朝駆けしました。
廃藩置県後に胆沢県庁・小学校と移りかわり、現在は市役所と県の合同庁舎となっていますが、その流れがとても自然なことのように感じました。
武家屋敷資料館は開館(9時)前だったので入れませんでした。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2022/12/14 21:37
2022/12/14 21:36
深谷城址と外濠跡 (2022/12/14 訪問)
中山道歩きの途中、深谷城址に立ち寄りました。
城址は市民公園として整備され、隣の富士淺間神社には外濠跡もありました。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2022/12/14 19:12
終活5:100城・続100、城郭巡り:サンヨウ 6日・最終 シリーズ終了
城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?5回目
22日は山口の古城ケ岳城を6:45にスタート、23日が雨だったのでこの日が最終となった。
11月22日(6日目)
1.古城ケ岳城・・・・・・・2時間10分:1.8km:累計高低差317m
2.築山館
3.障子ケ岳城・・・・・・・35分:1km:累計高低差108m
4.荒滝山城・・・・・・・・・2時間40分:3.5km:累計高低差449m
5.信田ノ丸城・・・・・・・1時間15分:2.6km:累計高低差229m
全て山口県、城びと登録の城
城関係の媒体を幾つか見て情報を集めているが、他の城好きの方のリアルの声が聞けるのはここの投稿だけ。3年前から頻繁に見るようになって勉強になる先輩方の投稿を見て、時には試したりとブレながら訪問をしていた。正続100城の投稿を見るたび、いつからか行く事は義務なのか?と考えるようになりバイク終活と称して春よりロンツーを兼ねて訪問するようになった。現在7割程度自分の目で確かめてみて一応の結論は出た。
今年訪問出来て本当に良かったと思っています。行っていなかったら未だに義務なのか?と考えていたでしょう。又、考え方が当初よりも少々変わっていったように思えます。なによりも数名の城好きの方と会えて刺激を貰ったりと副産物の方が多かったように思います。今では何やら吹っ切れた感があり、ブレ巾が狭くなった自覚が有ります。
義務の件、何故そう感じていたかが分かりません。割と早い段階で分からなくなりましたが、冠していた文言でしたので今日迄使ってます。城廻りに王道があるとするならば正続100城を訪問するのは間違いなく王道ではないでしょうか。そんな方は訪問した方がいいと思います。
以上、終活シリーズは終了です。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2022/12/14 11:03
近所のお城 (2022/09/07 訪問)
スマホをiPhone機種変して城めぐりアプリをインストールして最初の行ったお城。
カメラを忘れたので、写真は次の機会に取っておきます。
+ 続きを読む
♥ いいね
2人が「いいね」しています。
2022/12/14 10:40
【三河・西大平陣屋】愛知県岡崎市 大岡越前守陣屋 (2022/12/11 訪問)
城びと登録の城で東三河にぽっつんと1城未踏に成ってる雨山城を含めて、天気も良く三河未踏の城廻りと出掛けました、雨山城へは東名豊川ICからのアクセスが良さそうなので県道334線を北上、途中先の大雨で路線崩落区間が在り来春まで通行止めとの工事告知閉鎖されており、迂回路案内も有りましたが良く分からず、次の登城目的地である、西大平陣屋を目指しました。
西大平陣屋住所:愛知県岡崎市大平町西上野95(グーグルマップを見て頂けれが史跡マークで表示されて居ます)
駐車場は基本的になしですが、ナビ進行間違えて男川小学校南門前の駐車場に着き駐車利用(日曜日グラウンドゴルフシニアー方々が駐車していた)。
