【ハイキングスタート】
JR湯河原駅から城山ハイキングコースに沿って歩きました。(元箱根行きバスは現在運行していないようです。)ウォーキングマップはDLできますが駅の観光案内所でも同じものがいただけます。
駅前でまず土肥実平夫妻銅像をチェック。ここから城願寺にかけての一帯に土肥氏館があったとされ「城堀」という地名が残っています。
JRのガード手前に「城山(土肥城跡)3,600m」と書かれた最初の案内板。コースマップでは山頂まで約80分となっています。道中長くなりそうなので城願寺には寄らず、ひたすら上を目指しました。
延々と続く坂道を30分ほど登ったところで「近道(急坂)」と「まわり道(ゆるやか)」の分岐に来ました。近道の方を通りましたが、ここまでもずっと急坂だったので特別キツイということもありませんでした。「まわり道」と合流してからは急坂はなく(城堀林道)、眼下の景色を楽しみながら落ち葉の絨毯が敷き詰められた道をサクサクと歩けました。
【伝承① 兜石】
そして10分ほど進んだところでやっと見えてきた「兜石」の案内板。
ハイキングコースを逸れ、草むらをかき分けながら斜面を70m登ります。ここは石橋山の戦いに敗れた源頼朝が逃げまどい彷徨った山。その足跡をたどっているのだと思うと、何者かに追われているような気がしてドキドキしてきます。70mってこんなに遠かったかな?と思いながら歩を進めると、真正面に大きな岩が現れました。
頼朝が休息を取るためにかぶとを脱いで置いたと言われるその石は、石そのものが兜の形をしているためにそのような伝承が生まれたのだろうと思いますが、実際に目の前にすると疲れきった大泉洋さんの姿が目に浮かび、伝承にすぎないと一蹴する気にもならず暫く立ち尽くしてしまいました。
【伝承② 立石】
ハイキングコースに戻り15分ほど歩くと「立石」の案内板です。
案内板から80mほど山道を下りますが、階段を整備してくださっているので難所ではありません。立石は、頼朝が運試しにこの大きな石を投げて垂直に立てばいつか天下を取れるが、立たずに倒れてしまえば自分の時代はなく、このまま滅びるであろうと念じ投げたという謂れのある石です。石は見事、山の中腹に立ち、そのおかげで運が開いて頼朝は鎌倉幕府を築いたと言い伝えられています。
地面に斜めに突き刺さっているように見える大きな石。木の陰から顔を出しこちらを伺っているようにも見えます。一見「力持ち伝説」のようにも思える石ですが、頼朝が運を味方につけて幕府を興したことを語り、伝える石です。事実、この山中から脱出できたのは運以外の何ものでもないと言っても過言ではないようですし。
【主郭に到着】
再びハイキングコースに戻り歩くこと10分。空が近くなり、遂に深い森を抜け出しました。ゴール間近か⁉︎
しかし、案内板に書かれた文字は「山頂まで900m」。
90mか、90.0mの見間違いではないかと近づいてよく見たけれどやっぱり900m。
……ここまでの90分はほんの序章にすぎず、ここからが城域スタートなのでした。
ということで、気を取り直し山頂目指して進みます。
四阿のある広場(ピクニックグラウンド)も郭跡かと思われますが、真鶴半島を眼下にはっきりと捉えることができました。真鶴は頼朝の安房への脱出路。なかなか感慨深い眺めです。
さらに10分進んだところで今度こそ城山山頂、土肥城主郭に到着しました。兜石、立石への寄り道含めて麓から110分の行軍でした。
標高563mからの景色を堪能。背負ってきた最高のごちそう(=コンビニおにぎり)で休憩。次なる目的地へGO!
<つづく>
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