向羽黒山城から見た雲海の底に沈んでいる鶴ヶ城は、淡く霧に包まれていました。初めて訪れた1984年3月、大学4年になる前の春休みと似た感じでしたが、その時は残雪がかなりありました。リニューアル工事中の天守はパスして城カードをゲットし、紅葉がきれいに色づいていた北出丸を散策して福島遠征の〆としました。
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2022/12/16 07:10
2022/12/16 02:25
壮大な景色 (2016/06/10 訪問)
家族で行った思い出深いお城
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2022/12/16 00:13
金ヶ崎要害 (2022/11/27 訪問)
重要伝統的建造物群保存地区の町並みと合わせて散策しました。
金ヶ崎城址として公開されている広場は二の丸にあたり、北上川の美しい景色を望めます。
諏訪公園へ渡る谷はかつての役割を彷彿させる豪快さがあり、金ヶ崎神社や諏訪小路沿いの堀跡にもいにしえの姿を感じることができました。
道案内は何箇所かありましたが、みなさまのご投稿写真にもれなく掲載されている説明板はなくなっていました。それならばと、カズサンさんのお写真の「金ヶ崎城跡」碑をさがしたのですがこれも見当たらず……。諦めかけていた時に目についたのが写真⑦の石です。多分ここだったんじゃないかな?
☆お城EXPO、今年は前売り券も指定券も買ってなくて検定も申し込んでいないです。
ですが、興味のある厳選プログラムがあるのと、お城EXPO先行発売の「城カードフォルダー」をゲットしたい😍 あと入浴剤♨も欲しいので。。。
前夜祭は、仕事が17時上がりなので『行けたら行く』で、17日(土)は『行く気がする』で、18日(日)は『行けない』です。
ではニアミスで🫡
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2022/12/15 22:17
再訪することもないけれど (2022/12/03 訪問)
北浦和駅から徒歩で15分くらい。
前回の訪問時にあった説明板はなく、近所の公園に針ヶ谷三山と天神山の説明板が立っていました。
周辺は住宅地になっていて遺構はありません。
今回は説明板にある針ヶ谷三社に行ってみました。
が、天神山は双恵幼稚園になっていました。
針ヶ谷三社も敷地内に。
休日だったので門の外から写真撮りましたが平日なら明らかに不審者ですね。
お昼、浦和なのでうなぎにしようと思いましたがお手軽なスタミナラーメンを頂きました。
熱かった。
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2022/12/15 22:10
赤鬼の城 (2022/12/15 訪問)
久しぶりの彦根城です。国宝の天守閣だけでなく太鼓門、天秤櫓、三重櫓、多聞櫓等が重要文化財となっていてすばらしいのですが、自分が好きなのは高石垣と登り石垣です。水堀もよく残っていて、以前は城の周囲も散策したのですが、今回は、外は回っていません。
有名な城址を見学するなら葉が落ちていて城が見やすく、また観光客も少ない12月~2月頃がいいと思っています。この日の観光客は数人はいましたが、かなり少なく人が写りこまない写真を撮ることができました。久しぶりにひこにゃんにも会いました。
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2022/12/15 21:45
ここも難攻不落であったか… 伝二の丸、石積編 (2022/12/03 訪問)
さて山の坂をどんどん登っていきます。整備はされていてよかったですが、くねくね道できつい。獣柵も付いていました。熊には気をつけて。
10分ほど登ると伝二の丸に着きます。そこには土づくりの食い違い虎口が残っています。小高い土塁で虎口を隠し、少し曲がった瞬間に砲撃できるような仕組みになっていました。またその前にある土塁の上から横矢掛けができるのでなかなか堅固です。
二の丸探訪を終えて更にいくと広い場所に出ますが、道が細くなります。そこを気をつけて歩くと右手に石積があります。こちらも埋め立てられていますが、はっきりと見えます。野面積みの石垣で高く積み上げるのではなく低く積み上げられていました。これはなんの意味があるのでしょうか?疑問です。知っている人がいたら教えて欲しいです。
さあでは一番の見どころ堀切へ向かいましょう♪続く
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2022/12/15 21:45
佐々木道誉 (2022/12/15 訪問)
