堀)
住所 兵庫県尼崎市富松2
問い合わせ先 尼崎市教育委員会
問い合わせ先電話番号 06-6489-9801