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ぎりょう

土の城から総石垣の近世城郭へ (2022/09/10 訪問)

歴史好きの仲間たちとの福島方面の旅、二日目は田村郡三春町へ。天然記念物の「三春滝桜」で有名なこの町、春には桜目当ての観光客で大層混み合うらしい。攻城にあたり、先ずは三春城の基礎知識を得るために歴史民俗資料館へ。教育委員会作成の「三春城跡」のパンフレットをいただいた。これには田村氏(戦国・安土桃山時代の城主、伊達政宗の正室愛姫・陽徳院の実家)時代、松下氏時代、そして本丸周辺が総石垣でその上に白壁の城壁が巡る、おそらく秋田氏以降の図が掲載されている。
三春の城は永正元年(1504)に三春田村氏によって築かれ、会津藩の支城・与力大名の居城を経て、正保2年(1645)から秋田氏の居城として維新まで続いた。まさに中世の土の山城に始まり、会津蒲生氏による石垣構築、藩政時代初期の総石垣・瓦葺建物の構築と永く利用された城である。
今回は本丸西下の駐車場まで車で登ったため本丸の周辺だけとなった。次回は街中の追手門跡から二の門、三の門、本丸表門へのコースを歩いて登り、西側の二の丸跡、南東側の三の丸(東館)跡なども確認したいと思う。

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tsuchinari

ジオラマ展☆ (2022/10/08 訪問)

広島城二の丸兼馬出しの復元長屋内にてジオラマ展行ってきました♪♪

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ヒロケン

大松山 (2022/08/18 訪問)

備中松山城の大松山は臥牛山で最初にお城が築かれた場所で、臥牛山の最高峰480mに築かれた中世の城郭です。中世の城郭としては大規模なもので、鎌倉時代から戦国時代にかけて使用されたお城です。松山は、大松山、小松山、天神丸山、前山という4つの峰を持ち、曲輪が7段にわたって築かれており、堀切も見られます。相畑城戸跡は、昭和30年代まで人家があったと言われており、人家に伴う石垣なども見られますが、遺構としては石積みや井戸、土塁などが残っています。大松山で土塁が確認できるのは、この相畑城戸跡だけです。また、大池と呼ばれる周りを石垣で囲った池は、かつて「血の池」とも呼ばれており、敵方の首を洗ったとも血の付いた刀を洗ったとも、言い伝えが残っている池です。池が石垣で囲われた珍しい池で山城で貴重な水場であったと考えられています。

最初この地に城を築いたのは、秋葉重信で現在の高梁市一帯の地頭です。もと相模の国の武士で1221年の後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して兵を挙げた承久の乱の軍功で、この地の地頭になりました。
その後は、高橋氏、秋葉氏、上野氏などと続き、1521年頃から台頭してきた三村氏が、大松山を拠点に備中に覇を唱え、大松山から天神丸山、小松山などに曲輪群を広げ、山麓に居館にあたる御根小屋も置かれました。三村氏は備中兵乱を経て滅亡。その後の城主は前回備中松山城で挙げた通りです。

今回、大松山に訪問し、「朝田辰兵衛さん」の投稿にあった「蚊が執拗に体当たり攻撃」に自分もやられました((+_+))本当に木橋を過ぎた辺りから侵入を拒むかの様に、蚊なのか小蠅なのか分かりませんが体当たり攻撃を受け、たじろき一時水の手門跡まで撤退(>_<)、意を決して再度チャレンジ。再度執拗な攻撃を受けましたが、たじろく事無く突き進み、結局木橋付近侵入から一通りの見学を終え、木橋を出るまでストーカーの如く付きまとわれました。おかげで切通し及び番所跡の見学をすっかり忘れてしまい、次回は冬の時期に行こうと考えています。

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志方の城山 (2022/10/08 訪問)

