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小荷駄

亀山城 (2022/04/02 訪問)

道の駅作手の第二駐車場に車を停めました。トイレは城跡にはありませんでした。道の駅の隣がお城なのでお手軽でなおかつ整備もしっかりとしていただいてあり遺構も見やすくありがたいです。

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イオ

一日とことん観音寺城(表参道~観音正寺~伝本丸) (2022/03/20 訪問)

南北朝期に北朝方の六角氏頼が布陣したのが始まりとされますが、応仁の乱での攻防を経て、戦国前期に近江守護・六角氏の居城として本格的に築城されたと考えられます。足利義昭を奉じた織田信長の上洛に敵対するも、支城の箕作城が落城すると六角氏は観音寺城を放棄して甲賀に逃れ、そのまま戻ることなく廃城となったようです。

繖山の山頂から南東と南西に八の字形にのびる尾根とその間の南斜面に多数の曲輪群を配した巨大山城で、日本五大山城のひとつに数えられます。山岳寺院の観音寺(現在の観音正寺)をベースに築かれたと考えられますが、僧坊か曲輪か、寺院か城郭かの線引きは明らかではないようです。山上からは東山道に睨みをきかせ、南麓には御屋形跡(居館跡)や石寺(城下町)が広がっています。

まん防も解除になったので、念願の観音寺城へ。裏参道から登城するつもりでしたが、崩落の復旧工事で通行止めのため表参道から。料金ゲートが開くのは8時半からですが、少し前(8時17分)に通してもらえたので一番乗りかも!? と思いきや10台前後の駐車場はほぼ満車…。何とか最後の1台分に駐めて登城開始です。

表参道駐車場からは約400段の石段が続き、10分ほど登ると観音正寺です。観音正寺は聖徳太子と人魚の伝承のある西国三十三所の札所で、江戸初期に現在の位置に再興され、明治には彦根城の欅御殿が本堂として移築されましたが、平成5年の火災で焼失したため現在も諸堂の再建事業が続けられています。山門代わりの仁王像の近くにある観音寺城の説明板を読み、受付で入山料500円を支払い、休憩所で100名城スタンプを押し、本堂で手を合わせ、境内をひと巡りするといよいよ観音寺城に向かいます。

縄張図によれば、観音正寺から伝本丸までの散策路沿いにも多くの曲輪があるようですが、藪に沈んでいてよくわかりません。案内表示に従って進み、10分ほどで伝本丸に到着。伝本丸は北東部と北部に虎口が開口し、北東部は平虎口ですが、北部の搦手口は石塁を追加して喰違い状に改修されています。伝本丸は北部の虎口から西辺にかけてを石塁で囲み、石組みの貯水施設も見られます。また、伝本丸から東下には北辺に石組みの排水溝を備えた大石段が続き、安土城の大手道を彷彿とさせますが、発掘調査でば下方から大石段につながるルートは確認できず、大石段の用途は今なお不明のようです。

さて、大石段から伝三の丸(奥に石垣が遺っています)を抜けて、伝平井丸に向かいます(続く)。
 

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カズサン

勝山城博物館姫路城天守写し (2010/05/15 訪問)

 一乗谷城朝倉義景館跡復元城下町探訪を終えて12年前の平成22年5月中旬、勝山市に在る、姫路城を写した勝山城博物館を訪ねました、平成4年に勝山市出身の多田氏が財を成し故郷への貢献として勝山城への思い深くRC造模擬天守閣風の博物館を建造した。
 住所:福井県勝山市平泉寺町85-26-1 国道157号線恐竜街道から東側近くによく見えます。
 駐車場は北山麓に専用駐車場が有る。

 5重6階連立式望楼型姫路城写しの模擬天守閣、大天守閣、3重櫓、2重多聞櫓で連立式構造です、コンクリートですが良く出来ています、恐竜街道から眺めると惚れ惚れします。最上階からの眺めも素晴らしい。

 史跡上の勝山城は北北西約3km程の所、勝山市役所が本丸中心地です、市民会館が天守台跡だったようです、縄張り図付の案内板が有り藩校建物など残って居ります。

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釜次郎

山頂に殿様池と呼ばれる井戸が残る (2022/04/02 訪問)

戦国時代に佐々成政の配下となった中山氏が城主を務めていた山城。堀切や土塁、畝状竪堀群、井戸などが残る。山頂に井戸があるのは良い山城の証ですね。

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釜次郎

越中3大山城のひとつ (2022/04/02 訪問)

守山城は増山城、松倉城と並び越中3大山城と称されています。現地は公園化やドライブコースの敷設により失われた遺構も多いですが、石垣が残るなど当時の痕跡を確認することができます。

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カズサン

朝倉氏城館跡唐門がシンボル (2010/05/15 訪問)

 福井城の復元舎人門、復元廊下橋、本丸を外から内から探訪し歩いて柴田勝家の北ノ庄城跡を探訪終えて、12年前の平成22年5月中旬、南東に約10km程の所に在る一乗谷城朝倉義景館跡を目指す。
 車は城館近くに駐車場が各所有りますのでそこを利用、一乗谷川を越えて城館の近くの駐車場と記憶していますが?

