西側の日吉神社駐車場に停めて、神社左側から登山道に入って行きました。三の郭までの登山道の右手にはいつからか空堀が走っています。城の遺構か分かりませんが眺めながら山頂を目指しました。
参考訪問データー:55分:1.6km:累計高低差158m
標高234.4mの山頂周辺が城域です。北から南に、三の郭・一の郭・二の郭の順で一の郭から東に旧三の郭が有ります。見どころは一の郭と二の郭の境の堀切でしょうか。脇には高石積も残っています。こちらも訪問し易い城跡です。
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2022/12/27 19:53
訪問し易いです (2022/11/04 訪問)
西側の日吉神社駐車場に停めて、神社左側から登山道に入って行きました。三の郭までの登山道の右手にはいつからか空堀が走っています。城の遺構か分かりませんが眺めながら山頂を目指しました。
参考訪問データー:55分:1.6km:累計高低差158m
標高234.4mの山頂周辺が城域です。北から南に、三の郭・一の郭・二の郭の順で一の郭から東に旧三の郭が有ります。見どころは一の郭と二の郭の境の堀切でしょうか。脇には高石積も残っています。こちらも訪問し易い城跡です。
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2022/12/27 13:20
シンポジウム「今川館(いまがわやかた)の姿にせまる」を開催します!
令和4年2月に開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となりました、シンポジウム「今川館の姿にせまる」の振替日が決定しました。
日時:令和5年2月4日(土)10:00~16:00(開場9:30)
場所:静岡市民文化会館大ホール
受付開始:令和5年1月6日(金)~
申込方法や詳細は下記URLをご覧ください。
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/project/2022/12/post-91.html
文献史・考古学・都市史の分野の垣根を超え、各研究の第一人者の先生方にお集まりいただきます。先生方の貴重なお話や熱い議論をお見逃しなく!
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2022/12/27 09:58
シロノヒカリ (2022/11/06 訪問)
姫路城のシロノヒカリに行って来ました。
世界遺産の姫路城は、年に一度シロノヒカリというイベントを夜に行っています。
日中に見る姫路城とは、また違ったもうひとつの姫路城が浮かび上がってきていますね。
また、来年の2月11日より1ヶ月に渡って特別公開があります。
今回は、菱の門です。
菱の門と言えば、火灯窓が左右にあり、格子窓、武者窓もあります。
火灯窓は、伏見城より移築されたという説もありますが、真偽は不明です。
両柱の上の冠木に、木彫りの菱の紋を打っているところからこの名前が付いています。
門番部屋と馬見所があり、二階の櫓部内には3部屋あります。
この二階の櫓部に入るには、横の雁木を登り西側の火灯窓の隣に入り口があります。
二階の櫓部内は、初公開となります。
この特別公開は、行く価値が高いと思います。
西小天守も特別公開して欲しいと個人的に思っております。
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2022/12/27 08:45
細川越中守忠興屋敷跡 (2022/12/07 訪問)
大坂城三の丸にはかつて細川忠興の屋敷があり、屋敷跡の道路脇には細川越中守忠興屋敷跡の石碑が建てられています。また、石碑の道向かいには屋敷の台所のものと伝わる井戸があり、越中井の石碑と説明板が設けられています。
大坂城の細川忠興屋敷といえば細川ガラシャ最期の地として知られますが、越中井の石碑側面にはガラシャの辞世が刻まれています。また、越中井から南に徒歩3分の大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、細川忠興屋敷跡に建てられていることから、大聖堂入口右側にガラシャ像(左側には高山右近像)が、南東向かい側にはガラシャ慰霊塔が建てられています。カトリック信者でなくても見学できるようなので大聖堂内に入らせてもらうと、両脇のステンドグラスから差し込む光と堂内に響くパイプオルガンにより荘厳な雰囲気が漂っていました。正面奥には和装の聖母の両脇に高山右近と細川ガラシャを配した大壁画が掲げられ、右側にはガラシャの最期が描かれています。
…ということで、麒麟がくる紀行の一環としてガラシャの出生、新婚、幽閉、そして最期の地をめぐってきましたが、最期の地に立ってみて、改めて何とも言いいようのない気持ちになりました。ガラシャの生きざまに心を動かされる一方で、誰の記憶にも残らない平凡な一生であっても幸せに暮らせていたなら、という思いもあって……だめだ、やっぱ何も言えねぇ…。