男川小学校南門から小学校外周路地を北に回り込み陣屋裏の竹垣根を北、西、南に回って、西大平陣屋西に面した陣屋門立派な高麗門、門の右に西大平藩陣屋跡の看板が懸ってる、黒下見板張りの屋根付き土塀が西面と南面に構えてる、南面端に冠木門の南門が復元されて居る。(ネットのウィキペディアを調べると2010年2月高麗門、土塀の復元、2013年4月西大平藩陣屋跡看板設置と出て居ました)
10年前ごろから大岡越前守陣屋・西大平藩陣屋の高麗門、黒下見板張り土塀の写真が城郭放浪記さんなどで見受けられていましたので是非一度探訪したいと思って居りました。
内部には案内板、領地を表した円形地図公園、井戸跡、大岡稲荷社、北隅にトイレ完備、北と東は竹垣根。
歴史は皆さんご存知の南町奉行大岡越前守忠相の西大平藩を旗本から1万石の大名に取り立てられ寛延元年(1748年)立藩、この地を治めるにあたり陣屋を置いた、この後忠相は大名に成って3年後の宝暦3年(1751年)に死去、大岡家が7代引継ぎ明治を迎える。
大岡家は定府大名で江戸常駐、当陣屋には郡代1人、郡奉行1人、代官2人、手代3人、郷足軽4、5人程度であった。(案内板抜粋)
情報源は城郭放浪記さん古城盛衰記さんウィキペディアさんグーグルマップに依ります。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/12/14 09:56
企画展「激戦!岩崎城の戦い 若き英雄・丹羽氏重」
岩崎城の戦いで池田軍を足止めし、長久手の戦いでの家康の勝利を導いた丹羽氏重。
そんな氏重の行動や活躍にスポットライトを当てて、
岩崎城の戦いの全貌を紹介します。
丹羽家の史料を中心に展示、小牧・長久手の戦いの解説も行います。
【開催期間】2022年12月10日(土)~2023年1月15日(日)
期間限定で丹羽氏重の武将印も頒布しています!(2023年1月31日まで)
詳しくはこちら http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/kikaku.html
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2022/12/14 02:55
赤穂城 (2022/11/25 訪問)
徳川の世になってから築城されたとされる。
五稜郭へ至る前段階という印象を受ける本丸の形状。
それはそうとして、ずいぶんと飛行機雲が多く、空にアクセントを加えてくれるので
写真を撮るのが楽しかった。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2022/12/14 00:10
犬を擬人化??? (2022/11/27 訪問)
宅地造成工事で消滅。「犬のひとり歩きはいけません」というパネルが目を引きます。「犬のひとり歩き」という表現に初めて出会い,ツボりました。しかも,個人の作成ではないので,とても笑撃でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2022/12/13 22:40
「秋月城」の紅葉と「黒田長興」 (2022/11/24 訪問)
城人特集で「紅葉が美しい城(西日本編)」に紹介されていた「秋月城」を訪れてきました。
ちょうど紅葉が見頃を迎えそうな時期だったので、平日にもかかわらず、多くの人が訪れていました。紹介の内容にあった黒門と紅葉のコントラストは確かにすばらしく、しばらく見とれてしまいました(写真①)。
秋月は、秋月氏が鎌倉時代より約400年治めた地でしたが、江戸時代に入り福岡藩黒田家の所領となり、黒田長政は三男の長興(ながおき)に5万石で分け与えます。そして長興は幕府に願い出て秋月藩を立藩し、その秋月氏の館跡に秋月城を築城しました(天守は無く、館と周りを門と石垣と堀で囲んだ城でした)。
