やまもとやまじょう

山本山城

滋賀県長浜市

別名 : 山本城、阿閉山城、阿閉城、(朝日山陣屋)
旧国名 : 近江

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①一郭(主郭内部)
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昌官忠

(東海&関西)遠征5日目:山本山城 (2025/05/19 訪問)

米原駅でレンタカーを借り、車で30分くらいで朝日山神社参道入口(35.445895、136.213348)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、 平安時代末期に山下兵衛尉義経によって築かれました。
その後、京極氏の被官阿閉氏の居城となりますが、永正年間(1504年〜1521年)頃には浅見氏の居城となっています。
浅見氏は一時期浅井亮政と対立しましたが、後にその傘下に組み込まれ再び阿閉氏が城主となりました。
織田信長による浅井攻めに際して、阿閉氏の籠る山本山城が1573年(天正元年)羽柴秀吉謀略によって開城となり、小谷城は孤立し落城しました。
「本能寺の変」で明智光秀に加担して、秀吉方の長浜城を攻めたために、「山崎の合戦」で光秀を破った秀吉に追討され、阿閉氏は滅亡し、山本山城も廃城となりました。

朝日山神社の脇の登山道から登りました。 道は険しく、休んでは登り40分ほどで登れました。
登りきったところで琵琶湖側の景色が広がります。本丸跡は土塁で囲まれ後ろに堀切が残されています。
攻城時間は75分くらいでした。次の攻城先=八講師城へ向かいました。

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イオ

小谷城防衛の拠点 (2023/11/04 訪問)

平安末期に山本氏が築いたと伝わり、戦国期には京極氏の城として阿閉氏や浅見氏が城主となりました。浅井長政と織田信長が敵対すると小谷城防衛の拠点となりましたが、阿閉貞征が信長に降伏して開城。本能寺の変後は明智光秀に味方するも山崎の戦いに敗れて処刑され、山本山城も廃城となったようです。

朝日山神社と宇賀神社の2つの登城口がありますが、駐車場がわかりやすかった宇賀神社側から。この秋は各地で熊害の報道があり、宇賀神社裏手の登城口にも「熊出没注意」の看板があったので、熊鈴を装着して登城開始。若宮山古墳近くの防獣柵を抜けて、つづら折りの急坂をひたすら登ること約30分で二の丸に到着。

二の丸は重機で改変されているようで遺構らしきものは見当たりませんが、琵琶湖方向の眺望が開け、曇天ながら竹生島を望むことができました。二の丸の北には四方を土塁に囲まれた主郭があり、南、東、北に虎口が開いていますが、北の虎口はハイキングコースのために改変されたもののようです。北の虎口を出ると、直下に横たわる堀切を木橋で渡って一番馬場へ。一番馬場とその先の二番馬場は東西両辺に土塁をめぐらせています。二番馬場から北に続く曲輪群は5条の堀切で区画され、北端の曲輪は土塁で囲まれていました。北端で引き返すと今度は東尾根へ。朝日山神社からの登城道沿いに腰曲輪が見えますが、藪に沈んでいます。その先の虎口を抜けたところが三の丸で、北辺と西辺に土塁が見られました。

約半年ぶりの山城で少々足が疲れましたが、特筆するほどの遺構はないものの典型的な中世山城で、やっぱり山城は良いな、と改めて。この日はカメラを持ってくるのを忘れてしまいスマホでの撮影でしたが、慣れてないのでピンボケも多かったものの何とかなりました。

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ぴーかる

山本山城 (2022/11/12 訪問)

【山本山城】
<駐車場他>宇賀神社側の登山口駐車場4台程度を利用
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>山本山城の築城は平安時代末期で清和源氏の一族の山本義経の本拠地となっていました。戦国時代には浅井氏の支城として代々伊香郡の国人であった阿閉氏の居城となります。時の城主阿閉貞征・貞大父子は姉川の合戦までは浅井方として奮戦し、また城の攻撃も撃退しますが、小谷城攻めの時に織田方に寝返ります。その後阿閉父子は羽柴秀吉の与力となりますが秀吉とは折り合いが悪かったようで、本能寺の時には明智光秀の加担をして長浜城を占拠します。阿閉父子は山崎の戦いで捕縛され処刑されます。その後城は廃城となったようです。
 ストリートビューで駐車場が確認できる宇賀神社からの登山ルートを利用しました。若宮山古墳の先の獣柵のゲートを開けて山に入ります。そこそこの急斜面を20分程登ると主郭手前の広い曲輪にたどり着きます。主郭も広く高土塁囲みになっており、南と東側に切虎口があります。主郭奥から連郭にそれぞれ深い堀切で仕切り見ごたえあります。眺望も良く奥琵琶湖と竹生島の夕日がとても綺麗でしたが、城跡の撮影に夢中になりシャッターチャンスを逃しました。下山時は日没後で急速に暗くなり新調したLEDライトが役立ちました。

<満足度>◆◆◇

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阿閉貞征 (2022/05/07 訪問)

 朝日山神社より登城しました。登って行くと三の丸に到達して二の丸、本丸となります。本丸は土塁もよく残っています。その奥には6本の堀切があります。浅くなっているところもありますが二重堀となっていたりして楽しむことができます。
道はハイキングコースとして整備されていますが急坂のところもあります。城址を抜けて歩き続けると賤ケ岳まで行くことができますが、約7Kmくらい歩くことになります。以前賤ケ岳は行ったことがあるので今回は行っていません。二の丸からは琵琶湖を見ることができ竹生島などが見えます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山本氏
築城年 平安時代後期
主な城主 山本氏、阿閉氏、浅見氏
遺構 曲輪、帯曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県長浜市高月町西阿閉他
問い合わせ先 長浜市教育センター
問い合わせ先電話番号 0749-74-4359