# 訪問時に屋敷跡石碑の写真を撮りそこねていたので、翌週に雨の中を再訪する羽目になりました。やれやれ。
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2022/12/27 02:49
名城には何度行っても (2022/09/17 訪問)
何度訪れても深い堀や高い土塁、見事な遺構に大満足の滝山城です。
何度か訪れた事のある滝山城でしたが、いつ来てもほんと心踊る遺構たちです。
何回来てもまた違う見え方もする事もありますし、城巡りは辞められませんね。
実はこの日は払沢の滝を見に行くという事でこの地を通りました。
目的地に向かっている最中にに携帯のナビを見ながらまさか横を通る事に気がつきました。
たとえ別の目的があって近くに来たとしてもこんな素晴らしい城跡に寄らないなんて選択肢はありませんでした。
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2022/12/26 22:12
2022/12/26 20:15
日本100名城スタンプ巡りNo.4 松阪城(再攻城) 裏門跡、二の丸、月見櫓跡 (2022/12/11 訪問)
裏門跡、二の丸周辺の遺構★★★★☆ 石垣のみだけど状態はかなり良さそう。
友人と松阪城に行ってきました。もちろんこれも再攻城です。再攻城多くないかと思われるかもしれませんが、ご了承ください。
松阪城は織田信長と豊臣秀吉に信頼された蒲生氏郷が築きました。当時氏郷は29歳という若さでした。滋賀県の松ヶ島城から移ってきたそうです。氏郷は穴太衆を呼び、彼らに立派な石垣を築かせました。その後は何度か石垣の修復が行われ今の状態になりました。
1回目の攻城時は表門跡から入ったのですが、今回は裏門後から入ってみました。高石垣で枡形虎口を構成されていて近世の技術を想像しました。そして太鼓櫓跡を見て中御門跡を通って行こうと思ったら何と工事中でした。何と!石垣の積み直しが行われるようで通行止めに泣。仕方なく二の丸御殿跡を通っていきました。ここは広場になっていました。また徳川陣屋跡でもあったようで歴史のロマンを感じました。そしてさらに歩き月見櫓跡をそばにあるトイレ越しに眺めました。なかなか美しい石垣で結構高かったので櫓があったことが想像しやすかったです。たぶん櫓も結構大きかったんだろうなー。
さあ大周りですけど次はスタンプを押しに表門跡周辺へ足を運びます♪ 続く
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2022/12/26 19:58
気軽に楽しめる良い城跡 (2022/11/20 訪問)
こちらは石碑のある郭10に直接行く事が出き、気軽に石垣を楽しめる事が出来ます。
参考訪問データー・・・・・・・30分:0.5km:累計高低差50m(郭10駐車)
林道を上っていくと西郭群の石垣が左手に見えてきます。少し進むと石碑がある郭10、そこに停めて頂上付近の東西に300m程の範囲を廻りました。何といっても石垣が見どころです。案内板には頂上以外にも遺構の説明は有りましたが、予想以上の石垣に満足してしまって見ていません。こちらに限らず主郭に直接辿り着くと途中の遺構を見る事を放棄してしまいます。気軽に楽しめる良い城跡だと思います。
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2022/12/26 18:27
まさにここがキリスト教伝来の地だ (2022/07/04 訪問)
ザビエルが島津氏から布教許可を得たお城であり、まさにここがキリスト教伝来の地である。鹿児島を藩庁とした際、藩主の父・島津義弘は「一宇治城こそ藩庁に相応しい」と推奨したほど、島津氏にとって重要な場所だった。
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2022/12/26 17:58
往路は,京王多摩センター駅から歩いてみました。 (2022/11/28 訪問)
往路は,京王多摩センター駅から歩いてみましたが,すでに登攀が始まっています。もう少し,楽しめる景色を期待していたのですが,あまりの殺風景で足取りは捗りません。復路は下りでしたが,路線バスを利用。最寄りは「南野2丁目」バス停ですが,本数少。「落合6丁目」まで下ると循環路線に入るため,ここまで歩いて路線バスを利用しました。
相模と武蔵の両国府に小野という地があり,それを結ぶ道が小野路の由来ともいうらしいです。
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2022/12/26 16:26
「柏の城」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
柏の城は、武蔵の有力豪族であった大石氏が築いたとされる。戦国時代には後北条氏に服属し、小田原征伐の際に豊臣勢に攻められ落城したとされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
