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カズサン

夏草茂る蒲原城 (2022/09/11 訪問)

 駿府城を終えて北東に道のり約30km程の蒲原城へ、今年の2月富士市未踏の城を初登城後、予備の登城を蒲原城と小島陣屋を抑えて居たのですが小島陣屋で終ってしまい、9月とは言えまだ夏の季節、草が茂り心配でしたが、蒲原城址駐車場に車を駐めて登城しました。
 心配の通り草が茂り、本郭北曲輪(善福寺曲輪)と北曲輪の北、東側の腰曲輪は草が大いに茂り探訪断念、本郭南曲輪は草茂るも何とかかき分けて鎮座する神社、北端で北曲輪を見下ろすが、草に覆われ良く分からない状態、同場所は富士山を仰ぐベストポジションですが、今日も雲に隠れて稜線が見えるだけ。
 登城路は台風11号後の長雨で湿って居り、蜘蛛の巣、やぶ蚊、ぶよが飛び、ストックで蜘蛛の巣を払い、防虫ネットを車に備えて居ながら持ってこず、草以上にてこずりました。山城は冬が良い!
 
 前回は平成28年3月23日で草も刈られてベストのタイミング、しかし富士山は霞んで見えるが写真写りは今一でした、蒲原城の登城は冬場から桜の頃が良いようです。絶景の富士山、駿河湾が見所で桜が有れば最高です。

 

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AJ

二本松悲録 (2022/09/13 訪問)

人の頭というのは存外重いらしい。負傷後に自害した隊長の首だけ持って退却しようとしたが1人では運べない。仕方なく2人で髪を持ってぶら下げて逃げたーー。

12-17歳で編成された約60人の「二本松少年隊」は会津の白虎隊同様、戊辰戦争の悲劇として今なお語り継がれています。北上する新政府軍を白河で食い止めるため、増援要請に応じた二本松藩。その結果、自分達の城内は致命的な人員不足に。そこで自ら参戦の意志を告げたのが子供たちでした。

親はしんどかったに違いありません。二本松城入り口に置かれた少年たちの銅像は有名ですが、実はその脇にもうひとつ。大人の陣羽織を縫い上げて子供用に丈を合わせる母親の像があることはあまり知られていません。

さて、肝心の城はというと、さすが元祖「100名城」というべき平山城。見応え、歩き応え十分。攻めにくさという点では、歩きながらふと伊予松山を思い出しましたが、それもそのはず。小田原後、蒲生氏の次に二本松に入ったのが加藤家だったのです。城は室町期から改修と拡大が繰り返されたため、遺構はバラバラで年代特定できないものも含まれます。そんな中、最も古いとされるのが本丸周辺。

95年に復元された本丸石垣は、北に天守台を備えています。ただ、天守そのものが存在したという記録はありません。もともとこの石垣は、直木賞受賞作「塞王の盾」で知名度が増した近江の石工集団・穴太衆が積んだもの(一部職人が蒲生の国替えに帯同)。復元作業でもその技術が伝承されているのがわかります。

とにかく一番古い遺構をお望みとあらば、本丸下南面の大石垣がおすすめ。大形の野面石(未加工の自然石)と粗割石を使った壁はかなりの威圧感。近くには今も湧き出している井戸。と、ここまで見せられると当然「籠城」オプションが頭に浮かびますが、実際にはそうなりませんでした。歴史の綾というやつでしょうか。

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赤い城

国道沿いの公園 (2022/08/21 訪問)

国道412号線沿いに山中陣屋跡公園があります。
駐車場もありますがやや入りにくいですかね。
公開には石碑が立ちますが遺構らしいものはなさそうです。
周囲を流れる水路が堀跡でしょうか。
荻野川西岸に位置し、荻野中山藩の藩庁となりました。
陣屋裏門が福伝寺に移築されているそうですが行ってません。

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小城小次郎

大祝の詰めの城として (2022/05/01 訪問)

諏訪大社上社前宮は諏訪の神が最初に降り立った地であり諏訪大祝(おおほうり)が精進潔斎した地でもあった。前宮の隣にあった干沢城はそんな大祝の詰めの城で周辺には町屋も栄えていたが、武田氏侵攻で全てを失ったようだ。

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加藤城乃助

御城印を買ったので現地に行こう(師戸城編) (2022/09/15 訪問)

