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赤い城

秩父札所31番鷲屈山観音院の裏手に (2023/02/25 訪問)

観音院の駐車場に車を置き、側の登城口から登ります。
沢登りの感じで牛首峠を目指します。
急坂ではあるものの道がついていて迷うことはありません。
牛首峠は断層によるもので自然の地形だとか。
巨岩の堀切に圧倒されます。
まずは西側に進みます。
岩の堀切と櫓台状の曲輪を見学しました。
引き返し主郭を目指します。
炭焼き窯を経て段になった曲輪へと進みます。
東側には二郭、観音院へと下る部分に虎口状の遺構があります。
尾根で繋がる主郭には祠がありました。
その先を下ったところにも曲輪があり、さらに下からは竪堀も落ちていました。
詳細は不明の城ですが北条氏邦家臣の諏訪部氏の居城だったとされています。
巨岩が転がる登城路は一見の価値ありです。

にのまるさん、今井砦にお礼頂きありがとうございます。
結構歩き回る質なのでイケないところにも行っちゃってるかもです。
今井砦もロープの先に。
それっぽい地形はありましたが遺構なのかは?

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ぴーかる

阿賀城 (2023/02/12 訪問)

【阿賀城】
<駐車場他>下根集会所(南登山口)・基幹集落センター(北登山口)
<交通手段>車

<見所>竪堀・曲輪壁
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅7城目。お決まりのセリフ、初投稿いただきます。現地説明板によると阿賀城は中世には阿賀氏の城で戦国時代には毛利元就の家臣井上越前守光貞、左馬之助就任の2代の居城だったと伝えられます。
 登城道は北と南と2つあるようですが私は南の登城道をチョイスしました。南の登城口は<34.595691, 132.591674>にあります。一旦墓地?行く砂利道に出てそこに山頂まで800mの標識方向の山に入ります。登城道は途中まで樹脂製の擬木階段があるので迷うことなく行けます。山頂まで300m標識付近が山の鞍部になりこの辺りからが城跡となるようです。鞍部の反対側の山のピークに出丸のような削平地があります。山の鞍部には土塁があります。鞍部から少し登ると山側に竪堀と思われる凸凹が3条程あります。私は畝状竪堀に見えました。主要部は主郭南東側の鞍部から入ります。谷側に竪堀があり、右手が現地縄張り図の5郭になります。5郭はL字状の土塁があります。5郭の北西隅からも竪堀が見られます。主郭へは主郭から横矢が射られる小径を100m程通り主郭南側から入ります。主郭南側は1段下がって虎口曲輪のようになっています。主郭は広く井戸跡、東屋もあります。主郭から北方向に2郭・3郭と伸びています。曲輪壁が高く切岸が明瞭、迫力あります。眺望はいいのは望めず、結局北からの登山道はどこから合流するか分かりませんでした。
 城跡は整備され、なかなかの見応え、今まで城びと未投稿だったのが不思議、いい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

掛川桜が見頃でした (2023/03/08 訪問)

 外堀の代わりである逆川、両岸に咲く掛川桜が見頃となり家内と出掛けて来ました、大勢の方で賑わって居ました、車は大手門駐車場(有料)を利用。
 
 登城見学ルートは、大手門を潜ってビューポイントの大手橋からの眺めが素晴らしい、逆川両岸の掛川桜を入れて天守閣、太鼓櫓と間に在る四足門を合わせて撮影、鑑賞、大勢のカメラマンで場所取りが大変、まだ天守閣の修復中ですが仮設足場は撤去されて真白な天守閣が美しい、逆川南側の道沿い掛川桜を愛でながら緑橋へ、途中に天守閣を狙うが掛川桜が咲き誇り天守閣の全体姿が捉えられない。
 緑橋南から逆川沿いの桜の上に聳える天守閣、太鼓櫓を入れて撮影、三の丸からの眺め、本丸に登り工事フェンス越しに真白な天守閣を狙い、3月末までは天守閣、天守曲輪、天守曲輪登城路には入れない。
 二の丸庭園の掛川桜を入れて天守閣撮影、二の丸御殿玄関横より御殿屋根越しの天守閣を撮影、御殿には入りませんでしたが大勢の方が入場されて居ました、二の丸茶室へ向かい、抹茶のセットを頂き、部屋は今年1月に王将戦で藤井王将と羽生九段が対戦した部屋での接待でした。
 