東武鉄道東上本線 柳瀬川駅 徒歩15分
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2022/12/26 16:22
「板橋城」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
板橋城は豊島氏の一族である板橋氏が築いたとされる。戦国時代には後北条氏に従い、小田原征伐の際に廃城となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
東武鉄道東上本線 ときわ台駅 徒歩10分
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2022/12/26 16:15
「旧二条城」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
旧二条城は1569年頃に織田信長が第15代将軍・足利義昭の居城として築いたとされる。その後、織田信長と対立した足利義昭は追放され、室町幕府の終焉とともに廃城となる。安土城の築城に伴い、旧二条城は解体され建築資材として再利用された。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅 徒歩10分
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2022/12/26 08:28
田んぼ道の先にあるお城 (2021/11/05 訪問)
車で登城しました。道路に案内板は設置されてありますが、周辺は道が狭いので注意が必要です。
駐車場には、新築の案内所とトイレが設置されており、訪問時には、案内所でボランティアの方が城の解説をしていました。
案内所の入口にて続100名城のスタンプを押印。
パンフレットも充実しています。
木などが程よく伐採されていて、城の遺構はとても見やすいです。
特に虎口の遺構は、とても立派です!!
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2022/12/26 08:26
玉造稲荷神社 (2022/12/07 訪問)
仕事で近くに来たついでに大坂城の三の丸跡をぶらぶらと。
大坂城三の丸跡に建つ玉造稲荷神社は、豊臣期、徳川期を通じて大坂城の鎮守社として崇敬され、境内には豊臣秀頼が社殿を再建した際に奉納した石鳥居(阪神淡路大震災で基礎が損壊したため上部と脚部に分けて移設)や、摂関家の当主らしく衣冠束帯姿をした豊臣秀頼公像、秀頼公胞衣塚大明神など秀頼ゆかりの史跡が見られます。
また、玉造周辺には前田利家・利長、宇喜多秀家、島津家久、鍋島勝茂、細川忠興、浅野長政・幸長・長晟、古田織部、増田長盛など名だたる諸将が屋敷を構えており、千利休の屋敷もあったようで境内には千利休居士顕彰碑が建てられています。
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2022/12/25 23:48
伝・並木屋敷跡。長者原廃寺跡も行きました。 (2022/11/27 訪問)
接待館から徒歩10分くらい。「並木屋敷(伝)」の説明板がありました。
抑えておきたかった場所なので、“伝”であっても、目に見える遺構がなくても満足度は高かったです。(写真①~③)
このあと長者原廃寺跡に行きました。(写真④~⑦)歩いて10分くらいです。
“遺構がなくても満足”の前言撤回するわけではないですが、目に見える遺構や復元された姿を目に出来るのはとてもありがたいし幸せです。
現地説明板に〈源頼朝も目にしたかった礎石群〉とありました。
「頼朝も城柵好きの礎石マニアだったか(゚д゚)!」
と急に親近感を感じ、帰宅後、吾妻鏡の現代語訳(吉川弘文館)を借りてみました。
文治5年(1189)9月27日の頁。
“草に覆われ礎石の場所もわからず……”
頼朝さんも藪漕ぎしたのかな( *´艸`)
ここまで歩いてきたので平泉駅まで戻るのがすごく面倒で、やっぱりレンタサイクル借りればよかったかなぁと思いつつ中尊寺から平泉駅までのバス便を検索してみたら一ノ関行きだったのでそのまま新幹線で帰れました。なんかよかったです。
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2022/12/25 22:35
2022/12/25 21:56
城行った‼️とは言えないな。 (2022/12/18 訪問)
お城エキスポを一日で切り上げ、日曜日は朝から房総の城廻りを計画。
前夜からの雨模様で怪しい雰囲気。
友人の父ちゃんから「今はキャンプ場になってるけど軽トラなら行けるよ」なんて情報をいただいていたが、道には軽く車止めが。あれ?一応車はやめとこうか。
仕方なく歩いて上がったが、アスファルトの道には本格的なゲートが‼️こ、拒まれている!