勝楽寺から登城路が整備されています。といってもトラロープが張られている所もあり、歩きにくい所もありました。尾根に曲輪を配置した縄張りですが堀切などはないように思われます。主郭の案内板を見ると「ところどころに縦堀りがあり、全国的に珍しい「うね状縦掘り山城」として、、」と書いてありました。畝状竪堀がどこにあるのか探してみましたがわかりませんでした。主郭の南面と北面には多くは崩れていますが、石垣がみられます。勝楽寺の山門は勝楽寺城の上藹屋敷の城門を移築したものと伝わっています。
勝楽寺には佐々木道誉の墓があります。
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2022/12/15 21:23
770年前に怡土城跡に築城 (2022/10/22 訪問)
怡土城を抜けると行き着く所は高祖城のうち、下ノ城と呼ばれるⅡ地区になります。Ⅰ~Ⅴ地区の5つに分かれているらしいのですがそうとも知らずに下ノ城(Ⅰ区)~上ノ城(Ⅱ区)~V区と廻りました。上ノ城とV区との間には高い切岸と堀切があり、石積も見ることが出来ます。V区は東側に300m程延びていて小さな曲輪や土塁を見ることが出来ます。
一旦城域に入って歩き続けると大まかな範囲は把握出来るのだが、帰宅後おさらいしてみると北側にⅢ・Ⅳ区がある。写真をみて思い出してみると確かに藪に埋もれた斜面があったのできっとそこの様です。報告書には堀切群や畝堀・小曲輪が存在しているらしいです。
参考:城郭放浪記さん・福岡県中近世報告書
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2022/12/15 21:23
1250年前の遺構 (2022/10/22 訪問)
約1250年前に、朝鮮半島の備えの為に造られた古代城だそうです。
3年前から気になっていて高祖城との関連を調べながら機会を伺っていました。訪問ルートは把握出来たが訪問時間が曖昧でした。そこで行き着いたののはYAMAPアプリ、そこにルートが載っており大まかな時間も把握することが出来ました。登山アプリは情報の少ない山城のルートを調べる事が出来るので割と重宝しています。但し登山道が整備されている場所に限ります。
訪問参考データ:3時間35分:7.9km:累計高低差506m
マップ左上辺りにある高台寺公民館に駐車して、怡土城から高祖城に抜ける登山道を利用して高祖城からは一般道を歩いて戻りました。こちらは勾配も緩やかで歩き易いです。
望楼と呼ばれていて登山口より第五~第一まで残っていて、当時は建物があったようで基礎石が残っています。基礎石の残っている曲輪が五つ、尾根道で結ばれている曲輪群のイメージです。尾根道には所々石塁や石畳の名残と思わせるような跡が有り、左手には何本かの竪堀を見ることが出来ました。
第一~五の間に確認されているだけで2か所の陣(砦)となって高祖城の出城となって再利用されていたようです。第二望楼は高来寺砦、第一望楼は草野砦として望楼跡を使用していたそうです。2か所の存在は情報として持っていましたが、当日確認出来たのは草野砦だけでした。高来寺砦の正確な位置は帰宅後おさらい時間で知ったので見逃しています。(8~10の写真が草野砦)
総合的に考えると、尾根道にある石塁と石畳らしき名残と竪堀は高祖城築城の約770年前以降に施されたのかもしれません。興味を覚えたのは現在は望楼は五つだが、実は高祖城の位置まであと幾つか存在していて、築城時に飲み込まれて同一化されたのだろうという考察。文章を読む時はピンと来なかったが、自分の目で見て歩いてみるとすんなり理解出来て興奮してしまいます。(大土塁が高祖城域まで存在しているので高祖城の前身は怡土城だったと容易に想像できました。)
参考資料:城郭放浪記さん・福岡県中近世報告書
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2022/12/15 20:35
ここも難攻不落であったか… 山麓編 (2022/12/03 訪問)
皆さまお久しぶりです。1ヶ月ぶりの投稿となってしまいました。
この前の土曜日に敦賀へ行ってまいりました。ほんとはメタセコイヤと賤ヶ岳を巡る予定でしたが、賤ヶ岳のロープウェイがやっておらず、県を超えました。
国吉城は栗屋勝久が築城しました。もともとは土の山城で朝倉氏に何度も攻められた城です。朝倉氏の侵攻は10年にも及びましたが城は落ちませんでした。栗屋勝久は朝倉氏討伐を掲げていた織田信長に国吉城を招待します。ちなみにこの時は明智光秀や徳川家康、豊臣秀吉もいました。織田信長はこの城を大改築し、石垣を導入しました。それにより更に堅城になった国吉城を朝倉氏は攻めることができませんでした。その後、栗屋氏は大分へと移り、城は廃城となりました。
歴史館で御城印を買い、スタンプを押しました。資料館は子供50円、大人150円で入れます。また、ここは御城印帳も売ってますよ。
国吉城の主な遺構は堀、石垣、土塁です。
