(9人目)は「宇喜多秀家」です。
関ケ原当時の居城、「岡山城」を訪れてきました。
岡山城は昨年リニューアルされました。4年ぶり2度目の訪問ですが、以前よりあざやかな黒に生まれ変わっていたのでビックリしました! 見事なまでに艶のある黒漆塗り、そして金箔瓦や金の鯱とのコントラストが・・・うわ~実にまぶしい😎! しばらくその美しさに見とれてしまいました。まさに烏城の名にふさわしい今が必見です!(写真①②)。
城内もリニューアルされていました。宇喜多→小早川→池田氏の歴史が実に分かりやすくまとめられています。地元岡山出身の磯田先生の声による解説などもあり(写真④)時を忘れるくらいにとても楽しく見学する事ができました。(結局館内を2周してしまいましました)。
私の一番好きな角度はここです(写真⑥)。この不等辺五角形の石垣のふくらみに合わせた天守のやわらかい形。そしてそのふくらみのちょうど上の部分に唐破風がありアクセントのとれたデザイン。さらにその上段(三重階)ではちゃんと安定した四角になる。まさに望楼型でないとできない技ですよね! 元々の天守台の固い地盤がこのような形だったため、工期短縮のため天守台を削るより上の天守を台の形に合わせた方が早いとして築城したのでこうなったとか?
備中高松城攻めの折、宇喜多直家は毛利を裏切り秀吉に付く証として、子の秀家を人質として秀吉に託します。そして秀家はねねの下で猶子として成長し、岡山(備前・備中・美作・播磨)57万石を与えられるまでになりました。築城当時は、西の毛利、さらにその西には九州・四国の豊臣に従わない(あるいは従ったふりをしているだけ)の諸大名が多くいたため、豊臣の象徴である黒塗りの城に許された者だけがつけられる金箔瓦を施し、それらの諸将ににらみをきかせ、豊臣は自分が守るという秀家の築城時の決意の表れがこの城に込められているのではないかと思いました。
私は岡山城の天守に立ち眺めて見ました。旭川が天然の堀となり、金の鯱と重ね合わせた後楽園や街との風景は、とても美しく感じました(写真③⑦)。秀家はこの景色を眺めながら、どんな思いで関ケ原へ出陣して行ったのでしょうか? 五大老の中で最も若い28才。色白な表情(写真⑧)とは裏腹に、西軍の中では最も血気盛んで、三成にとってはとても頼もしい存在に映っていたのではないでしょうか?
次は、(岡山城の石垣)へ続きます。
【余談】岡山名物「きびだんご」
おみやげに名物「きびだんご」買いました(写真⑩)とてもおいしかったです。これを食べた(きじ・さる・犬)がついて行った理由がよくわかりました(笑)。
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