そねじょう

曽根城

岐阜県大垣市

別名 : 曾根城
旧国名 : 美濃

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チェブ

頑固一徹、本丸を背にして走る。 (2024/01/04 訪問)

「大垣城」の後に「曽根城」に転戦しました。
稲葉 一鉄さんの居城です。
その後、西尾 光教さんが入りました。関ヶ原の戦では西尾さん、東軍。「大垣城」を攻めた功績で転封し、「曽根城」は廃城しました。
「大垣城」と「曽根城」の関係が敵対してたとは思いませんでした。
両城は、車で15分の距離です。西尾さんも敵方の進軍に緊張が続いたんでしょね。

『曽根城公園』に到着です。岐阜県で一番 大きな公園なんだそうです。大きな池と小さな池がありました。芝生の広場に誰かの銅像があり、奥は土塁のように見え、ダッシュしました。
『梁川 星厳と妻の像』
誰、、、?
調べてみたら、吉田 松陰さんや西郷 隆盛さんとも交友がある漢詩人でした。
安政の大獄で捕らえられる3日前に、コレラで亡くなったそうです。幕末の偉人に出会いました。
奥は土塁ではありませんでした。平野井川が流れているので、土手ですかね。サイクリングロードでした。
池をぐるっと回り退陣しました。
華渓寺を隔てた塀の前に写真①の説明板があります。
そこから振り向き、広場を本丸と勘違いし、土手を土塁と想像してしまいました。

それでも、素晴らしい「曽根城」だと思うのは、勝手に遺構に変換できる、頑固一徹な頭なんだもん。と、今更 言い訳がましい「曽根城」攻めでした。

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イオ

花菖蒲池 (2023/06/10 訪問)

揖斐川支流の平野井川の湾曲部の自然堤防に位置する城で、戦国前期に稲葉通貞が築いたとされ、稲葉氏代々の居城として知られますが、稲葉貞通が郡上八幡に移封されると西尾光教が城主となり、関ケ原の戦いの後に光教が揖斐に移ったことにより廃城となりました。江戸中期に稲葉良通(一鉄)の母の菩提寺である華渓寺が本丸跡に移転して、現在に至っています。

曽根城公園の駐車場から登城開始。華渓寺の前には曽根城跡の石碑と説明板が立てられ、境内の入口にも本丸跡の石碑と説明板があります。境内北側での発掘調査で検出した石垣は埋め戻されて駐車場になっていますが、地表面に石列が復元されています。なお、華渓寺西側のハリヨの池や北側の曽根の池は水堀っぽい感じですが、平野井川の氾濫によりできた切所池で、遺構ではないようです。曽根の池の西側に整備されている花菖蒲池は曽根城の家老だった斎藤利三の屋敷跡にあたるようで、南西隅に石碑が建てられています。この日は翌日に花しょうぶ祭を控え、2万7000株ものハナショウブも見ごろで、多くの人が訪れていました。さらに日没後はライトアップもあるようなので、夕食を摂ってから再訪すると、宵闇の中に照らし出されたハナショウブは実に見事でした。

この日のお目当てはこの花菖蒲池で、皇居東御苑の菖蒲田がなかなか良かったところに、城びとの記事で曽根城公園のハナショウブのことを知り、花しょうぶ祭は無理でもライトアップは見てみたい、ということでやって来た次第です。日付が替わる頃の帰宅になった上に前日は東京日帰り出張だっただけに、たいがい疲れましたが、それだけの甲斐はありました。
 

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:曽根城 (2023/04/27 訪問)

御茶屋屋敷からの転戦です。曽根城公園専用駐車場(35.403659、136.619731)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年 - 1569年)初期に稲葉良通(一鉄)によって築かれたと云われています。
稲葉氏は伊予国河野氏の一族で稲葉通貞の時に美濃にきて、土岐氏に仕えたと云われています。
土岐氏が没落すると斎藤氏に仕え、さらに織田信長、豊臣秀吉に仕え1588年(天正16年)郡上八幡に40,000石で移封となりました。
稲葉氏のあと西尾光教が20,000石で入封、関ヶ原合戦では東軍に属して大垣城攻めの功により揖斐城に30,000石で転封となり、曽根城は廃城となりました。
春日局の父は明智光秀の重臣であり甥(実際には従弟)とも言われる斎藤利三で、母は稲葉良通(一鉄)の娘です。後に稲葉正成の妻となっています。

現在は本丸跡に華渓寺があり周辺は曽根城公園となっています。
城塁、石列、堀を確認しました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=福束城に向かいます。

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ぴーかる

曽根城 (2022/04/09 訪問)

【曽根城】
<駐車場他>曽根城公園駐車場
<交通手段>車

<感想>曽根城は稲葉一鉄(良通)が永禄年間(1558~1569年)に築いた城で、その後、西尾光教が城主となる。西尾光教は関ケ原で東軍に属し戦後揖斐陣屋を築き移ったことで曽根城は廃城となった。埋め戻されていますが、本丸石垣が発掘されています。
 先達方の投稿を確認せずに行ったので痛恨のミスで本丸跡の華渓寺には行かず、石碑と説明板を撮影し忘れてしまいました。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 不明
築城主 稲葉良通
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 稲葉氏、西尾氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 (発掘調査:石垣、土塁)
指定文化財 市史跡(曽根城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県大垣市曽根町1
問い合わせ先 大垣市都市施設課
問い合わせ先電話番号 0584-81-4111