【船山城】
<駐車場他>御射山神社前に神社駐車場3台分あり。
<交通手段>車
<見所>堀切・石垣
<感想>日帰り飯田・伊那地方河岸段丘平山城の旅7城目。現地説明板によると船山城は平安時代末から室町時代末に至る四百余年にわたり、伊那地方に栄えた片切氏によって築造されたものであり、1582年織田氏の侵攻によって落城するまでの間、片切氏の本拠地となっていた所である。また松川町のホームページによると、城は室町時代以降に南東方向の尾根上部分の曲輪群と広大な平坦地の削平地は別々に築造されたようです。
城跡は西の主要部の丘城部分と南東方向に船山である尾根上の連段曲輪の2局の構造に分かれます。主要部の部分は西の御射山神社西側に堀切があり遮断しています。主要部中心部に幅広の空堀跡があります。松川町のホームページには主要部にある石垣について記述がないので後世のものと思われますが、西端の獣柵の外側の下の方、竹藪まで石垣が残っているので、当時のものを利用していると期待したいところ。船山である尾根上連段へは果樹園の東のドン突きまで行くと獣柵ゲートがありますので開けて山に入ります。ゲートを開けるとそこが堀切になっていて、右手の尾根上に登ります。大きく深い堀切が2条あり、堀切前の土塁が虎口か何かの遺構で巨岩石積みが崩れたように見受けられました。見応えのある堡塁です。東端の出丸跡は広く、北面に虎口跡があり石列が残っています。
河岸段丘の城は、川側の周囲が谷の深い先端部に主郭を置いている城跡が多かったですがこの船山城は丘陵地の手前側に主郭を置いています。御射山神社の西の堀切は現在改変されていて、貯水池があったり、住宅地になっていたりしているので堀の規模は想像がつかないが、西側に広大な丘陵地が広がっているので、攻め込まれると結構イケイケな感じを受けました。
<満足度>◆◆◇
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