 今年も掛川桜を見る事が出来ました。掛川桜は寒桜の一種で河津桜より小振りで咲く時期は河津桜より1週間から10日位の遅咲きです。
 

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北風の又三郎

大河ドラマ館そろそろオープン! (2022/03/05 訪問)

浜松城に行きました。あいにくの雨でしたが、天守もいけました。天守は、本来の大きさの3分の2で復興されています。石垣は、生々しい野面積で、当時の姿をよく残しています。大河ドラマ館開館まで後一週間という時に来ましたが、お土産コーナーや、一部の石垣を見ることができる建物などは開いていました。石垣は、浜名湖から運んできたものらしいです。ボランティアの方が、雨の中立っていて感謝感謝です。ちなみに、大河ドラマ館周辺にある木はオリンピックで使われたものらしいです。

周辺は、餃子店が沢山あります。僕は五味八珍という餃子屋さんに行きました。後、浜松はスズキが有名で、本社前にあるスズキ歴史館は、無料ですごいボリュームなのでおススメです。

浜松は魅力いっぱいだったので一度来てみる価値ありです。

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イオ

土塁とイチョウと移築門 (2023/02/04 訪問)

戦国末期に毛利広盛が築いたとされ、毛利氏は江戸期には尾張徳川家に仕えて明治までこの地を治めました。

城跡には土塁の前に説明板があり、土塁の上には樹齢300年を超えるイチョウの木が聳え、八神領主館址の石碑が建てられています。
また、城跡から南南西に約1.5kmの真福寺の山門は八神城一ノ門の移築と伝わります。城跡から南西に約3.6kmの民家の長屋門も八神城の移築らしいのですが、ずいぶん傷んでいるように見えました。
 

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にのまる

畠山重忠古戦場めぐり(濃い目のバーター) (2023/02/03 訪問)

今井砦訪問のあとバスで二俣川駅に戻り、駅の行政サービスコーナーで「畠山重忠ゆかりの地マップ」をいただいてから電車で1駅の鶴ヶ峰に移動しました。
訪れたポイントは以下の6か所です。

① 首塚
二俣川付近で戦死したあと、首が祭られたといわれているところ。大通りから少し入ったところでした。
② 首洗い井戸
首塚のすぐ近くです。かつてこの場所に重忠公の首を洗い清めたといわれる井戸があったのだそうです。
③ 畠山重忠公碑・さかさ矢竹
没後750年を記念して出生地の埼玉県深谷市と終焉の地、鶴ヶ峰の有志によって建てられた碑だそうです。かつて繁茂していたさかさ矢竹は消滅してしまったため、現在みられるのは新たに植えられたものだということです。
④ 薬王寺・六ツ塚
重忠公をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられているとのことで、お寺のまわりと道路をはさんだところに六基の塚がありました。薬王寺には重忠公の霊が祭られているそうです。
⑤ すずり石水跡
道路脇に標柱がありました。重忠公が鶴ヶ峰に陣をはった際にこの水で墨をすったと伝えられているとありました。
⑥ 駕籠塚
<武州鶴ヶ峰駕籠塚碑文>
『元久二年六月二十二日畠山重忠公ハ岳父北條時政ノ策謀ニ因り冤罪を被ムル
北條義時大軍ヲモッテ之ヲ迎撃セントス
重忠公一族百三十四士悉ク死ヲ決スルノ悲報秩父・菅谷ノ館ニ達ス
内室急遽北條に到ラントスルモ公既ニ戦死ス 悲嘆慟哭シ乗駕中殉ズ
駕籠塚ハ永ク其ノ霊ヲ弔ウテ今日ニ至ル』