師戸城の御城印は、結構前に佐倉ふるさと広場の売店で購入してそのままにしていたので、今回米本城と吉橋城と一緒に行って来ました。米本城、吉橋城を見て道の駅やちよで休憩しました。道の駅から新川サイクリングロードを印旛沼方面に向かい、船戸大橋を渡った所にらある印旛沼公園が師戸城跡です。
公園としてかなり整備されており、駐車場やトイレも完備されています。また、公園なので遊具等もあるので、子連れでも気軽に城攻め出来ます。
公園とはいっても、堀の跡等かなり良く残っています。

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加藤城乃助

御城印を買ったので現地に行こう(米本城編) (2022/09/15 訪問)

先日、まるごとしすいで家から比較的近い米本城と吉橋城の御城印を購入したので、自転車で行って来ました。新川サイクリングロードを海の方に向かい一つ目の橋がその名も城橋。橋を渡った辺りからかつての城跡なのですが、昭和40年代に主郭部分を土取りのために失われているそうです。現在は腰曲輪のあたりしか入れません。
この後は吉橋城を見た後、道の駅やちよで休憩を挟み、師戸城に向かいました。

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三重県総合文化センター (2022/09/15 訪問)

 戦国時代に築かれた城とのことですが、城主など詳細は不明とのことです。発掘調査後、道路工事で消滅した所を史跡公園として復元してします。空堀、井戸は残っています。土塁はどれが復元したものかよくわかりませんでした。
 津駅西口からバスに乗り総合文化センター前バス停まで行くことができます。バスの乗車時間は約5分で、徒歩でも20分くらいでしょうか。自分はバスが出てしまった後であったので行きは徒歩で、帰りはバスを利用しました。バス停から徒歩5分くらいで城址に行くことができます。

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阿由多神社 (2022/09/15 訪問)

 登城口の鳥居から登って行くと曲輪と思われる削平地があり、約10分で主郭である阿由多神社に着きました。境内には案内板があります。主郭の北より土塁を降りて散策すると、いくつかの区画にわかれていたことがわかります。空堀や土塁はいい感じで残っています。見ごたえがある城址です。主な道は整備され歩きやすいのですが、遺構を見ようと少し外れると、カズサンも指摘されていたように竹林や灌木で遺構が見にくく散策にも支障をきたします。蜘蛛の巣も多く払って進むのですが、うっかりすると纏わりついてしまいます。藪蚊の襲撃にもさらされました。もう少し竹林に突入して散策したかったのですが、気持ちが折れて撤退しました。帰りは軽四輪ルートから下りてきました。こちらも削平地が展開しています。かなりよい城址だとは思います。
 近鉄津新町駅からバスにより安濃バス停下車。バス停から徒歩10分+αで登城口である阿由多神社の鳥居に行くことができます。帰りは安濃バス停から津駅まで乗車して帰ってきました。

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イタさん

主郭部は良好に遺る丘城 (2022/09/14 訪問)

 周辺を領した千葉氏の重臣の印東氏が安貞元年(1227)に築城、また多くは応永年間(1394~1427)に印東氏が築城したと載る。その頃、成東は上総国武射・南郷と言い、築城者は南郷氏も名乗ったらしい。1530年頃、千葉勝胤・胤定が再興したと言われ、胤定は後に成東氏と名乗ると。天正18年(1590)に秀吉の小田原攻めにより小田原城は開城、成東城・成東氏も運命を共に。家康の関東入封後は石川氏・青山氏が入るが、元和6年(1620)廃城になったとある。
 城跡公園入口脇に小さいが駐車場がある。道の右は二の丸(城之内曲輪)、左は土塁状で道は本丸(愛宕曲輪)から二本目の堀になる。後刻、案内の縄張図を見て分かる。本丸(愛宕曲輪)西虎口前に左右に掘、土橋が現れる。堀の手前を時計回りに西から北、北東へ行くと、堀を越え北虎口で本丸に入れる。南の眺めは良いが、他は皆無。本丸の東に一段低く、本丸の1/3程度の曲輪がある。二の丸(城之内曲輪)は本丸より少し広めで、土塁などが遺り、北西末端は櫓台跡と言われる。二の丸から西に外曲輪があり、土塁・堀などあったが、宅地造成、テニスコートなど開発が進んでほぼ失われている。

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おっちゃん

利神城跡縄張図、平福御殿屋敷跡縄張配置図 (2017/09/23 訪問)

現地案内板より抜粋
(これで手持ち分作業完了)

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おっちゃん

有子山城跡縄張図 (2017/05/14 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

名胡桃城址縄張図 (2016/10/30 訪問)

