超がつく合理人間であれば、6倍以上の兵力で城を囲んだ上、上杉・真田の応援も期待できる状況で無駄な時間はかけたくなかったのではないでしょうか。
小説や映画で知名度を上げた忍城(埼玉県行田市、2016年)。秀吉による小田原攻め(1590)の一端として石田三成が寄せますが、水攻めで落とせず武功派の笑い者になるというエピソードが一人歩きしています。一方、優れた官僚であったと思われる三成が、時間とコストのかかる水攻めを、消化試合に等しい支城戦に積極的に用いたかどうかとなると、やや疑問が残ります。
利根川と荒川を結ぶ14km(28km説も)の堤防を1週間で築いたと伝わりますが、これはその8年前に同じく秀吉軍による水攻めの舞台となった備中高松城(岡山市)のケース(長くても3km説)を大きく上回る規模。結果だけ見ると、忍では簡易工事のために決壊を招いたようです。実際に歩き比べてみると、備中高松よりも城と、激しく流れ込んだ水を最低部で受け止める堤との間にかなりの距離がある印象。これで広大な敷地の水位をどの程度維持できたのか。
ところで、近年見つかった書状のなかには、水攻めにこだわったのはあくまで秀吉だったと裏付けるものが含まれているそうです。天下統一の仕上げを派手に演出したかったのかもしれませんが、上司からの必要以上の介入に現場が四苦八苦した様子が目に浮かびます。
忍城は15世紀後半の築城。現在ある御三階櫓は明治時代に取り壊されたものを1988年に再建したもので、内部は郷土博物館の展示室の一部となっています。
#続100名城
+ 続きを読む