「矢畑・越巻」と万騎が原の「重忠公遺烈碑」は行きませんでした。上記すべてまわっても1時間かかりませんでしたが、なかなかずっしり重く心にきました。
写真⑦がいただいたマップです。DL版もあります。
マップには、重忠最中・重忠銘茶・重忠まんじゅう、・重忠抹茶マドレーヌ・重忠クッキー・重忠あんぱん・重忠味噌・重忠いなり・重忠丼・重忠ジャムなどなど重忠ブランドのおいしそうなものもたくさん載っていました。

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ぴーかる

毛利元就生誕の地 (2023/02/12 訪問)

【鈴尾城】
<駐車場他>鈴尾城登山口休憩所に駐車可能
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅6城目。鈴尾城は別名福原城とも呼ばれ福原氏の居城でした。現地説明板によると、南北朝時代の1381年に毛利元春の5男広世が長井姓から福原村を与えられ福原姓に改姓しこの地に築城しました。第8代福原広俊の娘は毛利弘元の妻となり長男興元、次男の元就が誕生します。なので毛利元就は母の里であるこの城で誕生したとされます。福原氏は毛利家の重臣として毛利家を支えますが関ケ原後に毛利家の萩移封と共に福原家も移転し鈴尾城は廃城となります。
 登山口から少し登ると福原氏居館跡の削平地、毛利元就誕生地碑があります。そこを通りつづら折りを登ります。折れの途中から北方向に山に入り込むと2重堀切があります。戻って再び登山道を登り、段曲輪の最下段に入ります。曲輪を突っ切って先の奥に石組井戸が残ります。井戸の更に奥に進んで行くと広い曲輪があるようなのですが倒木と道がロストしていて断念しました。段曲輪の最下段に戻り4段程の曲輪の上が主郭になります。主郭には段曲輪と長方形の腰曲輪1つ、舌状の腰曲輪が2つ付いています。主郭は狭く小さく段状になっています。石積み跡のような石列も残っています。主郭南側にも大堀切と小さな曲輪、連続堀切になっていて斜面の中腹から回り込んでアタックしましたが斜面がきつく断念しました。全攻略ができず難しい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

戸吹トンネルを通過する選択は間違いだった… (2023/02/25 訪問)

JR秋川駅から徒歩で目指しました。途中,ショートカット目的で戸吹トンネルを通過。次第に具合が悪くなり,頭痛がし始めました。
トンネルを抜けて左に行かなければいけないところ,ボーっとしたまま右へ行ってしまうという大失態。気がつけば,明大中野八王子中学校・高校の裏山に登っていました。
尾根がつながっていれば下山しなくていいな…と思いましたが「この城はたしか崩落部があったな…」と思い,変なところにアクセスしても困るので登り直しました。
すでに夕方近く空はどんよりとし,風が強くなってきました。頭もまだスッキリとしなかったので,八幡社の北側空堀よりさらに北進することは控えました。遠景写真も失敗…<泣>。
東尾根ピークは眺望が開けていたので,物見や狼煙台として有効だったのではないかと思いました。

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侍ホリタン

五重の層塔型天守が存在した名城を訪ねて (2022/08/18 訪問)

明智光秀公が丹波攻略の拠点として築城したのが始まりです。徳川政権下で天領となり藤堂高虎公の縄張りによる天下普請が行われました。この時今治城の天守が移築されています。その後天守は明治政府の廃城令が出されるまで存続することになります。
JR亀岡駅を出てまっすぐ進むと数分で明智光秀公の銅像がある南郷公園に着きます。 そこから徒歩10分程度で受付事務所、事務所で拝観料を払い、拝観の説明を受けてからの見学となります。敷地内全体が宗教法人の所有地なので見学範囲が限られてます。天守石垣は見学できますが天守跡には入れません。

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WEST

宇都宮城址探訪 (2023/03/02 訪問)