まず山麓には建物が置かれていたとされています。織田信長によって石垣が導入され、山麓には土塁と石垣、一部礎石がよく残っています。ただ石垣は発掘調査後、埋め立てられたため少ししか見えないです。でも見どころですよ。ただ歴史館の近くには廃城後に築かれた石垣がはっきり残っています。
では山を登っていきましょう♪ 続く
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2022/12/15 20:00
JR南多摩駅~京王稲城駅間は徒歩圏内。 (2022/11/27 訪問)
JR南多摩駅~京王稲城駅間を,キャリーバッグを転がしながら散策。大丸城からの転戦です。ちょっと坂道が気になりましたが,全然徒歩圏内。ここは,三沢川の水運で活躍したのかな…って想像しました。稲城中央橋と亀山橋の両方から三沢川を眺めました。
明日,パシフィコ横浜を攻城する予定です。高速バスが欠航にならなければ…。今回も前夜祭のみです。土日は久々に“18歳”になります。国府津越えや熱海越えが気楽なんで。けど,雨男ゆえか天気予報良くない…<泣>。
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2022/12/15 19:27
狭間城 栃木県那須塩原市 (2022/12/10 訪問)
那須塩原温泉街から箒川の対岸にある狭間(はざま)
城。1476年橘伊勢守(たちばないせのかみ) の出城
として築かれたようです。
主郭は断崖上にあり南面は崖で、箒川越に温泉宿が
見えます。北面に横堀が巡り、竪堀となって崖面に
落ちていきます。大きな平場もあり、石塁や石を
盛った塚がありますね。
1年位前までは那須塩原市のHPでも載ってました
が現在は出てないかな。平成9年には市指定史跡に
なってるらしく以前は訪れることが出来たのでしょ
うが今は訪問しにくいですね。
先人のHPに従い西の赤沢温泉旅館の方面から砂防
ダムを抜け山に侵入しました。数年前まで伐採作業
が行われてたらしく重機の跡と切株の多い平場を通
り、物見であったような小山、谷を抜け遺構に到達
します。遊歩道の跡もあり以前はハイキングコース
的だったのかもしれません。
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2022/12/15 10:37
徳川四天王酒井忠次生誕の城 (2022/12/11 訪問)
来年の大河ドラマ「どうする家康」で活躍する酒井忠次生誕の城である井田城跡を西大平陣屋・大岡越前守陣屋の後に初登城しました、井田公園の東隣に在る城山公園が跡地に成ります。
車は井田公園の北西に在る駐車場を利用。トイレは公園の西側に在り。
井田公園の駐車場より木々がこんもりして城跡だなと分かります井田公園東端の道を南に行くと道の西側に切岸の様な土塁土手が在り目的の城山公園・井田城跡です、西側の土塁を廻り東側の土塁、南東角を廻って北東角の入口へ、城山稲荷の鳥居で入口、脇に城山集会場が建ち、赤い鳥列を潜って一段高い城山稲荷の社、櫓台に建つ櫓の様です、社下に立派な井田城跡の石碑、裏に碑文有り、写真撮り忘れました、その南隣に晴明白龍大神社と同大神の縁起石板、この石板には三河武士魂発祥の縁起が刻んで有りました、公園広場は遊戯器具も有り子供達の公園に成って居ます。
古城盛衰記さんの情報に北東約300mの所に西光寺が在り井田野合戦の説明板が有ると、西光寺境内の井田野合戦説明板、千人塚を参拝見学して来ました。松平4代松平親忠が井田野合戦での敵味方亡くなった方々を葬った低い墳丘に南無阿弥陀仏の石塔を中心に数多の石塔が直列に並んでいます。
歴史は、酒井氏代々の居城で、岡崎城の支城として築かれ、岡崎城と松平氏の菩提寺大樹寺を結ぶ直線上の中間点大樹寺寄りに在ります。松平親忠など家康の祖先が約100年に亘って周辺兵馬と戦った「井田野合戦」はこの城の周辺で繰り広げられた、家康の天下も祖先の奮闘、この間4回の合戦が有ったとあります。
さて来年の酒井忠次の大河ドラマどうする家康での活躍は如何でしょうか?楽しみな事です。
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2022/12/15 06:38
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー53城目 (2022/11/13 訪問)
朝霧に包まれていた会津盆地。そんな中、朝駆けしてきました。向羽黒ギャラリーに置いてあるスタンプは24時間捺印可。前回のスタンプラリーの時に麓から踏破しているので、今回は二の丸近くの駐車場から攻城。二の丸にいる時から霧が晴れはじめ青空が見えてきたので、かなりの期待を持ちつつ、本丸に向かいました。期待通り、生まれて初めての雲海を拝むことが出来ました。
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2022/12/14 21:43
2022/12/14 21:37
2022/12/14 21:36
