松任城は松任城址公園が本丸跡で、かつてはその周囲にも郭が築かれていたようです。
本丸にはかつての内堀の位置を示す石垣の一部が復元されているようです。
本丸南側はかつての二の丸で松任文化会館のあるあたりです。三の丸はその南の
願念寺周辺とされています。北は巨大な商業ビルが建つあたりからJR松任駅周辺まで
郭が存在したようで、以上を以て南北の城域を示し、東西にも郭が配され方形の城域を
形成し、その周囲を外堀が囲んでいたようで、その範囲は南北305m、東西301m余だったと
されています。
松任城は平安時代末期に当地を支配していた松任氏の館として築かれ、戦国期には一向一揆
松任組の拠点となったとされています。手取川の戦いの際には上杉謙信は松任城から、水島へ
兵を進めたと現地案内板には記されています。天正8年(1580)柴田勝家によって落城し、
鳥越城主・鈴木出羽守がこの城で謀殺されたとあります。後に加賀藩2代前田利長が2年、
丹羽長秀が11年在城し、その間に平城として整備されたようです。
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