風林火山ブームというのは、幕府が甲州軍学を教育現場で採用した江戸時代にはすでにあったようです。そして、その熱気のようなものは信玄公が亡くなって400年以上が経った今も甲府の内外で感じられるわけですから、やはりお館様は別格なのかもしれません。
元祖100名城・躑躅ヶ崎居館(武田氏館跡。山梨県甲府市、2020年9月)。周囲に水堀、大手に三日月堀跡が確認できます。武田草創期の造りですが、すでに虎口の築城術は巧みで、西曲輪の南北に升形、北側には空堀も。さらに北東2キロには有事の詰城・要害山城があります(こちらは続100名城)。
館の敷地内にある武田神社は信玄公が主祭神。境内は人が絶えません。民政に注力して領民に慕われたとされる地元の英雄の姿が見えてきます。ちなみに、彼の終生のライバルとされる人物も自称・神の化身でしたか。
世界の総面積の爪の垢ほどもない土地をめぐり、当時、最高クラスの知性だった2人がひたすら消耗戦を続けたことについては、若干の口惜しさを感じないでもありませんが、それも歴史の綾と受け入れて彼らの足跡を追うのもまた一興。
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