一本の素晴らしい名前のついた枝垂れ桜が見事でした!
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2024/04/23 08:45
2023/11/17 20:26
中世前期、後期の縄張りを残す城 (2023/11/12 訪問)
船山城は天竜川の支流と、同じく天竜川の支流である片桐松川に挟まれた河岸段丘の先端地に築かれています。南北朝時代に北朝方であった片桐氏の城で、天正10年の織田信長の信濃侵攻時に城主・片桐正忠は討死したと伝わります。先端部の遺構が多く残る部分は中世前期の城で西側の広大な果樹園から御射山神社、瑞応寺に至るあたりが中世後期の城とされています。おそらく通常は後期の城に住み、有事の際に前期の城を詰めの城にしたのではないかと考えます。果樹園を丘陵の先端部に向かって東に進むとゲートがあるので、そこから中に入ります。詰めの城は4つの郭から成り、郭の間を堀切で遮断し、土塁が一部残ります。尾根先をまっすぐ進んでいく形になりますが、郭の間に高低差もあり端部を石垣で補強してあるのであなどれない防御力を備えています。いくつか堀切をわたり詰めの城の最東部にたどり着きます。詰めの城としては十分な広さがあり、十分主郭の雰囲気を漂わせています。織田氏の侵攻時には最後にはここに籠って戦ったはずなので、詰めの城の最東部が落城時の主郭であったであろうと推測します。そう思うと神妙な気持ちになり一礼して主郭を後にしました。
補足‥漢字で「4つ」と入力するとエラーが出ます。ちょっとAIが過敏に反応し過ぎですね。数の入力もできないのはどうかと思います。
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2022/04/24 19:08
【城と標柱】 (2022/04/10 訪問)
畑の中(Ⅱ郭)にある「船山城 本丸趾」標柱
史料がほとんど存在しないため、確かなことはわからないそうです。山城と丘城の二つの構造を持ち、大きく二時期にわたって築城されたと考えられています。
標柱があるⅡ郭は、第二期の本丸だと考えられています。
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分類・構造 | 連郭式平山城 |
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築城主 | 片切氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 片切氏 |
廃城年 | 天正10年(1582) |
遺構 | 曲輪、堀切 |
指定文化財 | 県史跡(船山城跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 長野県下伊那郡松川町上片桐/上伊那郡中川村他 |
問い合わせ先 | 松川町商工観光係 |
問い合わせ先電話番号 | 0265-36-7027 |