伊勢上野城(三重県)を掲載。浅井三姉妹が織田信包の庇護を受けて幼少期を過ごしたお城と言われてきたが異説もあるらしい。分部氏2万石のお城でもある。遺構に乏しいとされるが切岸はほぼほぼ当時のままなのではなかろうか。意外といいお城だった。
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2025/12/07 10:22
2024/10/19 05:30
公共交通のみで(東海&関西遠征)4日目:伊勢上野城 (2024/09/25 訪問)
豊津上野駅から徒歩15分弱で、案内標識前(34.7904952、136.5446161)に着きました。
伊勢上野城は織田信長の弟、織田信包が津城の仮城として1570年(元亀元年)に築城しました。
「賤ヶ岳の戦い」の後、お市の方の遺児である茶々・初・江の三姉妹はこの城で過ごしたといわれています。
現在は、本城山青少年公園となっていて、本の丸跡には展望台が建てられており、2階にある資料室には伊勢上野城の復元模型が展示されています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=久居陣屋を目指す為、伊勢鉄道と三重交通バスを使って、伊勢上野駅から新家バス停に向かいました。
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2023/12/12 13:39
竹やぶのⅢ〜Ⅴ郭に進入 (2023/11/23 訪問)
鈴鹿市、津市の城巡り。鈴鹿山脈から離れた伊勢湾よりの城は、急峻な斜面を持った丘陵を利用したものが多いです。
お市の方の三姉妹が、賤ヶ岳の戦い後、ここ伊勢上野城で信長の弟の信包の庇護のもとに暮らしたと。信長の弟が入城しただけあって、造りが大きいです。Ⅰ郭、Ⅱ郭は、模擬天守が建ったり、駐車場、グラウンドだったりで、開けてますが、北東の浅い谷を挟んだ、Ⅲ〜Ⅴ郭は、竹やぶになっています。城びと先人のレポートには、竹やぶに進入したとの記載がなく、一方、「三重の山城 ベスト50を歩く」には、「この付近は竹が生い茂り見学は困難であるが、曲輪Ⅲ・Ⅳ間の土橋と両側の堀は規模も大きく、この城の見所の一つである」とあったので、突入して参りました。竹やぶは、3次元迷路まではいっておらず、土橋に至れました。郭縁の土塁と堀も乗り越えて行きます。郭の前面を除く三方に土塁を持つ形態の城は、付近の有力者、長野氏 の領域に分布しているのですと。
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2023/10/13 21:07
伊勢湾を見渡せる眺望に優れた城。 (2023/10/08 訪問)
伊勢上野城は織田信長の弟、信包が長野氏の一族の分部光嘉に築かせたとされています。後に
津城が完成すると上野城は津城の出城となり光嘉が城代になったとされます。台地の最高所に
本丸が築かれ周囲に土塁が残り、櫓台らしき箇所は展望台が建っています。南東に二の丸が
配され、かつてはその先に幅20mほどの空堀があったようです。二の丸の下段にも郭が存在し
墓地になっている郭は周囲に土塁が残っています。展望台からは伊勢湾が見渡せ、かつては
櫓台から伊勢湾を望むことが出来たのかもしれません。
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| 分類・構造 | 平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 織田信包 |
| 築城年 | 元亀元年(1570) |
| 主な城主 | 織田氏、分部氏 |
| 廃城年 | 元和5年(1619) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台 |
| 再建造物 | 碑、説明板 |
| 住所 | 三重県津市河芸町上野2861 |
| 問い合わせ先 | 津市河芸総合支所地域振興課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 059-244-1700 |