 室町時代赤松氏によって築かれた城です。
駐車場からは整備された道を登って行きます。途中、毘沙門岩があり近くに旧道の登り口があります。近道ではあるのですが険しそうなため新道で登城しました。途中から階段になります。本丸までの道は整備されていて歩きやすいのですが、少し外れると雑草が多く、また蜘蛛の巣も多く鬱陶しい状況でした。本丸からの眺望はすばらしい。「歴史の小径」の標識のある場所から北方へ進み、搦手門の跡を経由して降りて行くと堀切が2カ所ありました。外側の堀切(掘割と表示してありました)は圧巻で見ごたえがあります。井戸は2カ所あるのですが、1ヵ所はロープが張ってあり行くことができません。
筍の皮伝説のエピソードは初めて知りました。城方は敵が滑ってしまうように油を塗った筍の皮を山一面に敷き詰め羽柴軍を悩ませましたが、その筍の皮に火を放たれた為、火が城に移り落城したとの話です。他にも「たいの坂」という登城口から鯛を見せびらかし、兵糧が搬入されていることを誇示した話。姫君が井戸に落ち、その後井戸から姫の幽霊が出るようになったという話も伝わっています。
遺構の散策も楽しめますが、エピソードもおもしろい城です。

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黒田官兵衛妻の実家 (2022/10/08 訪問)

 黒田官兵衛の妻の実家として知られている城で、観音寺の境内が本丸跡と伝わっています。遺構はないと思われます。

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神吉頼定 (2022/10/08 訪問)

 三木合戦の激戦地として伝わる城です。常楽寺付近が本丸跡と伝わっています。遺構はありません。

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加古川評定 (2022/10/08 訪問)

 JR加古川駅から徒歩約15分で城址といわれている称名寺に行くことができます。糟屋武則が城主を務めたこともある城です。遺構はありません。
 境内には南北朝時代、塩治高貞が加古川で追手に襲われた際、主君を守ろうとして奮死した従臣7名を供養するために建立された七騎供養塔があります。塩屋高貞は人形浄瑠璃等の代表的な演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩治判官のモデルとなった人です。

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播州一ノ名城 (2022/10/08 訪問)

 別所長治記に「播州一ノ名城」と記されている城です。教信寺や野口神社付近が城址とのことです。その2カ所以外にも住宅街の中に案内板があり、「正一位光慧大明神」とある祠の扁額も野口城の説明が書かれていました。遺構はないと思われます。
JR加古川駅前よりバスに乗り野口バス停下車。徒歩1~2分くらいで教信寺に行くことができます。

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侍ホリタン

織田信長公、天下取りの出発点を訪ねて (2022/03/19 訪問)

鉄道利用の場合、JR清洲駅から線路沿いの道(名古屋方面) に設置された案内板に沿って行けば迷わずに行けます。徒歩15分ぐらいです。

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カズサン

八代城散策Ⅲ、宝形櫓・月見櫓台から大天守台、南~西面城塁 (2004/07/15 訪問)

 先に投稿した「八代城散策Ⅱ、欄干橋から南東面城塁」の続きで、宝形櫓跡からの俯瞰から三樹間櫓跡、横櫓、開口された南側城塁、開口部の参拝橋を渡り、南側から内濠越しに城塁を眺め、角に掲示されてる八代城復元俯瞰図をじっくりと観察し往時の八代城にしたる。
 南西角の月見櫓台から西面の城塁を北へ、小天守台、大天守台の西面を観察。
 素晴らしい城塁、櫓台、天守台で惚れ惚れと内濠越しに復元俯瞰図を脳内に甦りさせ、しばし眺める。
 

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カズサン

八代城散策Ⅱ、欄干橋から南東面城塁 (2004/07/15 訪問)

 先に「薩摩の牽制も有った総石垣城郭」で投稿しました続で本丸大手に当たる欄干橋から本丸の南東面の城塁、櫓台に登り探索俯瞰した状況写真を投稿します。18年前の平成16年7月中旬暑い盛りでした。
 何処を捉えても素晴らしい城塁石垣景観です。
 
 

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まもなく“秋”本番!

