たかおじょう

高雄城

京都府京都市


旧国名 : 丹波

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①文覚上人のお墓
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昌官忠

(東海&関西)遠征8日目:高雄城 (2025/05/22 訪問)

京都市営バスの槙ノ尾バス停から徒歩10分弱で、神護寺参道入口(35.055154、135.672918)に着きました。

781年(天応元年)愛宕五坊の一つとして神護寺の前身が築かれたとされる説や延歴年間(782年~806年)に和気清麻呂が神護寺を創建した説などがあります。
どちらにしても、高雄城の築城時期は不明のようですが、南北朝時代、神護寺により築かれ、戦国時代には城郭寺院となった神護寺の詰の城と云われ、細川氏により使用されたようです。

本堂裏手の多宝塔横から遊歩道が性仁親王・文覚上人の墓まで通じていて、この墓地が高雄城の郭の始まりのようです。
墓の裏手へと登るとすぐに三段の郭が現れますが、城域は整備されておらず、倒木やシダなどが生い茂ってます。
主郭の北には三日月状で土塁が残り、その向こうには大きな堀切がありました。 
主郭東下の郭から斜面に竪堀がありましたが、シダに覆われていてよくわかりません。
文覚上人のお墓の位置から京都市内が望めます。(写真撮り忘れました)
攻城時間は70分くらいでした。次の攻城先=八木城を目指す為、槙ノ尾バス停から西日本JRバス➡JRを乗り継ぎ、八木駅へ向かいました。
本当は、次の攻城先=神尾山城を目指す為、槙ノ尾バス停から西日本JRバス➡JR円町➡JR千代川駅➡京都府亀岡市ふるさとバスを乗り継ぎ、宮川バス停へ向かう予定でした。
しかし、西日本JRバスが遅延した為、電車に間に合わず60分待ちとなった為、神尾山城攻城は諦め、次の八木城に行くことにしました。

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神護寺 (2022/11/17 訪問)

 建武3年(1336)、新田義貞に与した神護寺に対し、城郭を撤去するよう足利直義が求めたことが文献からわかっているようです。神護寺もかなり要害の地にあると思うのですが、高雄城は神護寺の詰の城ということでしょうか。
 城跡の散策に来たのですが、神護寺の紅葉も楽しめました。

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神護寺より (2022/11/17 訪問)

 神護寺多宝塔の横から裏の山へ向かい、赤いドラム缶のある場所で左へ行くと文覚上人と性仁親王の墓があります。その裏に進むと段々となった削平地があります。道は概ね整備され比較的歩きやすかったのですが、城域は倒木、シダ類等により散策しにくいところもありました。見どころは主郭背後の堀切だと思いますが、中央の土橋に倒木があり少し残念な状態でした。堀切を超えると平坦地が続き、もう一つ浅い堀切があります。主郭周囲にも曲輪が展開しています。縄張り図を見ると竪堀があるようでしたが、シダが茂っていて確認できませんでした。
当城跡の最大の特徴は、山腹の神護寺と近接している点にあり、寺院と城館の関係性の大きさを文献史料からも裏付けられる点が重要(京都府教育庁 文化財保護課)とのことです。

 京都駅からJR西日本バスに乗り「高雄」バス停下車し神護寺へ行きます。拝観料を払い奥の多宝塔の裏から登城しました。紅葉シーズンであり多くの人が神護寺には訪れていました。城跡には誰もいませんでした。

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青もみじの神護寺 (2022/05/28 訪問)

京都高雄の神護寺は紅葉の名所です。秋には何度か行ったことがありますが今の季節に訪れるのは初めてです。京都の初夏の観光として「青もみじ」ポスターが駅などに張り出されています。
清滝川が作った急斜面の上、高雄山の中腹に建てられた神護寺自体が城の趣ですが、更に、背後の山頂に高雄城があります。実際に、細川家内紛の戦があったと。
神護寺多宝塔の脇を登っていき、分岐を経て、性仁親王墓に至り、そこがもう高雄城の城域です。かなりな高台で眺めがよいです。
よい季節なので、嵯峨嵐山駅から、京都一周トレイル道をたどり、高雄まで歩いてみました。清滝川沿いの道が爽やかでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 南北朝時代?
主な城主 細川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
住所 京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町他