あすけじょう

足助城

愛知県豊田市

別名 : 真弓山城、松山城、足助松山の城
旧国名 : 三河

投稿する
本丸の長屋と高櫓
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

T-Shionoya

足助城で戦国の山城を体感 (2023/10/23 訪問)

香嵐渓の紅葉にはまだ早い10月後半に訪れた愛知県豊田市の足助城。

西三河の山間部、三河の平野部から信濃や美濃へ向かう中継点。
標高301mの真弓山の山頂を本丸とし、四方の尾根に無数の階段状曲輪を築いた山城。

発掘調査から15世紀以降に足助鈴木氏が築いた居城と推定され、情勢に応じて松平氏や今川氏、武田氏、そして家康に従属。
家康の関東移封で廃城に。

現在は戦国期の建造物が復元され、本丸から2~3段下の曲輪までを公開する城跡公園足助城。

訪問時に、公開範囲が極一部で意外と広い城であることを初めて知り、逆に鳥瞰図で興味の湧く西尾根中間部が未公開で残念。
縄張はシンプルで、見どころは櫓・長屋・柵列などの復元建造物。しかし南の丸の跳ね上げ戸は、戸が外されてました。

案内表示に従い時計回りで城内を巡り、滞在時間は2時間弱。
戦国期の城郭建造物にゆっくり浸った私の城郭巡りの163城目でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牛若丸

戦国時代の様子が復元されていました。 (2023/12/16 訪問)

一部工事のために通れませんでしたが戦国時代の様子が良く復元されていました。
当日は天気があまり良くなかったのですが、それもまた良きでした。
駐車場もあり車で行くのが便利です。バスで行くとかなりの山登りになります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

蘇る戦国の山城 (2022/07/16 訪問)

足助城は標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した連郭式の山城です。真弓山は、足助の街並みを見下ろす要害の地で、15世紀以降に鈴木氏が築城したと考えられています。鈴木氏がいつ頃、足助に入ってきたかは不明ですが、足助を本城として周辺の土豪衆を配下に治め、戦国時代足助地方で権力を奮っていました。16世紀に入ると、岡崎の松平氏(徳川氏)との間で、従属離反を繰り返しますが、1564年以降は松平氏のもとで高天神城の戦い等に、武勲をあげています。その後、1590年徳川家康公の関東入国に従って鈴木氏も足助城を去り、廃城となったと考えられます。(パンフより抜粋)

足助城は、戦国時代の鈴木氏の城を発掘調査により検出された建物跡を、戦国時代の生活を浮かび上がらせるくふうをするということで、数々の建物が復元されています。本丸には高櫓(天守)・長屋、西の丸には西物見台、南の丸は台所の役割をもつ曲輪で、建物2棟、高台には南物見台が、戦国時代の山城をそのままに復元されています。

足助城には7度目の訪問ですが、この季節に行くのは初めてです。と言うのも、真弓山と対面する飯盛山の麓には、愛知県でも指折りの紅葉の名所、「香嵐渓」があり紅葉の季節には、他県からも大勢の方が押し寄せています。
また、足助街道沿いの民家では、3月には雛人形が軒先に飾られ、観光客の目を楽しませています。この、街道からも足助城の高櫓を見ることが出来ます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

かなり久々 (2022/03/12 訪問)

いい景色!ここの建物は老朽化で壊されませんように。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 鈴木氏?
築城年 不明
主な城主 鈴木氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪
再建造物 模擬高櫓、模擬物見櫓、模擬冠木門等、石碑、説明板
住所 愛知県豊田市足助町須沢、真弓
問い合わせ先 城跡公園足助城
問い合わせ先電話番号 0565-62-0770