別府城は、平安時代末期に、成田氏当主の成田太夫助高の次男・次郎行隆が
別府を支配し、別府氏を名乗り、この場所に別府城を築いたのが始まりの城である。
その後は、行隆の長男・義行が別府城(香林寺が屋敷?)に、
次男・行助が、別府城の西に館(西別府館)を作り、別府氏の領土を二分し、
それぞれ、東別府氏、西別府氏と名乗った。
東別府氏は代々成田氏の家臣となり生き残ったが、一二代長清の代の1590年、
豊臣秀吉の小田原征伐の時に、北条側に付き、領地をとられ、廃城となった。
現在は、中心に東別府神社があり、その周りには、幅5m、深さ2.3mの掘と、
高さ2mの土塁が残っている
【城情報】
・形式 ❙平城
・築城年 ❙平安時代末期
・廃城年 ❙1590年
・築城者 ❙成田(別府)助高
・最後の城主 ❙東別府長清
・廃城理由 ❙小田原征伐の時に北条氏についたため
・主な城主 ❙成田助高、東別府長清など
・遺構 ❙ 土塁、空堀、曲輪
・主な建築物 ❙なし
・説明看板、石碑 ❙説明看板が1、石碑が2
・駐車場、トイレ ❙駐車場らしきもの?有り
・天守 ❙なし
・保存状態(自身判断)❙堀と土塁がのこり、曲輪の形が分かる
・城レベル ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考 ❙・入り口までのみちは狭く、探しにくい
❙・東別府神社は1590年まで城の鎮守神だった
❙・別府の名前の由来は平安時代末期に別官符によって開墾されたからや、
|国府の支庁の別府が置かれたからという説がある
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