深谷城址と外濠跡 (2022/12/14 訪問)
中山道歩きの途中、深谷城址に立ち寄りました。
城址は市民公園として整備され、隣の富士淺間神社には外濠跡もありました。
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2022/12/14 19:12
終活5:100城・続100、城郭巡り:サンヨウ 6日・最終 シリーズ終了
城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?5回目
22日は山口の古城ケ岳城を6:45にスタート、23日が雨だったのでこの日が最終となった。
11月22日(6日目)
1.古城ケ岳城・・・・・・・2時間10分:1.8km:累計高低差317m
2.築山館
3.障子ケ岳城・・・・・・・35分:1km:累計高低差108m
4.荒滝山城・・・・・・・・・2時間40分:3.5km:累計高低差449m
5.信田ノ丸城・・・・・・・1時間15分:2.6km:累計高低差229m
全て山口県、城びと登録の城
城関係の媒体を幾つか見て情報を集めているが、他の城好きの方のリアルの声が聞けるのはここの投稿だけ。3年前から頻繁に見るようになって勉強になる先輩方の投稿を見て、時には試したりとブレながら訪問をしていた。正続100城の投稿を見るたび、いつからか行く事は義務なのか?と考えるようになりバイク終活と称して春よりロンツーを兼ねて訪問するようになった。現在7割程度自分の目で確かめてみて一応の結論は出た。
今年訪問出来て本当に良かったと思っています。行っていなかったら未だに義務なのか?と考えていたでしょう。又、考え方が当初よりも少々変わっていったように思えます。なによりも数名の城好きの方と会えて刺激を貰ったりと副産物の方が多かったように思います。今では何やら吹っ切れた感があり、ブレ巾が狭くなった自覚が有ります。
義務の件、何故そう感じていたかが分かりません。割と早い段階で分からなくなりましたが、冠していた文言でしたので今日迄使ってます。城廻りに王道があるとするならば正続100城を訪問するのは間違いなく王道ではないでしょうか。そんな方は訪問した方がいいと思います。
以上、終活シリーズは終了です。
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2022/12/14 11:03
近所のお城 (2022/09/07 訪問)
スマホをiPhone機種変して城めぐりアプリをインストールして最初の行ったお城。
カメラを忘れたので、写真は次の機会に取っておきます。
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2022/12/14 10:40
【三河・西大平陣屋】愛知県岡崎市 大岡越前守陣屋 (2022/12/11 訪問)
城びと登録の城で東三河にぽっつんと1城未踏に成ってる雨山城を含めて、天気も良く三河未踏の城廻りと出掛けました、雨山城へは東名豊川ICからのアクセスが良さそうなので県道334線を北上、途中先の大雨で路線崩落区間が在り来春まで通行止めとの工事告知閉鎖されており、迂回路案内も有りましたが良く分からず、次の登城目的地である、西大平陣屋を目指しました。
西大平陣屋住所:愛知県岡崎市大平町西上野95(グーグルマップを見て頂けれが史跡マークで表示されて居ます)
駐車場は基本的になしですが、ナビ進行間違えて男川小学校南門前の駐車場に着き駐車利用(日曜日グラウンドゴルフシニアー方々が駐車していた)。
男川小学校南門から小学校外周路地を北に回り込み陣屋裏の竹垣根を北、西、南に回って、西大平陣屋西に面した陣屋門立派な高麗門、門の右に西大平藩陣屋跡の看板が懸ってる、黒下見板張りの屋根付き土塀が西面と南面に構えてる、南面端に冠木門の南門が復元されて居る。(ネットのウィキペディアを調べると2010年2月高麗門、土塀の復元、2013年4月西大平藩陣屋跡看板設置と出て居ました)
10年前ごろから大岡越前守陣屋・西大平藩陣屋の高麗門、黒下見板張り土塀の写真が城郭放浪記さんなどで見受けられていましたので是非一度探訪したいと思って居りました。
内部には案内板、領地を表した円形地図公園、井戸跡、大岡稲荷社、北隅にトイレ完備、北と東は竹垣根。
歴史は皆さんご存知の南町奉行大岡越前守忠相の西大平藩を旗本から1万石の大名に取り立てられ寛延元年(1748年)立藩、この地を治めるにあたり陣屋を置いた、この後忠相は大名に成って3年後の宝暦3年(1751年)に死去、大岡家が7代引継ぎ明治を迎える。
大岡家は定府大名で江戸常駐、当陣屋には郡代1人、郡奉行1人、代官2人、手代3人、郷足軽4、5人程度であった。(案内板抜粋)
情報源は城郭放浪記さん古城盛衰記さんウィキペディアさんグーグルマップに依ります。
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