平安末期に山本氏が築いたと伝わり、戦国期には京極氏の城として阿閉氏や浅見氏が城主となりました。浅井長政と織田信長が敵対すると小谷城防衛の拠点となりましたが、阿閉貞征が信長に降伏して開城。本能寺の変後は明智光秀に味方するも山崎の戦いに敗れて処刑され、山本山城も廃城となったようです。
朝日山神社と宇賀神社の2つの登城口がありますが、駐車場がわかりやすかった宇賀神社側から。この秋は各地で熊害の報道があり、宇賀神社裏手の登城口にも「熊出没注意」の看板があったので、熊鈴を装着して登城開始。若宮山古墳近くの防獣柵を抜けて、つづら折りの急坂をひたすら登ること約30分で二の丸に到着。
二の丸は重機で改変されているようで遺構らしきものは見当たりませんが、琵琶湖方向の眺望が開け、曇天ながら竹生島を望むことができました。二の丸の北には四方を土塁に囲まれた主郭があり、南、東、北に虎口が開いていますが、北の虎口はハイキングコースのために改変されたもののようです。北の虎口を出ると、直下に横たわる堀切を木橋で渡って一番馬場へ。一番馬場とその先の二番馬場は東西両辺に土塁をめぐらせています。二番馬場から北に続く曲輪群は5条の堀切で区画され、北端の曲輪は土塁で囲まれていました。北端で引き返すと今度は東尾根へ。朝日山神社からの登城道沿いに腰曲輪が見えますが、藪に沈んでいます。その先の虎口を抜けたところが三の丸で、北辺と西辺に土塁が見られました。
約半年ぶりの山城で少々足が疲れましたが、特筆するほどの遺構はないものの典型的な中世山城で、やっぱり山城は良いな、と改めて。この日はカメラを持ってくるのを忘れてしまいスマホでの撮影でしたが、慣れてないのでピンボケも多かったものの何とかなりました。
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