揖斐川支流の平野井川の湾曲部の自然堤防に位置する城で、戦国前期に稲葉通貞が築いたとされ、稲葉氏代々の居城として知られますが、稲葉貞通が郡上八幡に移封されると西尾光教が城主となり、関ケ原の戦いの後に光教が揖斐に移ったことにより廃城となりました。江戸中期に稲葉良通(一鉄)の母の菩提寺である華渓寺が本丸跡に移転して、現在に至っています。
曽根城公園の駐車場から登城開始。華渓寺の前には曽根城跡の石碑と説明板が立てられ、境内の入口にも本丸跡の石碑と説明板があります。境内北側での発掘調査で検出した石垣は埋め戻されて駐車場になっていますが、地表面に石列が復元されています。なお、華渓寺西側のハリヨの池や北側の曽根の池は水堀っぽい感じですが、平野井川の氾濫によりできた切所池で、遺構ではないようです。曽根の池の西側に整備されている花菖蒲池は曽根城の家老だった斎藤利三の屋敷跡にあたるようで、南西隅に石碑が建てられています。この日は翌日に花しょうぶ祭を控え、2万7000株ものハナショウブも見ごろで、多くの人が訪れていました。さらに日没後はライトアップもあるようなので、夕食を摂ってから再訪すると、宵闇の中に照らし出されたハナショウブは実に見事でした。
この日のお目当てはこの花菖蒲池で、皇居東御苑の菖蒲田がなかなか良かったところに、城びとの記事で曽根城公園のハナショウブのことを知り、花しょうぶ祭は無理でもライトアップは見てみたい、ということでやって来た次第です。日付が替わる頃の帰宅になった上に前日は東京日帰り出張だっただけに、たいがい疲れましたが、それだけの甲斐はありました。
+ 続きを読む