実は長政は、長男の忠之の性格が傲慢わがままである事を憂い、もし忠之と黒田本家に何かあった場合に備え、黒田の家名が絶える事のないように、布石としてこうした対応をとったようです。そして長政死後、忠之は福岡藩を継ぎますが、その予感は見事的中! 忠之は勝手に軍船を作り幕府転覆まで計画、福岡藩存続の最大危機となった事件「黒田騒動」を起こします。しかし結局は、家老の栗山大膳が切腹覚悟で単身江戸に赴き幕府に直接嘆願、この結果、徳川家光は福岡藩と黒田家の存続を許し騒動は収まりました。
その後、島原の乱が勃発。幕府より秋月藩にも出陣命令が下ります。長興は2,000の兵で秋月城より出陣します。門の前の杉の馬場とその広場に軍勢が整列し、ここで出陣式があったようです(写真③④)。そしてこの島原の乱での長興と秋月藩の活躍を描いた出陣屏風・陣図屏風と、長興が着用した鎧兜などが隣接する秋月博物館(写真⑤)に展示されていました。
黒門と紅葉をくぐった先には、長興を祀った垂裕神社(すいようじんじゃ)があり(写真⑥)、館跡は、現在は秋月中学校の敷地になっていました(写真⑦:何と今どき珍しいレトロな木造校舎でした)。現在の杉の馬場には土産屋や露天が並び(写真⑧⑨)、確かに「筑前の小京都」と呼ばれるだけあって、落ち着いたたたずまいの街並みでした。私は、黒田長興の時代を空想しながら、ゆっくり楽しく散策させていただく事ができました(写真⑩:城下町散策MAP)。
〈アクセス〉
甘木鉄道または西鉄甘木線「甘木駅」下車、駅前からバス「秋月行き」で20分です。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2022/12/13 21:10
えさし藤原の郷 (2022/11/26 訪問)
約3年前に平泉館(柳之御所)に行った際に立ち寄った伽羅御所跡でその存在を知り、いつか行きたいと思っていた念願が叶いました。うれしいです。
伽羅御所のほか、午前中に行ったばかりの豊田館、政庁、金色堂、各城柵などなど閉園時間ギリギリまで見てまわりました。ドラマのロケ地もそうだったのかー!と懐かしんだり、ホントに楽しくて、何度でも行きたいです。今度は「ガイドでポン」でスタンプラリーをしたいな。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/12/13 20:54
「館」のイメージとは (2022/06/25 訪問)
三浦和田氏の一族である、中条氏の本拠だったところで、国史跡・奥山荘城館の中核をなす。「館」の持つイメージに惑わされてつい単郭方形の館だと思い込んでしまうが、少なくとも二重の堀に囲まれた「城」だったようだ。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2022/12/13 20:42
館山史跡公園 (2022/11/26 訪問)
豊田館から移動しました。
旧後藤家住宅(写真⑨)へ寄ったあと館山史跡公園を目指して歩いていると「源義経公供養塔入口」の案内が。スルーすることができずに坂を下ってみました(写真⑧)
戻って夢乃橋を渡って岩谷堂城址(館山史跡公園)に到着です。土塁や空堀が残されており、ちょうど整備の方が入っておられました。藤原経清・清衡親子を顕彰する二清院の安らぎを感じる佇まいに、かの時代のさまざまなできごとを思いました。
今回の一泊二日の小旅行で行きたかったのはお城よりえさし藤原の郷と中尊寺でした。えさし藤原の郷は岩谷堂城からすぐ近くに見下ろせます。夢乃橋を戻ったところの広場から一気に下れる遊歩道があるようでしたが通行止めだったため、先ほど通った義経公供養塔の前の坂を下り、人首川沿いを夢乃橋を潜って行きました。こちら側(麓)から見ても遊歩道は通行禁止でした。
※夢乃橋は冬季(12月~3月)は通行止めです。
えさし藤原の郷の写真をたくさん撮ったので続きます!
