洗馬城から転戦。砥石城駐車場(36.419877、138.291654)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)には葛尾城の村上氏の支城でした。
1550年(天文19年)甲斐の武田信玄が北信の村上氏を攻めるため、村上氏の属城であった砥石城を攻めます。
籠城兵はわずか数百であったが、志賀城の残党が中心となっていため士気が高かったと云われ、数千とも云われる攻め手を打ち負かし、武田の武将横田高松も討死しました。
やがて葛尾城から村上義清の軍勢が後詰めにあらわれると、武田軍は挟み撃ちとなり敗走した。これを「砥石崩れ」と呼んでいます。
武田軍を撃退した砥石城であったが、翌1551年(天文20年)真田幸隆の調略によって落ち、武田勢によって改修されました。
その後、村上氏は没落し、武田氏も滅亡、やがて真田氏の城となりますが、上田城が築かれ役目を終えました。
砥石城は米山城、砥石城、本城、枡形城からなる山城です。
整備された登山道があり登山口はいくつかあるようですが、道案内があり、わかりやすい南の登山口から攻城しました。
そこから北へ向かうと本城、その間に大手口があり、さらに北に枡形城、南西峰に米山城があるようです。
残念ながら、時間の都合で米山城、本城、枡形城は攻城できず下城です。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=和合城に向かいました。
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