宇都宮城址公園を訪問しました。
残念ながら戊辰戦争等で往時の建物は残っていませんが、土塁、櫓、堀等が復元整備されていました。

2つの櫓、清明台と富士見櫓は内部も見学ができ、往時の雰囲気を味わうことができます。
ちょうど桜の開花の時期であり、梅越しに見る櫓も良いものです。

公園の土塁下に「宇都宮城ものしり館」が常設されており、展示やボランティアの方の説明があり、事前に覗いてみると前知識が得られると思います。

自動車で訪問される方は、市役所の駐車場を無料で利用でき大変便利です。また、パンフレットも用意されています。

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イオ

丸毛兼利推し (2023/02/04 訪問)

室町中期に土岐氏家臣の福束益行が築き、その後は丸毛氏代々の居城となりましたが、関ケ原の戦いでは丸毛兼利が西軍についたことで松ノ木城の徳永寿昌や今尾城の市橋長勝ら東軍の攻撃を受け(福束城の戦い)、大垣城に逃れ、戦後に廃城となりました。

揖斐川に複数の支流(水門川、牧田川、相川)が合流する舟運の要衝に築かれた平城でしたが、木曽三川分流工事により遺構は消滅しており、福束城に隣接していたとされる福満寺(分流工事により現在地に移転)に「丸毛兼利と関ケ原の戦い」の説明板が立てられているくらいです。また、福満寺から東に約3.7kmには、福束城の戦いでの両軍の死者を埋葬した北塚(と説明板)があります。

…と、見るべきものは限られているものの、輪之内町では大いに福束城と丸毛兼利推しで、町立図書館内の歴史資料館には福束城のコーナーが設けられ、パネルやジオラマ、福満寺に伝わる福束城跡が描かれた版木(複製)が展示されています。さらには丸毛兼利を主人公とするアニメ「丸毛戦記」制作に、先日開催された第3回丸毛サミットも盛況だったようで、かなりの力の入れようです。かく言う私も、丸毛サミットにあわせて輪中の城めぐりをするつもりだったのが、当日に別用が入ったためにわざわざ半月繰り上げて訪れるなど、輪之内町にうまく乗せられている気もします(笑)
 

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todo94

京阪沿線③ (2023/02/18 訪問)

願得寺がその故地とのことですが、城に関する表示はありませんでした。願得寺境内山門横に「天雨華」てんうけ というアート作品が設置されていました。「天雨華」のリーフレットも頂いてきました。

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ぴーかる

桂城 (2023/02/12 訪問)

【桂城】
<駐車場他>駐車場はなし。ごみステーションのある道路脇<34.631842, 132.649698>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・竪堀・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅5城目。桂城の築城は戦国時代初めに桂広澄によって築城されました。桂氏は毛利家の庶家である坂氏の分家で桂広澄が坂氏の嫡流でしたが分家して桂氏を興しました。やがて本家の坂氏が毛利元就に謀反し尼子氏に通じた為に広澄は責任を取り自刃します。無実であった為に毛利元就は子の元澄をそのまま宿老として一族を存続させます。関ヶ原後に城は廃城となります。桂氏の末裔は桂小五郎(木戸孝允)や桂太郎(内閣総理大臣)を輩出します。
 桂城は独立した山に築かれており、山の尾根上に沿って曲輪が築かれた連郭式の山城です。大きく西の城・中の城・東の城に分かれています。登城口(国道から案内あり)からの案内に登っていくと中の城に着きます。中の城は西と東の城を繋ぐような役割があったようで尾根上を比較的広く削って削平地にして堀切で仕切っています。
 先に西の城に行きました。中の城の尾根上から行くと主郭手前の堀切を渡り切岸を登るとまず主郭に入ります。主郭から西側と北側に段曲輪が多く派生しています。北側斜面には竪堀と堀切が入り乱れて凄い見応えがあります。主郭南側に土塁があります。
 東の城は西の城より比高が高い位置にあります。ここも尾根上から行くと主郭に入り込みます。東の城の主郭は広いです。主郭から北東方向に段曲輪が3段程伸びています。段の高さが非常にあり、堀切で仕切り非常に見応えがあります。
 下山し最後に桂広澄公墓所にお参りしました。城跡の広さとダイナミックな遺構で堪能しました。いい城跡です。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

