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朝田 辰兵衛

越後人は,長岡城と重なります… (2019/11/25 訪問)

長岡城もこのような遺し方を検討できなかったのかな…と,思ってしまいます。
船入櫓跡と本丸中門跡を見逃すと,ちょっと残念です。チョイ寄り程度で考えない方がいいかと思います。

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にのまる

車や電チャリに追い抜かれながら。 (2022/06/08 訪問)

2018年暮れの下見で、大宰府政庁裏の市民の森から登って岩屋城経由で大野城に行くルートを描いていたのですが、あっという間に3年半の月日が流れてしまいました。
今回は太宰府駅からのスタートになったので市民の森へ行かずに林道から登ることにしました。途中で寄ったのが昨日投稿した浦ノ城です。
アスファルトの坂道をひたすら登りました。住宅街を過ぎ、浦ノ城から40分くらいでようやく到着。最初に林道左側の高橋紹運と家来衆の墓所へお参りし、本丸へ行きました。
みなさまのご投稿で拝見していた特徴的な「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑を目の前にして感無量。壮大な眺めを目に焼きつけました。

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おっちゃん

信貴山城跡実測図 (2016/12/17 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

松江城城内案内図、松江城下絵図 (2013/05/19 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

若桜鬼ヶ城跡 山頂平面図 (2018/09/02 訪問)

現地案内板より抜粋。

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小城小次郎

シンボル復活 (2022/02/11 訪問)

他の建築や石垣に先駆けて復興した天守。天守の復興が城そのものの復興を示すわけではないと知りつつも、熊本城の、そして熊本そのもののシンボルと言える天守が美しく力強く復興したことを目出度く思う。

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のん

のぼうの城へ (2022/07/24 訪問)

映画でのぼうの城を見てから、ずっと行きたかった忍城へようやく行けました。

到着した途端、目に入ってきたのが、お堀、柳の木、門、三階櫓。そんな入り口の雰囲気にワクワクしました。
入り口にそびえ立つ御三階櫓は、もともとの本丸跡に、違う場所にあった御三階櫓を再建したものだそうです。
 
 残存しているものは少ないのですが、敷地内にある有料の郷土博物の説明は小さいながらも、参考になるものでした。
現在の街と当時のお城が重ねて見えるような展示物があり、かなり広大だったことがわかります。さすが、譜代大名がいたお城だと思いました。

御三階櫓の中に展示品があり、博物館から繋がっていることに驚きました。

スタンプだけの方は、博物館に入ってすぐ右手にあります。受付まで進まず、スタンプのみができます。
月曜日や第4金曜など博物館お休みの日は、スタンプはお城から離れた観光情報館ぶらっとぎょうだ、にあるとの記載がありました。(何年か前の情報です。ご確認ください)

JR吹上駅から行田駅の循環バスに乗ってお城まで行ってしまいましたが、途中にある水城公園の古墳に、石田三成の小田原攻めの際、陣を構えた場所であり、築いた堤がまだ残っているそうです。かなり長い距離堤を作ったとのこと。あちこちに遺構があるかと思われます。
秩父鉄道の行田市駅とJRの行田駅は全く異なる場所にあります。検索される時、ご注意ください!どちらからも、循環バスが走っていたり、観光用レンタサイクルもあります。

お城だけでなく、堤あと、三成の陣跡アンド外堀だった水城公園、田んぼアートのある古代はすの里、さいたま古墳公園など、面白そうな場所がたくさんありました。この時期しか見られない田んぼアートは見たかったなあ。

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ろっし

お城探訪 (2022/07/24 訪問)

空堀、曲輪など見れます!
駐車場からすぐなので、夏でも行きやすい山城👍️

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前ちゃん

荒城の月 (2022/07/24 訪問)

府内城から移動、豊後竹田で元銭湯のカフェに入りたかったが、休みだったので、肩を落としながら城へ

よくこの断崖絶壁に城を築いたと感心、遠くに聞こえる荒城の月のメロディーが雰囲気がある

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前ちゃん

大阪逃亡 (2022/07/24 訪問)

進路東(滋賀、愛知)を不発弾で塞がれたので、進路を西へ


大友宗麟さんです

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赤い城

緑ヶ丘霊園 (2022/07/09 訪問)

この日は溝の口駅から徒歩。
20分くらいですが最寄は南武線の津田山駅。
緑ヶ丘霊園に城跡があります。
とはいっても石碑と説明板があるのみ。
霊園なので周りは墓地で写真も憚られます。
鎌倉時代からの城で戦国時代には扇谷上杉氏に備える北条氏の城として機能していました。
遺構は残っていないようです。

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チェブ

出直したものの、、、。 (2022/05/06 訪問)

新城市に入ると、緑色の兜に黄色三日月の前立てのマークが目につきました。
市章がまさしく、兜です。
ちょっと、伊達 政宗さんの兜にも似てますが、三日月が小さめサイズです。
長篠の合戦があった町ですからね、カッコいいです。

そして、私のカッコ悪い「新城城」攻めは、Googleまかせ。到着したのは新城小学校の校庭の隅。もう日が暮れて暗く、不審侵入者になってしまいます。
翌日、再訪問しましたが、新城小学校の正門で キーンコーン カンコーンのチャイム。そして、大勢の小学生が休み時間で、校庭に飛び出してきました。
もう、退け退け~と退却しました。