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2022/12/13 19:49
終活5:100城・続100、城郭巡り:サンヨウ 5日目
城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?5回目
本日は広島の高山城を6:45分にスタート
11月21日(5日目)
1. 高山城(広島)・・・・・・・2時間10分:4km:累計高低差328m
2.◆新高山城(広島)・・・・・1時間35分:2.8km:累計高低差261m
3. 木村城(広島)・・・・・・・35分:1.1km:累計高低差122m
4. 鏡山城(広島)・・・・・・・35分:1.3km:累計高低差120m
5. 槌山城・鬼が丸城(広島)・・・・1時間10分:2.4km:累計高低差274m
◆は正続100城です。
昨日とは違い、1.2の訪問時間が平均時間より大幅にオーバーして、1か所行く事が出来ませんでした。ですがとても充実した1日でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2022/12/13 16:28
紅葉が綺麗でした (2022/12/10 訪問)
二俣城、清瀧寺信康廟を終えて二俣城を探訪したら鳥羽山城へ、来る途中に天竜川、鉄橋越し鳥羽山トンネルくぐる前に鳥羽山城の紅葉が盛りと綺麗でしたので、はやる気持ちで鳥羽山城の急坂を一気に登る、二俣城と違って駐車の車が多い。
二俣城で遭った神戸の山城マニアのオートバイも有る、大手道から登り、大手東土塁石塁の角が見所、大手門では大勢の人聞くと地元の研究会の方々、鳥羽山城の書籍の確認とか書籍と現地の確認をしてる処との事で10人程。
大手門の楓が紅葉して美しい、陽に当たった所は更に輝いて綺麗、紅葉と遺構を合わせた写真を撮ろうと、大手門内から外から、東門も内から外から、庭園遺構も、搦手から笹の丸、西の丸、本丸西側の外に在る鉢巻石垣と紅葉、腰巻石垣と紅葉、駐車場から本丸山頂に楓の紅葉が今盛りと輝いていた。
来年の「どうする家康」で鳥羽山城も賑わってくるれでしょうか?
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/12/13 15:50
井戸櫓と信康廟 (2022/12/10 訪問)
二俣城「南の丸Ⅰ(伝蔵屋敷)綺麗に整備」の続きです。
二俣城本丸二の丸南の丸Ⅰ北の丸を終えて、尾根続き北に約700~800mの所に浄土宗清瀧寺が在ります、そこには復元された井戸櫓と家康長男信康廟が在ります。
車で国道152号線より西の山裾の道を清瀧寺へ、駐車は裾に在る「本田宗一郎ものづくり伝承館」前の駐車場を利用。
復元井戸櫓は清瀧寺北の崖に復元されて居ます、井戸櫓は天竜川に沿って造られ、武田軍の水の手殲滅作戦のいかだ流しで井戸櫓は潰されて開城したとの逸話も伝わっている。
井戸櫓の北隣に清瀧の滝と池、諏訪神社が在ります。清瀧寺の登り坂下に信康堂が在り現代の彫刻家による木彫りの信康像が二体祀られて居ます。
坂道を登り切って清瀧寺山門、秋には銀杏の葉が落ちて山門屋根、参道が真っ黄色に成り絵になるシーンを期待したのですが訪問時期が遅すぎて、山門横に清掃され銀杏の黄色い葉っぱはゴミ袋の山積み。
本堂横の銀杏は黄色い葉っぱは健在で彩って居ました、山門と本堂の間の参道両脇にミカンの木が黄色いミカンの実を付けている、このミカンは駿府城公園にある家康お手植えのミカンの木より苗を作り枯れた時の為にと静岡市から贈られた苗木を植えて育てている。
本堂では法要の最中でお経が聞こえて来る、信康廟は本堂の裏の山手、周囲は墓所、石段を登り直角に曲がり石段を登り信康廟へ透かし門で閉まってる、廟に入った右脇に小さな五輪墓四基、殉死の吉良於初(初之丞)、当時の城主大久保七朗右衛門忠世、三方ヶ原で家康の身代討死した中根平左衛門正照、青木又四朗吉継と墓標に記載。山手に石垣、崖筋に白土塀参道が伸びて赤い門には三つ葉葵の紋が左右の門扉に付いている、その奥の墓石は見えません。
私は、古い話ですが信康と言えば中村錦之助主演の東映映画を思い出します、その時反逆児の意味など分からず亡き両親と観て居たのですが。
信康の切腹、母築山御前の殺害と悲しい事件でしたが時代の流れだったのでしょう、来年の「どうする家康」大河ドラマの描き方が楽しみな所です。
来年は二俣城、清瀧寺信康廟、鳥羽山城も少しは賑わって呉れるでしょうか?