右に逸れて三の郭から山道を進み堀切を見た辺りからズリズリ滑りまくる。これ以上行軍不可能!そこに見えてるのに(;゜0゜)
武田氏の居城について詳しく見てみたかったが招かれざる客であることを理解し断念。
以前、友達が大多喜への道中に案内を申し出てくれていたのに、100名城スタンプ以外目もくれなかったあの夏の日の自分を悔いるのであった⤵️
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2022/12/25 21:25
幕末の要塞 五稜郭 (2022/10/13 訪問)
10月の函館旅行で寄った幕末の城を、築城順で振り返り。
3つ目は北海道函館市の五稜郭。
江戸期終盤の1803年、箱館港に面した箱館山の麓に築かれたのが箱館奉行所の始まり。
時は流れて幕末の箱館開港決定後、防衛の観点から奉行所を移転することに。
海からは当時の大砲の射程外となる3kmの位置。
東には赤川(現亀田川)が流れ、周囲は沼地だったとのこと。
箱館港からも遠すぎないその場所に、西洋式土塁の五稜郭は築かれました。
十字砲火を可能とする稜堡を5つ持ち、正面出入口には半月堡(馬出塁)を設置。
出入口の内側に見隠塁を置くのは日本の特徴でしょうか?
現在は五稜郭公園として函館のシンボルに。
建物では兵糧庫が現存し、2010年に奉行所庁舎の1/3を復元。
訪問時、その庁舎に入る時間はありませんでしたが、郭内・土塁上・水堀を回り、そして五稜郭タワーに上り滞在時間は2時間半。
幕末を代表する城郭が、私の城巡りの133城目となりました。
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2022/12/25 21:22
634 (2020/12/05 訪問)
熊本おまけ。城から少し離れますが、足を延ばせる方はどうぞ。
出生地はおろか、墓所すら定まらないのだそうです。宮本武蔵。
熊本県内だけで墓とされる場所が3つ。そのうちのひとつが「武蔵塚」(熊本市。2020年12月)。加えて福岡県北九州市の寺にも養子・伊織が建てたものがありますが、こちらも由緒定まらないとのこと。
かの巌流島決戦を含め、他流試合で負け知らずというのは本人談。一方で実戦経験はあまりないのだとか。10代半ばで関ヶ原。その後従軍したのは大坂戦役と島原でしょうか。
生まれたのが本能寺の2年後となると、多少の波乱要因に巻き込まれることはあっても、秀吉・家康の治世下で武士としての“野性”が買われる機会はほとんどなかったという見方も。
肩書きは兵法家。他方、木彫・金工など諸芸に優れ、特に水墨画の名手でもあったそうです。加えて著書を残すマルチぶり。領地・領民を有さず、上司からの命令や出世争いとも無縁。戦国武将と比べ、わりと怠惰な感性の持ち主だったかもしれません。もちろん良い意味で。
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