秋空の広がる和歌山城は、まさに「天高く、城冴ゆる空!」
気持ちのいい空気とたっぷりの自然、豊富に残る多様な時代の石垣に囲まれ、秋らしい1日が楽しめます。
紅葉の見ごろは11月下旬~。今年は涼しい?ので少し早いかもですね。
ぜひ皆様お越しください!!

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赤い城

米津氏陣屋 (2022/09/19 訪問)

館林城から古河城へ向かうため、久喜駅で乗換。
徒歩で10分の久喜陣屋へ立ち寄りました。
この日は台風が接近していましたがちょうど着いた時に土砂降り。
びしょ濡れになってしまいました。
徳川家康が関東に入った際に三河旗本の米津田政が久喜に陣屋を構えたとのこと。
陣屋跡は御陣山児童遊園になっていて遊具が置いてあります。
当然この日は誰も遊んでいませんでした。
首塚とされる土盛はありますが遺構はありません。

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侍ホリタン

関ヶ原の戦い、西軍の本拠地攻城 (2022/03/19 訪問)

JR大垣駅から徒歩10分弱です。天守内では「関ヶ原の戦い」に関する情報が充実していて大変勉強になりました。城内の石垣には化石が含まれているものが多数あります。

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にのまる

「関ケ原陣跡制覇ウォーキング2022」に参加しました。 (2022/09/25 訪問)

 選択した「制覇コース」(距離16km/所要時間約6時間)には21箇所のチェックポイントがあり、その11番目が松尾山でした。東軍→西軍陣跡とまわるコースのちょうど真ん中です。
 それまで持っていた松尾山のイメージは家康から見下ろされ出撃も容易な小山で、「城」にカウントされているとも思わないでいたのですが、実際に行ってみると結構な山城でした(゚д゚)!
 松尾山の高低差は約200メートル。麓の案内板には距離1.5km、徒歩約40分で山頂の小早川秀秋陣跡に到着とあります。既に出発から3時間以上歩いていましたが「登る」以外の選択肢はありません。楽ではなかったですが登山道を整備してくださっていて、迷ったり漕いだりするようなことはなかったです。
 約30分で山頂に到着しました。陣跡らしい土塁も残されています。山のてっぺんまで歩いて登ったのは3か月ぶり。イベント中でそこそこ混雑してはいましたが、関ヶ原を一望し、桃配山を眺め、あのかわいらしい肖像画の青年の姿を思い浮かべたりしました。
 しかし、16時までにゴール地点の笹尾山のスタンプをゲットしなければ失格(無効)となるルールがあるので、そうそうゆっくりもしていられません。聖蓮寺方面へ向かって下山しました。こちらにも枡形虎口や土橋がありました。


今回巡ったコースは写真⑧のとおりで、何とか時間内にゴールインできました。(別投稿で各陣跡の感想など記したいと思います。)

帰省の折など新幹線で関ヶ原を通るたびにいつか歩いてみたいと思っていた願いが叶い、思い出深い一日となりました。実際に各陣跡を歩いたことで配置や距離感も掴めたので、来年の「どうするMJ」が楽しみです(´艸`*)

今回、コース序盤でゆっくりしすぎたせいもあってか7時間以上かかり、16kmのはずが28km以上歩いているのは駅までの往復を入れても長すぎ…(; ・`д・´)な気もしますが、思い切って参加してよかったです。
といっても前日と翌日が仕事のため日帰りするしかなく、朝6:00品川始発の新幹線に乗り8:23に関ヶ原駅到着(名古屋で新快速に5分で乗り換えがドキドキでした)……からの出陣で、帰りもとんぼ返りだったので、古戦場記念館にも笹尾山交流館にも駅前観光交流館にも関ヶ原ウォーランド(←いちばん行きたい)にも、コースになかった桃配山にも行けませんでした。来年これら込みで計画を立ててまた参加出来たらいいなと思っています。

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POYO58

長野旅行PART3 小諸城 重要文化財大手門 (2022/08/18 訪問)