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/12/12 20:18
2022/12/12 20:16
終活5:100城・続100、城郭巡り:サンヨウ 4日目
城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?5回目
本日は岡山の猿掛城を6時半に開始、終始順調に訪問出来ました。
11月20日(4日目)
1. 猿掛城(岡山)・・・・・・・1時間20分:1.9km:累計高低差254m
2. 鴨山城(岡山)・・・・・・・30分:0.8km:累計高低差62m
3. 神辺城(広島)・・・・・・・30分:0.7km:累計高低差50m
4.◆福山城(広島)・・・・・・・25分:0.9km:累計高低差40m
5. 相方城(広島)・・・・・・・30分:0.5km:累計高低差50m
6. 鷲尾山城(広島)・・・・・35分:0.8km:累計高低差89m
7. 賀儀城(広島)・・・・・・・20分:0.5km
8.◆三原城(広島)
◆は正続100城
南下しながら評価の高い城を訪問しました。最初の猿掛城の後は城内に直接乗り入れが出来たり、すぐ脇までに近づく事が出来た。それでいて遺構が乏しい事も無く時間も掛からない。手軽に楽しめる事が出来て当初行く予定の無かった賀儀城まで行く事ができました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2022/12/12 19:17
鶴ヶ渕城 栃木県日光市 (2022/12/10 訪問)
1600年上杉景勝が徳川家康の侵攻に備え普請した
防塁遺構です。土橋から35m四方の馬出、土塁を
伴った長塁が150m伸びて山を登るように続いてま
す。
国道121号線や鉄道会津鬼怒川線によって分断され
ていますが、とても貴重な遺構ですね。
国道121号線の男鹿川を渡る橋を渡って直ぐに看板
があります。当日は午前7時頃に行ったのですが、
橋の上が凍結していてチェーンで侵入出来ないよう
になってました。橋の付近に駐車可能です。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2022/12/12 16:13
南の丸Ⅰ(伝蔵屋敷)綺麗に整備 (2022/12/10 訪問)
「今年も秋の装い見事なり」の続きです。
本丸、二の丸から大手門跡を降りて南の丸Ⅰ伝蔵屋敷へ、綺麗に灌木、草が刈られて整備万全よく観察が出来ます、南の丸と二ノ丸の間の堀切も底まで草刈り綺麗に整備、二の丸南土塁のもみじが紅葉して彩を添えています、南の丸南側石垣も周辺草刈りされておりよく観察可、西側の残存石垣の確認を良く出来ます、南の丸Ⅱへの虎口から覗くが竹林のままで放置状態、西の丸への階段が西に続いてる、眺めるだけ、西から堀切を眺めて二の丸西虎口より二ノ丸、本丸、北の丸、駐車場へ。
この後一本銀杏の紅葉が美しい清瀧寺の井戸櫓と信康廟参拝探訪へ向かう。
続きます。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2022/12/12 15:45
今年も秋の装い見事なり (2022/12/10 訪問)
二俣城の紅葉探訪に少し出遅れたかなとの12月10日、北の丸下駐車場に車を駐めて登城開始、北の丸西下の登城路登って行く、本丸北下の堀切も草が刈って有り良く観察できる、本丸北土塁の樹木林間から紅葉が逆光に映える、北の丸橋、北の丸の銀杏も色ずき綺麗、本丸北門(搦手食違い虎口)より本丸に進入、北土塁上の紅葉、東土塁石塁上の紅葉も丁度良い頃、今年も綺麗に色付いてくれました、本丸中仕切り門上には紅葉が重なりトンネルの様、二の丸下は紅葉の落ち葉と上天の紅葉で装ってる、二の丸南土塁を大手門跡も紅葉と共演、静かな散策かなと思って居ると、同好の士か撮影してる、声を掛けると神戸の方今朝早くオートバイで来たとか、山城が特に好きとの事、この後鳥羽山城へとの事、道順をお教えして数分の会話もまた良し。
この続編で南の丸Ⅰ(伝蔵屋敷)を投稿します。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。