新城城は長篠の合戦の後、長篠城主・奥平信昌によって構えられたのが始まりとされています。彼の最初の妻・於ふうは齢13で武田の人質に送られ16で新城市のコオリ坂で山県昌景により磔にされてしまいました。信昌はこの城に移り徳川家康の長女・亀姫を正室に迎えラブラブ生活を‥ いい気なもんだぜ信昌さん。於ふうさんが可哀そうじゃねえかって、これが世知辛い戦国の世ってもんですか。
城址はほぼ新城小学校の敷地内となっており立ち入りはできません。ただ南東部から土塁のある城址南部に入れる箇所があり残存する遺構を確認できました。実はこの城に来るのは3回目なので裏手から入れるのは知っているわけです。
南東部には土塁と城址碑が残存し、かつての堀跡を確認することができます。南西部には堀が二重に存在し、土塁を一部確認することができました。城址の南部は豊川の造りだした天然の切岸になっています。ただ、さらなる天然の要衝である長篠城からここに移った理由は不明です。うらめしや~が恐かったわけではないと思いますが。
+ 続きを読む