 先ずは数拾年も前から一乗谷城の紹介写真は朝倉景義館の唐門でしたので懐かしさと初めてと言う感じで無く久しぶりと唐門から入城、発掘調査されて復元整備されポイントポイントに説明板が有ります、奥の苑池庭園も整備されツツジが盛りでした、館の周囲の堀も土塁も残って居り唐門左右の隅櫓台も痕跡が有ります、左右の土塁内側には小さいが雁木が数か所備わって居ました。
 
 山城部には行きませんが館上段の曲輪部分に諏訪館始め数ヶ所の庭園跡が残り発掘調査の上整備されて居ました。
 
 一乗谷川を渡り城下町、武家屋敷の発掘調査の上復元整備された町並み、武家屋敷を見学、昭和40年代からの発掘調査の成果で、平成7年頃に良くぞ此処まで中世城郭、城下町の復元をされたなと感心感謝です、けれど広大な一乗谷城域の発掘調査はまだまだほんの一部との事、末永い継続発掘調査研究が窺えます。
 
 一乗谷城の上下を守る虎口、下城戸跡を見学、巨石を用いた桝形虎口、土塁と堀も備わってる、上城戸は遠くから長い土塁を眺めて終了。

 山城部には行ってませんが見所満載な城郭です、中世城郭の城下町を含めて復元整備は日本唯一の特別史跡でしょう⁉

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todo94

県内の城めぐり2022⑨ 神之峰城(長野県飯田市) (2022/03/20 訪問)

久米ヶ城、伊豆木陣屋と同じく「甲信越の名城を歩く~長野編」所収の神之峰城(かんのみねじょう)にも行ってました。本丸にNHKのアンテナが立ち、民放のアンテナも立っています。出丸には久堅神社が建っています。曲輪の表示がしっかりとあり、展望スポットもあるなかなか見所のある城でした。無料の上久堅郷土歴史資料館にリーフレットが置いてあったので頂いて参りましたが、残部はあと1部になっています。この後、転戦した松尾城からも神之峰城を望むことが出来ました。

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橋吉

深い堀切 (2022/03/26 訪問)

薩摩半島の知覧から、クルマで2時間20分ほど、大隅半島の志布志へやってきました。

まずは志布志市埋蔵文化財センターへ、
入口で続日本100名城のスタンプを押すことができます。
また、志布志城(内城)の復元模型が展示されています。

城跡へは、志布志小学校隣にある無料の観光駐車場にとめました。
残念ながら雨が強くなってきたので、入口付近で撤収!

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朝田 辰兵衛

沖見城(新潟県上越市) (2022/04/02 訪問)

【おきみ じょう】別名を舟見城。標高:160m,比高:90m。山の名称が,なんと岩殿山。岩殿山中腹に天台宗明静院があり,謙信公の墓所があります。明静院には巨岩も祀られており,岩殿山のネーミングに関係しているのかな…と思いました。
麓には,岩殿山と明静院の案内パネルがあり,明静院のちょい手前に登城口があります。東側土塁(主郭)と西側土塁を分かつ堀切を直登します。案内用のピンクリボンが巻かれているので,登城シーズンで気象条件が合えば,徒歩約20分で主郭に到着します。
春日山城から直線で約2.5㎞です。海上警備のための支城。眼下には郷津(ごうづ)海水浴場が見えますが,当時は軍港でした。郷津という名は,国府の津(こうのつ)が転訛したと伝わります。
春日山城を攻め落とすことができるとすれば,それは海からと言われてました。最短距離で攻めるなら郷津から陸に上がり,沖見城を落として春日山城へ…となります。
「こんな重要拠点が整備されてないなんて,上越市は何しとんねん」って言いたいです。

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じゅんじん

ここら辺 (2022/03/04 訪問)

9年ぶり。看板が書き換えられていました。ここがお城だよね?付近はお寺や神社、寺跡があります。

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北風の又三郎

四国旅行2日目 (2022/04/03 訪問)

初めて四国に行きました。

1日目では、明石海峡大橋を通り渦潮を眺めつつ徳島市のホテルに泊まりました。

2日目の朝に徳島城に行きました。うどんは香川だけのものと思っていましたが、徳島にもたくさんうどん屋さんがありました。(うどん屋さんしかなかった) 朝ご飯にうどんを食べた後いよいよ徳島城に行きました。
徳島城は蜂須賀家政が現在のような城を築きました。現在は石垣や堀が残っています。近年に、鷲の門が復元されました。石垣は、徳島の青い石を使用しているようです。階段が急で、ガクガクでした。ちなみに徳島城から見える眉山は眉の形をしていることが由来だそうです。

