しぎさんじょう

信貴山城

奈良県生駒郡

別名 : 信貴城、磯城
旧国名 : 大和

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山頂の城址碑
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にのまる

松永屋敷跡に… (2019/01/12 訪問)

信貴山口から高安山駅まで西信貴ケーブルで。高安山駅から信貴山門まではバスが接続していました。(歩いてもいいかなーと思ったのですが、道路は歩行禁止でした😵)
朝護孫子寺をぐるぐるとまわって山頂を目指します。それなりに登りましたが、参拝者のための道は安全で、無謀な登山ではありません。
山頂の城址碑の横の解説板に、《空堀の切り通し堀、土塁、門などの城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡》とあり、期待大だったのですが、地図にはそれらしいものは載っておらず、道標もなかったので、秒で諦めました。
麓からずっと案内が出ていた松永屋敷跡は山頂から10分くらいのところでした。天守があった雰囲気があまり感じられなかった山頂とちがい、こちらは屋敷があった感、ものすごくありました。何と言っても住人がいらっしゃいましたし。「古天明平蜘蛛」と共に爆死しようとしている松永久秀さん?それにしてはかわいかった♪
屋敷跡は数段に分かれていてかなり広く、土塁や石垣もありました。先ほどの解説板の土塁や門跡とはここのことなのかもしれません。新しくて大きな解説板が三つくらいありました。
石垣が残る小さな平場もいくつかありました。120あったという郭の名残?
余談ですが、松永久秀が信長に献上し大和一国を安堵された「九十九髪(付藻)茄子」は現在、静嘉堂文庫美術館にあります。2016年1月に歩いて見に行きましたが(←そんなに近所ではない)、こんなにちっちゃくてぽてっとしていて可愛らしいものを、戦国ダークヒーローと呼ばれる人たちが領地と同じくらい競って欲しがったんだと思うとなかなか感慨深いものがありました。

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todo94

朝護孫子寺 (2006/04/01 訪問)

戦国物の歴史小説を濫読していてどうしても行きたくなっていたのが、松永弾正久秀の居城、信貴山城。信貴山朝護孫子寺は聖徳太子が蘇我馬子と結んで物部守屋を滅ぼしたゆかりもあるので聖徳太子像もある。織田信長に攻められ焼き尽くされているので重要文化財の建造物はないが、すっかりトレードマークとなっている張子の大虎などがあり、観光客でにぎわっている。宝物館にも入ってみたが、国宝の信貴山縁起は当然の如くレプリカだった。本堂の戒壇めぐりもやってみた。ここから、空鉢堂のある信貴山城址碑まで20分とのこと。千早城に比べれば石段がだいぶ緩やかで楽なもの。松永屋敷や堀切など良好な状態で残っているそうだが、案内表示などなくどこにあるのかはわからない。堅固な山城だが、信長の大軍の前には落城もやむを得ない。

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オダリン

梟雄松永久秀最後の城 (2009/04/11 訪問)

松永久秀が織田軍に攻められて亡くなった城だが、この頂に天守があったのだろうか。現在の空鉢堂が本丸跡でその一段下の腰曲輪に石碑と縄張り図付きの案内板がある。

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姫若子

信貴山城 (2014/04/28 訪問)

松永久秀で有名な信貴山城。
朝護孫子寺を進み、ひたすら登る。途中から土砂降りになったが、階段は登りやすかったのでそのまま進む。
とにかく静かな山。2人ほどお遍路さんとすれ違いながら、心臓バクバクしながらなんとか登り切る。

上にある石碑は大きめ。
そこから少しだけ登ったところから景色を楽しむも、とにかく雨がすごくて、結局松永屋敷の方には行けず。
残念、、なのでいつかまたリベンジ。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 天守櫓[4重/1559年頃築/焼失(落城)]
築城主 木沢長政
築城年 天文5年(1536)
主な改修者 松永久秀
主な城主 木沢氏、松永氏
廃城年 天正5年(1577)
遺構 曲輪、横堀(空堀)、土塁、門跡
指定文化財 町史跡(信貴山城跡)
再建造物 石碑
住所 奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1
問い合わせ先 平群町役場総合政策課
問い合わせ先電話番号 0745-45-1001