GWで浮かれてましたが、6日は平日でした。
戦で大勢でわーっと攻め掛かられるのって、慌てるものですね。←戦じゃないのに。
小学生たち、全然っ 私には眼中に なかったですけど。

「新城城」の石碑や遺構は見れませんでしたけど、正門は雰囲気があって歴史がありそうです。

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ヒロケン

蘇る戦国の山城 (2022/07/16 訪問)

足助城は標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した連郭式の山城です。真弓山は、足助の街並みを見下ろす要害の地で、15世紀以降に鈴木氏が築城したと考えられています。鈴木氏がいつ頃、足助に入ってきたかは不明ですが、足助を本城として周辺の土豪衆を配下に治め、戦国時代足助地方で権力を奮っていました。16世紀に入ると、岡崎の松平氏(徳川氏)との間で、従属離反を繰り返しますが、1564年以降は松平氏のもとで高天神城の戦い等に、武勲をあげています。その後、1590年徳川家康公の関東入国に従って鈴木氏も足助城を去り、廃城となったと考えられます。(パンフより抜粋)

足助城は、戦国時代の鈴木氏の城を発掘調査により検出された建物跡を、戦国時代の生活を浮かび上がらせるくふうをするということで、数々の建物が復元されています。本丸には高櫓(天守)・長屋、西の丸には西物見台、南の丸は台所の役割をもつ曲輪で、建物2棟、高台には南物見台が、戦国時代の山城をそのままに復元されています。

足助城には7度目の訪問ですが、この季節に行くのは初めてです。と言うのも、真弓山と対面する飯盛山の麓には、愛知県でも指折りの紅葉の名所、「香嵐渓」があり紅葉の季節には、他県からも大勢の方が押し寄せています。
また、足助街道沿いの民家では、3月には雛人形が軒先に飾られ、観光客の目を楽しませています。この、街道からも足助城の高櫓を見ることが出来ます。

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橋吉

本丸から見える外ノ浦は絶景 (2022/07/16 訪問)

まずは、続日本100名城スタンプをもらいに、浜田市浜田城資料館に訪れました。
2019(令和元)年に開館したと聞いていたのですが、なんだか古い建物。
御便殿といって、明治40(1907)年、皇太子(後の大正天皇)が山陰を行啓された際、浜田での宿泊施設として、建築されたものです。
近代和風建築物で、「御殿」と呼んでも差し支えのない規模と構造をもっており、建物自体が大変価値ある上に、展示物もしっかりしており、入場無料には思えない資料館でした。
浜田城に関するVTRも大変参考になりましたが、これはYou Tubeでも見ることができます。

浜田護国神社の駐車場まで車で登りました。
かつては、浜田城の二の丸でした。

護国神社脇から本丸に向かいます。
移築された門は、もともとは津和野藩庁の門でしたが、1870(明治3)年の浜田県設置にともない、その県庁正門として使われていたものです。

いろいろ城をまわってきましたが本丸から見える外ノ浦は一二を争う絶景だと思います。

所要時間:45分

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カズサン

釣鐘門復元工事中登城 (2008/04/27 訪問)

 福知山城の釣鐘櫓門が復元中の情報も有り14年前の平成20年、家族で母の見舞い帰省の途中、中国道から舞鶴若狭
道経由し福知山城に寄りました。
 駐車場は福知山城堀外東側、ゆらのガーデン駐車場を利用。

 コンパクトデジカメの写真データーが30枚ほど残って居ましたので投稿させて頂きます。

 今回は娘は初めてでしたので天守閣に登り、本丸を廻り、釣鐘櫓門は工事の仮設支柱、シートに覆われて良くは分かりませんが平成22年には完成しています。東側の堀に架かってる太鼓橋なる昇龍橋の駐車所側に遅咲きか桜が咲いて居ましたので最後10枚目に掲載します。
 何時の城廻りも楽しいですね❣

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mhina

桜に映える春のひろさき (2020/05/03 訪問)

修理中のため地面におろされ天守閣

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おっちゃん

富田城跡復元鳥観図 (2017/04/01 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

鬼ノ城案内図 (2016/12/24 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

烏城公園案内図、御城内御絵図 (2013/05/10 訪問)

現地案内板より抜粋。

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POYO58

熊野・新宮日帰り旅行③ 新宮城 石垣が特徴的 (2022/07/17 訪問)

赤木城の次に新宮城へ行ってきました。
新宮城は1600年に浅野忠吉が修復工事を行います。そして大坂冬の陣の時、北山一揆が起こり、一揆勢が新宮城を攻めてきますが、熊野川を渡れず、浅野勢の反撃で撤退し、浅野氏の勝利に終わりました。しかし、幕府一国一城令により廃城となります。しかし、浅野忠吉がもう一度修復工事を行い、完成させます。その後、紀州徳川家である水野重仲が入城します。それから相次いで地震が起きて破壊したり、修復を繰り返して明治維新にいたります。そこで廃城令を出され、石垣だけの城となりました。

この城は数カ所枡形虎口が設けられ、とても堅固な城となっています。石垣はほどんど切り込みはぎで登りにくくなっています。(一部野面積みがあります)新宮城は熊野川に面し、和歌山県と三重県のターニングポイントにあります。

和歌山県は日本100名城、続日本100名城が和歌山城とこの新宮城二つしかないので和歌山県としては結構貴重な城です。

評価
遺構:3
行きやすさ:3
全体:3

攻城時間
40分くらい

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