現地案内板より抜粋

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カズサン

北馬出に鉄骨塀が復元 (2022/09/11 訪問)

 駿府城で静岡市歴史博物館プレオープン見学、葵舟乗船、情報館きゃっしる等探訪し、静岡市清水区東端の蒲原城を探訪終えて、帰路島田市に在る諏訪原城に寄る。
 火ノ島豊後守正宗さんの9月2日登城、9月5日投稿の写真の中、北馬出写真に鉄骨塀が写ってる?新しく増設されたのかな?との思いも有り夕刻に成りましたが16時半から17時に登城して、二の曲輪北馬出を中心に探訪しました。

 確かに北馬出の西側、薬医門から西側北馬出に土壇を築きその上に鉄骨塀が板屋根付きで出来上がって居ました、以前から有った中馬出からの続き鉄骨塀と同じ構造です。既にビジターセンターも閉まって居り復元建設の様子を聞くすべも無く、島田市のHP、博物館課文化財係に問合せ今年3月に復元完成したとの事でした。
 最終的には鉄骨塀のままでは様にならず、板塀にするのでしょうが、整備復元には時間が掛りそう。見守って行きます。
 諏訪原城も夏草に覆われてどこの山城とも同じこと、しかし通路は問題なく散策出来、見所の中馬出北側と北馬出、外堀北側、二の曲輪外堀沿い北側は草が刈って有り大変ありがたい、刈った草場辺りは長靴がよろしいかと思われます。

 昨年9月11日が最終探訪日でしたが1年ご無沙汰すると北馬出に新しく塀が出来てる、新しく発掘調査が始まってるとか、変化を感じます、中馬出、同三日月堀の整備も始まるそうです。
 定期的に探訪しないといけませんね。
 火ノ島豊後守正宗さん投稿写真ありがとうございました。
 

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にのまる

ほの門 (2022/06/10 訪問)

ちょっとヒリヒリしたにの門を抜けると、ぱっと明るいところに出ました。天守群はもう目の前で、遂に難関を突破したかと思いきや、門はまだまだ続きます。にの門の次はほの門です。
ほの門は埋門で、すぐにのぼり階段になっています。門にも種類がたくさんありますが、控えめでありながら防御力に優れ、塞がれたら即、戦意喪失してしまいそうな埋門が私はいちばん好きです。
ほの門を潜ると右手にあるのが油壁。鬼ノ城で見た築地塀を小さくしたような版築壁ですが、小さなほの門から見ると存在感を感じます。一見仕掛けはなさそうだけれどとてつもなく頑丈な壁は、当時は白漆喰仕上げ。きっと簡単には通させないぞと立ちはだかっていたのだろうと感じました。

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朝田 辰兵衛

これで,続日本100名城の書き込み完了です。 (2022/03/20 訪問)

宣言してから長かったですが,続日本100名城の書き込み完了です。これで,ゴールド3つ並んだハズ。実は,ラストをどこにしようかと画策しておりました。眺望のイイところで,天候に恵まれたところにしようかな…と。それで,座喜味城にしました。
越後に住みながら寒いのはキライで,移住するなら那覇か福岡天神が候補地というひいきもアリで…<笑>。

座喜味城ですが,ここも那覇中心部から路線バスでアクセスしました。
県庁北口→高志保入口間 路線バス(28番:読谷線),高志保入口バス停から,徒歩約25分で座喜味城公園入口到着。
公園に入り,しばらく歩くとグスク特有の石垣曲線美が見えてきます。
スタンプ設置場所のユンタンザミュージアムへは,座喜味城散策を終えてから入館しました。

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赤い城

真田氏発祥の地? (2022/08/21 訪問)

天徳寺周辺が城跡で駐車場もあります。
山門から入り左手の与一堂に説明板があります。
城では物見台だったのでしょうか。
天徳寺背後には墓地があり、北東部には土塁が残っていますがかなり低くなっていて良くわからない感じでした。
周辺の低くなっている辺りは堀跡と思われますが遺構はありません。
あの真田氏の発祥の地とされています。
元々は佐奈田と書かれていたそうです。
ロマンを感じることはできますね。

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おっちゃん

柳本陣屋絵図と空からみた柳本藩邸遺跡 (2017/01/07 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

目加田城古図、明治期地籍図(目賀田城付近) (2017/12/29 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

木津城跡現存範囲図 (2019/10/20 訪問)

現地案内板より抜粋

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たけちゃん

五稜郭 (2022/04/29 訪問)

4月に行きました。

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