本丸の探訪を終えて、駐車場へと戻りましたが、大手門を見るのは欠かせなかったので、急いで見に行きました。大手門は三の門(こちらも重要文化財)と違って昔からほとんど復元していません。三の門は江戸時代に流水によって流されて復元しています。(でも現存扱い)しかしこの大手門は仙台秀久が築城した当時のものが存続しています。大手門の隣には大きな石垣があり、門の堅固さが伝わってきました。

小諸城の探訪を通して、堀を見失ったことに気づきました。次再攻城する時は堀を探訪したいです。

評価
遺構★★★
建物★★★★
行きやすさ★★
全体★★★

攻城時間
1時間過ぎるくらい

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カズサン

薩摩の牽制も有った総石垣造城郭 (2004/07/15 訪問)

 八代城は一国一城にあって肥後は熊本城と八代城の二城体制、薩摩の睨みを効かせた総石垣造りの城郭でした、築城は加藤忠広が城代加藤正方に命じ元和8年(1622年)竣工した。
 縄張は本丸北西隅に大天守と小天守、北東隅に三階櫓、南西隅に月見櫓、南東角に宝形櫓が囲み周囲を多聞櫓と土塀が石垣上構え、虎口は北搦手口桝形埋御門と東の欄干橋大手桝形頬当御門が控え内濠が周囲を廻ってる、本丸の南と東に二の丸、本丸の南と西に三の丸、本丸の南には二の丸と三の丸を仕切る仕切り門が有る、本丸の西と北に北の丸、大きく二の丸の北と北の丸の北に出丸が構え、二の丸、三の丸、北の丸、出丸を外濠が廻ってる。

 18年前の平成16年7月中旬、出張の空き時間に二度目の登城と思いますがコンパクトデジカメで100枚ほど写真撮影しました。 
 車は当時、北の丸の東石垣沿いに駐車可能でそこに駐ました。
 
 探訪は本丸欄干橋から枡形、磨櫓跡上、宝形櫓跡上、三十間櫓跡上、横櫓上、本丸石垣を開口した神社参拝道、橋を渡り内濠外へ、内堀外から本丸南側の石垣を眺め、南西角辺りに八代城の復元俯瞰図が掲示して有り往時の櫓が建ち並んだ壮観な姿に驚愕し見とれる、西に廻り月見櫓台、西側石垣城塁、小天守台、大天守台を眺める、北側の搦手口廊下橋跡を渡り枡形虎口、埋御門跡の唐人櫓台、九間櫓台横を通り小天守台に上がる、小天守と大天守の続き石垣台を通って大天守台穴蔵虎口より大天守台へ穴蔵が構えてる、四重の層塔型天守で穴蔵地階を入れると五階建てさぞかし荘厳で立派だった事でしょう⁈
 
 大天守台から搦手口、唐人櫓台、九間櫓台を眺めて、小天守台南の石塁、南西隅の月見櫓跡、本丸神社参道橋から南にへ、内濠から南側の石垣城塁を眺める、横櫓台、三十間櫓台、宝形櫓台、東石垣城塁、磨櫓台、また欄干橋から高麗門跡、枡形、頬当御門跡、本丸内の三階櫓跡に登り、周辺石垣、内濠を見渡す、北側の石垣城塁、九間櫓台跡へ、下りて埋御門跡から北搦手口、北側の石垣城塁を眺めて、二の丸北御門櫓跡、北の丸石垣、北の丸の西に在る浜御茶屋松濱軒を訪ねるルートで回りました。
 約3時間半暑い中での探訪見学でした、圧巻の石垣造り、内濠、連結式天守閣の跡、枡形虎口の造り、元和8年ですから城造り最高到達点、加藤清正仕込みの城ずくりこじんまりはして居ますが立派な造りです、中に神社が鎮座し参道の為に南側の城塁を開口したのは残念ですが、本丸は良く残って居ます。
 
 今回は八代市立博物館未来の森ミュージアムには寄らず、後で立派な立体模型が有ると知り後日、立体模型目当てに登城しました。
 

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行ったお城登録

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