あしかがまさうじやかた

足利政氏館

埼玉県久喜市


旧国名 : 武蔵

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みんなの口コミ

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甘棠院 (2022/09/17 訪問)

 久喜駅より徒歩にて登城しました。館跡である甘棠院まで15分くらいでしょうか。空堀が一部残っています。ただ藪になっていて身にくいところもありました。

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赤い城

久喜に来たらつい寄ってしまう (2021/05/04 訪問)

鷲宮神社に行ったあとやはり城跡も、と立ち寄りました。
久喜駅から徒歩で15分くらいの甘棠院が跡地です。
山門脇に石碑、中門の両側に空堀が残っています。
空堀は北側にも残っていて墓地の裏側より見ることができます。
通常本堂には入れないようです。
墓地より柵越しに境内の五輪塔を見ることはできます。

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昌官忠

宇都宮/小山/古河日帰り遠征⑥ (2018/05/12 訪問)

「宇都宮/小山/古河日帰り遠征」の6城目(ラストです)は足利政氏館です。古河公方館からの転戦です。
古河城/古河公方館見学後、古河駅に向かいレンタサイクルを返却し、古河駅からJR宇都宮線で久喜駅下車。そこから徒歩で甘棠院(足利政氏館)を目指しました。

足利政氏館は埼玉県久喜市にあった城館。築城年代は明らかではないが、初代古河公方の足利成氏、あるいは彼の家臣が太田荘を防衛するために築いたと考えられています。成氏死後の1496年に、第2代の古河公方に就任した成氏の嫡男・政氏の居館です。
政氏は嫡男・高基と対立し、小山城、岩槻城と逃れた末に、最終的には政氏は隠居を余儀なくされ、この館へ移ったとされます。その後、政氏と高基は和解し、1519年(永正16年)に甘棠院(かんとういん)が建立され、現在も甘棠院の境内となっています。山門脇に石碑と案内板が設置されています。
攻城時間は古河城込みで90分くらいでした。

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城好きのメガネ

「県史跡 足利政氏館」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
古河公方になった足利政氏の館跡とされる。足利政氏は5代鎌倉公方であり、初代古河公方となった足利成氏の嫡男である。政氏は関東管領家と連携し、新興勢力である伊勢宗瑞と対峙した。しかし、政氏が関東管領と連携を強化するものの、嫡子の高基は相模の伊勢宗瑞との結びつきを画策し、父子の対立が表面化した。さらに、次男の義明が高基と対立し、安房の里見や真里谷の支援を受け、小弓公方として独立する。1516年、高基に古河城を攻められ、小山家なども離反し敗北する。後継の座を高基にゆずり、甘棠院に隠居した。現在、土塁や空堀が残されている。


<アクセス>
JR久喜駅 徒歩15分

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 足利政氏
築城年 永正15年(1518)
主な城主 足利政氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(足利政氏館跡及び墓)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県久喜市本町7-2-18他
問い合わせ先 久喜市文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0480-22-1111