しぎさんじょう

信貴山城

奈良県生駒郡

別名 : 信貴城、磯城
旧国名 : 大和

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ヨコちゃん

松永久秀最後の城 (2020/03/20 訪問)

信貴山朝護孫子寺の山頂にある信貴山城址。距離はそんなにないのですが、結構な坂道を登っていくので結構きつい(*´Д`)
城址まではわかりやすいですが、松永久秀邸跡は少しわかりにくいです。(跡もわかりにくいですが)
城址では、木製武者がお出迎えしてくれます。

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エグ1394

朝護孫子寺 (2020/02/19 訪問)

朝護孫子寺へいってきました。
立派なお寺でした。
信貴山観光Iセンターで信貴山城の御城印を購入しました。

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勝野武士

いざ、信貴山へ!(short ver.) (2019/09/07 訪問)

『城びと』の皆様、お久しぶりですm(_ _)m
前回の投稿から、実に四ヶ月以上…もう忘れ去られているかもしれませんが、今年もどうぞ宜しくお願いしますm(__)m

さて、本年一発目の投稿は、昨年9月に登城した信貴山城です。
信貴山城といえば、『稀代の梟雄』松永弾正久秀の居城として、また壮絶な最期を遂げた事で有名ですね。

今回は初めての信貴山。
信貴山は元々聖徳太子が物部氏との戦(丁未の役)に臨み戦勝祈願をして以来、今日まで一千四百年以上人々の信仰を集め続ける朝護孫子寺の境内であります。
信貴山城を最初に築城した(古代山城の高安城を利用したとも?)のは南北朝時代、楠木正成といわれていますが真偽は不明。戦国時代に木沢長政が信貴山上に築城し、永禄二年(1559)に松永久秀が大改修しました。
信貴山頂(雄嶽)を本丸(三層の天守?)として、大和國を牽制するかのように山頂から尾根を中心に扇状に無数の郭群を展開し、雌嶽や朝護孫子寺も取り込んだ大城郭だったようです。
織田信長によって落城したのは天正五年(1577)。久秀による大改修から18年後の事でした。

先に書いておきますが…すみません、朝護孫子寺を隅々まで堪能し過ぎました(汗)。
山頂へ向かおうとしている時間はすでに午後3時を過ぎていましたので、急いで本堂近くの虚空蔵堂横からの石段から、山頂の空鉢護法堂を目指しました。

約700mの九十九折れの山道を登り詰め、山頂に近づくにつれて郭跡らしき平坦地が所々にあります。

途中、雌嶽方面に別れる山道がありますので、まずはそちらへ。結構すぐに雌嶽山頂に着きます。
山頂には小規模ながら細長く明瞭な郭跡を見ることができます。

そして山頂へ。空鉢護法堂の手前、一段下がったところに石碑と説明板が設置されています。
山頂の空鉢護法堂一帯が本丸、そして久秀が平蜘蛛の茶釜とともに自ら爆死したという三層の天守があったとされるところです。
境内地ですので往時の面影を探るのは少々難しいですが、空鉢護法堂が一段高いところに建っていますので、なんとなくイメージ出来る…かも。
山頂の見所はやはり、久秀もかつて天守から目にしたであろう絶景でしょう。山道を急ぎ目で登ってフラフラの身体には眼福であり、澄み渡るそよ風が心地良かったです。

信貴山城はほとんど石垣を使用しない『土の城』だったようで、面影を探るにはやはり郭跡を堪能しましょう。山頂から少し下ると夥しい郭群を見ることができます。
中腹には久秀の日常生活の場と推定されている『松永屋敷跡』があり、城内でも最大の敷地面積を誇るとか。
そんな城跡内一番のメインであろう『松永屋敷跡』に向かおうとしましたが、この時点で午後4時40分…いよいよ薄暗くなってきたわ帰りのバスの時間も迫ってきたわで、ここまできて無念ですが、泣く泣く断念しました…。
松永屋敷跡、いずれリベンジします…(;´д⊂)

以上、隅々まで見ることが出来ませんでしたが、実際に訪れてみると思ってた以上に大規模な山城でした。
是非とも朝護孫子寺とセットで、マイカーで行くのがベストですが、ケーブルカーやバスなどで行く場合は夕方で便が終わっちゃうので、出来るだけ朝早くから訪れたほうが吉です。

そうそう、空鉢護法堂横の管理棟には、なんと本物の白蛇様がいらっしゃいます。堂守のご夫婦に申し出れば、見せていただけるかもですよ。
ちなみに私は見せていただけましたが、丸まって眠っておられました(^_^;
もっとも今は冬眠中な為ダメだと思いますが、ご興味のある方は如何でしょうか(笑)?

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中川藤兵衛尉

謹賀新年 (2020/01/01 訪問)

信貴山城の広義での城域である「ヒサモン堂」こと朝護孫子寺本堂で、三が日限定で秘仏公開をしています

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 天守櫓[4重/1559年頃築/焼失(落城)]
築城主 木沢長政
築城年 天文5年(1536)
主な改修者 松永久秀
主な城主 木沢氏、松永氏
廃城年 天正5年(1577)
遺構 曲輪、横堀(空堀)、土塁、門跡
指定文化財 町史跡(信貴山城跡)
再建造物 石碑
住所 奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1
問い合わせ先 平群町役場総合政策課
問い合わせ先電話番号 0745-45-1001