(12人目)は「田中吉政」です。
関ケ原当時の居城があった「岡崎」を訪れてきました。
しかし今の岡崎は家康ブームの真っただ中! このような状況の岡崎で吉政の痕跡を探している私は空気が読めない人間なのでしょうか? しかしそんな中で吉政の痕跡を見つけました! それは「二十七曲り」です(写真①-⑤)。
1590年に秀吉の命により岡崎5万石(後に加増10万石)の城主となった吉政は、岡崎の北にあった東海道を城下を通るように変更し、その道に二十七の曲がり角を設け東側に武家屋敷を配置し攻めにくい城郭都市に改造していました。吉政は総石垣にして天守を構築し、川の流れを変え、北には堀を配置し、街全体を総構えににしたようです(写真⑥⑦)。
またその一方で反対側の西側には商人や職人を住まわせ、矢作川に橋をかけ城下を通る東海道の人の往来を盛んにするなどし経済も発展させました。吉政は豊臣秀次の家老時代にも八幡山城の町割を行い、そこに安土の商人を招き入れ近江八幡を城郭都市にしています。そういう行政手腕にはどうやら長けた人物だったようです。
よって岡崎を有名にしたのは家康ですが、城下町発展の基礎を築いたのは吉政という事になるのでしょうか? 家康の時は三河統一(一向一揆)や今川との戦でそれどころではなかったのかもしれませんね。
次は(岡崎城)へ入り吉政の痕跡をもう少し探してみようかと思います。
【余談】八丁味噌
岡崎の街を歩くと、右も左も「八丁味噌」の看板だらけ。家康もこよなく愛したと聞いたので、途中でお腹もすいたし「八丁味噌ラーメン」の店に入り食べてみました。(なかなかこくと香りがあり美味でした😊)(写真⑧)
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