「大垣城」の後に「曽根城」に転戦しました。
稲葉 一鉄さんの居城です。
その後、西尾 光教さんが入りました。関ヶ原の戦では西尾さん、東軍。「大垣城」を攻めた功績で転封し、「曽根城」は廃城しました。
「大垣城」と「曽根城」の関係が敵対してたとは思いませんでした。
両城は、車で15分の距離です。西尾さんも敵方の進軍に緊張が続いたんでしょね。
『曽根城公園』に到着です。岐阜県で一番 大きな公園なんだそうです。大きな池と小さな池がありました。芝生の広場に誰かの銅像があり、奥は土塁のように見え、ダッシュしました。
『梁川 星厳と妻の像』
誰、、、?
調べてみたら、吉田 松陰さんや西郷 隆盛さんとも交友がある漢詩人でした。
安政の大獄で捕らえられる3日前に、コレラで亡くなったそうです。幕末の偉人に出会いました。
奥は土塁ではありませんでした。平野井川が流れているので、土手ですかね。サイクリングロードでした。
池をぐるっと回り退陣しました。
華渓寺を隔てた塀の前に写真①の説明板があります。
そこから振り向き、広場を本丸と勘違いし、土手を土塁と想像してしまいました。
それでも、素晴らしい「曽根城」だと思うのは、勝手に遺構に変換できる、頑固一徹な頭なんだもん。と、今更 言い訳がましい「曽根城」攻めでした。
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