一宮城からの転戦です。徳島市立考古資料館駐車場(34.060189、134.470023)に駐車しました。
駐車場所から徒歩4~5分で矢野城入口(34.059310、134.468668)に着きます。
築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558~70年)に矢野駿河守国村が築いたとされます。
天正年間(1573年〜1592年)の城主は矢野駿河守国村で、1577年(天正5年)三好長治と細川真之が対立して長治が自刃すると、当時讃岐国虎丸城主であった矢野国村は長治を攻めた伊沢頼俊を討ちとり、十河家を継いでいた長治の弟十河存保を勝瑞城に迎えました。
1579年(天正7年)三好康長の嫡男で岩倉城となっていた三好徳太郎康俊は長宗我部元親に降伏しました。
このとき、徳太郎は三好方の武将に土佐へ攻め入る為に軍勢を率いて参陣するように命じ、これに従った矢野国村をはじめ、森飛騨守、三好越後守などが急遽軍勢を整えて岩倉城へ向かいました。
しかし、これは謀略で脇城などから打って出た土佐方の軍勢に襲われ矢野国村は討死しました。
矢野城は市立考古資料館の南側にある南東へ張り出した尾根の先端頂部に築かれており、現在頂上には城山神社があります。
主郭はちいさな段がある程度で、城山神社の境内に「史蹟 矢野城址」をはじめ「日本最初のクリスマス」、「室町幕府十四代将軍擁立」、「農兵活躍史」などの石碑が建っています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=芝原城に向かいます。
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