関市中心に位置する、孤立した比高90mの小山です。山の南西中腹の駐車場から、登城しました。登城道にチャートの露頭。硬そうです。土木作業はたいへんでしよう。
尾根の本丸手前に、展望台あり、関市周辺の城が眺められます。
急峻な斜面で守られていますが、小城であり、織田の大軍には抗しきれないですね。
昌官忠さんの中国地方と兵庫県遠征記投稿は、三分の一まできましたね。まさに怒涛ですなあ。
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2026/06/27 15:14
2026/05/05 11:20
2023/11/06 22:08
山城としてはちょっと心もとない (2023/11/03 訪問)
関城は永禄8年(1565)織田信長が堂洞城を攻めた際に、関地方を治めた長井隼人が陣を張った山城と、展望台にある案内板に書かれています。現在ではハイキングコースになっていて登り口はいくつかあるようですが、私は南側のトンネルの右わきにある御嶽神社の階段から登城しました。最高部が主郭になっていて特に遺構は残っていませんが、東側と西側にいくつか郭らしき扁平地があり、西端の郭には展望台が建てられています。主郭の北東側にも帯郭らしき箇所があり、そこに竪堀が一本残っているのが唯一山城らしい遺構のようです。
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2023/05/23 06:06
(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:関城 (2023/04/24 訪問)
宿泊先ホテルの朝食前に、安桜山公園駐車場入口(35.486805、136.916231)に向かいました。
最上段の駐車場脇に登城口があり、主郭まで400mくらいだと思います。
1528年(享禄元年)に、長井長弘によって築かれたと云われています。
その後、城主は斎藤龍興の重臣長井道利になり、中濃から東濃可児郡あたりまでを勢力下においていたそうです。
1565年(永禄8年)に織田信長が堂洞城を攻めたときには、長井道利が関城に布陣していましたが、堂洞城が落城すると長井道利は関城から退いたそうです。
その後、関に城主は置かれず、信長は代官を派遣し直轄統治したそうです。
登城口から進むと本丸跡の御嶽神社修験場に辿り着けます。
遺構らしきものは見ませんでしたが、展望台の一番上に関城の説明板がありました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=大洞城に向かう前に、一旦ホテルに戻り朝食をとりました。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 長井長弘 |
| 築城年 | 享禄元年(1528) |
| 主な城主 | 長井道利 |
| 遺構 | 曲輪、竪堀 |
| 再建造物 | 説明板 |
| 住所 | 岐阜県関市山ノ手 |