この後は阿波おどり会館や、DMVという鉄道からバスに変わるという夢のような鉄道に乗りました。楽しかったです。
#徳島 #日本100名城 #石垣 #桝形虎口 #うどん 

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ryu

古代山城、鞠智城(2007年) (2007/04/29 訪問)

南阿蘇外輪の山を縦走した帰りに立ち寄った。
663年の「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷が日本列島への侵攻に備え西日本各地に築いた朝鮮式山城の一つで大宰府やそれを守る大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地だったらしい。
鼓楼、板倉、米倉、兵舎などが復元されている。

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ryu

掛川城再訪 (2011/05/04 訪問)

東京での用件にあわせて訪城。再訪となった今回は天守と御殿の内部をじっくり見学する。

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ryu

掛川城(2007年) (2007/04/26 訪問)

東京からの新幹線の帰路、掛川で途中下車して訪城。駅前から歩き、大手門、番所、天守閣、太鼓櫓、御殿と見て回った。

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ryu

久留米城(2007年) (2007/04/21 訪問)

毎年、春に筑後川河川敷で開催されるつつじ祭りに行き、久留米大砲ラーメン本店でラーメンを食べてから訪城。

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ぴーかる

勝楽寺城 (2022/03/12 訪問)

【勝楽寺城】
<駐車場他>勝楽寺前の駐車スペース
<交通手段>車

<見所>竪堀・石垣
<感想>勝楽寺城は室町幕府の樹立後の1337年、6か国守護となった佐々木道誉(京極高氏)が築城されたとされます。佐々木道誉は以降没するまでここを本拠地としており勝楽寺に墓碑があります。
 登山道は勝楽寺を入った右手にハイキングコースの案内板があり、石仏群の奥のゲートを開けて入ります。城跡までの途中に経塚や狐塚があります。城跡は南北にはしる細尾根上に連なる連郭式で南端に上ろう落としと言われる曲輪があります。この曲輪は眺望が良いです。上ろう落としの曲輪の北側尾根の西斜面には数条の竪堀が見られます。また主郭と大きい曲輪には堀切と西側斜面にかけていい竪堀が施されています。主郭は南全面と東西の隅および北側虎口から東側にかけてが石垣だったようで南面にはよく残されています。南と北の虎口付近には巨石が転がっており巨石造りの虎口だったことを思わせます。主郭の石垣は南面によく残っており、東南隅、西南隅付近にまでかけて石垣があったようです。主郭南面の石垣とその下に続く谷を利用した切岸とで見応えがあります。麓の勝楽寺の井戸の説明板に信長の攻撃を受けたとの記述があったので石垣遺構は戦国時代のものかもしれません。

<満足度>◆◆◇

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BUCHI38

石垣 続き (2022/04/03 訪問)

石垣の続きです。やっぱり綺麗。

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BUCHI38

石垣と桜 (2022/04/03 訪問)

加藤清正が築いた石垣が今も現存しています。なかには清正が印をつけた石垣や、清正を象徴する清正石というでっかい石もあります。石垣と空堀と桜を重ねるとうっとりします。

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POYO58

特別史跡の桜 (2022/04/03 訪問)

名古屋駅で買い物をしていた後、車で帰ろうとしたら、石垣と空堀が見えてきたのを見て、名古屋城に寄り道しました。石垣がもう綺麗すぎて興奮してしまい、家族と話す声も大きくなってしまいました💦天守閣を見る度、早く入れるようにならないかなーと思ってしまいます。天守閣に人生で入ったことが一度もありません😥桜と名古屋城が一緒になるとほんとに綺麗です。

空堀には鹿が二頭いました。名古屋城は空堀と石垣が多く、枡形虎口も最強です。徳川家康が築城した時の思いも伝わってきます。まあとにかくほんとに楽しかった😁

評価
遺構:5
建物の美:5
行きやすさ:5

評価も今回はオール5です。

攻城時間
30〜60分

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小荷駄

柿本城 (2022/04/02 訪問)

道の駅鳳来三河に車を停めました。そこから奥の満光寺さんの山門をくぐって行くと左側が登城口でした。道は急な坂でしたが手摺が付いていてしっかり整備されていました。15分程で本丸跡に到着しました。柵があったり門があったりと山城の雰囲気が満載でした。出丸跡が本丸跡より高い所にありました。この日最後の登城で夕方で時間がおしていたので早足で廻ったのでまた行きたいです。

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