おおつかじょう

大塚城

滋賀県東近江市


旧国名 : 近江

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①大塚城跡馬掛石
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:大塚城 (2024/10/06 訪問)

おーみ満喫パス(20141006)を利用して、今日1日の交通費(近江鉄道/近江鉄道バス/近江鉄道湖国バス)を節約します。(近江鉄道はICカードが使えないので、おーみ満喫パスを使えば改札が楽です)
八日市駅から朝日大塚駅に着きました。そこから徒歩5分くらいで、大塚城跡馬掛石前(35.051621、136.190883)➡線路北西側茂み入口?(35.051383、136.193234)付近を廻りました。

大塚城は、室町時代に六角氏の家臣・大塚氏によって築かれました。
詳細なことは定かでないようですが、大塚氏は近江守護六角氏に仕え、天文年間に六角定頼の下で大塚八郎右衛門が湖水の船手奉行をしていたそうです。

妙厳寺裏手の田んぼ中と寺の西側の集落の中に馬掛石があります。
近江鉄道の線路で分断されていますが、雑木林の北辺に大塚城内堀と土塁の一部が残っています。
電車の時間が迫っているので、駆け足で回りました。攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=和田城を目指す為、朝日大塚駅から電車で油日駅に向かいました。

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ぴーかる

大塚城 (2022/09/04 訪問)

【大塚城】
<駐車場他>城跡前のため池そば<35.051544, 136.193994>地点に少しなら駐車可能かと
<交通手段>車

<感想>日帰り東近江ちょこ城巡りの旅ラスト6城目。大塚城は室町時代に佐々木六角氏家臣の大塚氏の居館跡とされます。観音寺騒動の後は信長に降って蒲生氏に寄属したようです。
 先達方の投稿をきちんと見なかったので線路を隔てた向こう側の最大の見所の北西隅の堀と土塁を見落としちゃいました。駐車した場所の正面の現代の住宅跡だったかの朽ちた門から突入(藪化がすごい)内部をぐるりして東側から出れます。こちらの北側にもうっすら堀が残っています。線路が南北に走って城跡を東西に分断し、南側は道路が東西に通っていて、かなり盛土をしていると思われ構造がよくわからなかった。
 これにて今回の旅終了、終了時刻が14:00でしたが、近隣の城びと登録城は山城以外すべて攻略済でしかも暑かったので終了しました。走行距離約200㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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YAICHI

駅から0分 (2019/12/01 訪問)

大塚氏は近江守護六角氏の家臣で天文年間には湖水の船手奉行をしていました。城域は駅舎のとなりで線路によって分断されていますが、北西には土塁の内外に水堀が遺っています。ブッシュが酷く城内を歩くのは困難でした。

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近江鉄道が縦貫 (2019/10/11 訪問)

近江鉄道朝日大塚駅のすぐそば。水田脇に堀と土塁が残る。北側土塁の外側と内側に堀がある。草木が繁り、石碑は埋もれてしまいそう。堀におたまじゃくしがわさわさ。おたまじゃくしで越冬する蛙なんでしょうね。ツチガエル?

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 大塚氏
築城年 室町時代中期
主な城主 大塚氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)
住所 滋賀県東近江市大塚町