防御思想が永世中立国のそれみたいだ (2022/11/10 訪問)

世田谷城の支城とされ旗本服部氏の陣屋もあったが正確な場所はわからず六所神社のあたりと推測されている。それにしても世田谷吉良氏の支城群はやたらと密で、その防御姿勢はさながら永世中立国のそれと似ているような気がする。

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城巡り500城

素晴らしい土のお城です (2023/03/05 訪問)

地元の方の努力で維持されている素晴らしいまだまだ未開発な土の城です(これが良いです)規模もなかなかのものです、まだまだ分からないところもあるようです、東京からなら半日コースですぜひ訪れてみては!

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赤い城

尾附城 群馬県多野郡神流町 (2023/02/25 訪問)

ドコモの鉄塔横に1台分の駐車スペースがあります。
ここから登ります。
一応神社の参道で石段にはなっているもののほぼ直登状態。
石段の体をなしていません。
登ったところが主郭で神社が建っています。
ここから東西へ尾根上に展開しています。
まずは西側の二郭側、堀切があります。
ここの地盤は脆く、崩れやすい感じです。
戻って東側に。
こちらにも深い堀切があります。
この尾根の両サイドは急な崖で落ちたらひとたまりもありません。
ちょっと恐怖を感じました。
秩父からも峠越えでアクセスも難しいエリアかと思います。
おすすめか、と聞かれると微妙ですが悪くは無い城かと思います。

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イオ

竹藪の中の内堀 (2023/02/04 訪問)

室町中期に高木氏が築いたとされますが、詳細は不明です。関ケ原の戦いの際には高木正家の居城でしたが、西軍についたことで松ノ木城の徳永寿昌や今尾城の市橋長勝ら東軍に攻められて落城し、廃城となりました。

城跡は本慶寺になっていて、来客用駐車場に車を駐めて登城開始。本慶寺の門前には津屋城跡の石碑と説明板が立てられており、山門は津屋城城門の移築と伝わります。説明板によれば、山門をくぐった本堂が建つあたりが二の曲輪で、南辺に土塁が続いています。本堂の奥の一段高いあたりが一の曲輪で、奥へ通じる門はあったものの、スズメバチ注意の表示に加えて鍵がかけられていたため断念しました。
山門を出て南側に回り込むと、南辺の土塁の外側に内堀がある…にはあるんですが、竹藪と化していてよくわかりません。それでも何とか突入できそうな箇所から竹藪に入ると突入箇所は土橋状になっていて、その両側に内堀が続いているのが確認できました。とはいえ、倒竹が激しかったのでそれ以上は踏み込めず、撮った写真も我ながらただの竹藪にしか見えませんが…。
 

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じゅんじん

長野氏 (2022/12/30 訪問)

鎌倉殿の13人で登場の子供が三重に土着。主郭はそれなりの広さでした。

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赤い城

ひたすら登ってひたすら下る (2023/02/25 訪問)

宇賀神社の奥宮から登って行きます。
駐車場もあります。
まずは尾根道があるのでひたすら登って行きます。
15分くらいで広い削平地に着きます。
ここが北曲輪のようです。
さらに登って行きますがここからは道はなくひたすら上を目指します。
北曲輪から15分くらいで段になった曲輪に。
その先が主郭、さらに南の高い位置に鐘撞場があります。
ここが主郭だったのかもしれません。
南と西に尾根が伸びています。
登った割には遺構は今一つ。
なのでわざわざ登ることも無いと思います。
長尾景春の乱で太田道灌に攻められた景春が築いたとされていますが詳細は不明です。
他のサイトでも「帰りに注意」とあるように目印を見つけておかないと遭難の危険性あり。
GPS利用、もしくは目印を見つけながら登ることをおすすめします。

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じゅんじん

城山公園 (2022/10/22 訪問)

鹿島神宮の向かいの山になります。駐車場も完備。桜が咲くときれいだろうな。

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