中世の石畳道編の続きです。
南谷発掘地、復元の門と土塀、中世の石畳を探訪の後、まほろば館の担当の方から、天正2年(1574年)一向一揆との攻防で白山平泉寺全域が焼失する中、残った大杉の事も説明が有り、中世の石畳道南端が若宮神社と成って居り、そこに幹の太い大杉が立って居ましたがそれが残存大杉、全山延焼の時期から440年以上その時点でも大杉だったでしょうから500年600年の年輪を経てる事でしょう。
その大杉の東奥にも残存坊院跡石垣が幾重にも重なって往時の栄華、多数の坊院を思い起させます。
散策マップの南端の道を西に進み神明神社にも残存大杉が数本有ります、紺屋坂まで西進、その間石垣、石塀の跡が残って居ます、紺屋坂を降って行くと白山平泉寺の精進坂に当たります、紺屋坂の石垣、石垣区切り、屋敷跡、石垣石塀に囲まれた西念寺、精進坂の北側には石垣構えの顕海寺、西進して開山の泰澄大師の廟、探訪出発点のまつや前駐車場、歴史探遊館まほろばに着きます。
約1時間半でしたが見逃した処、パスした処も有りまだまだ見切れましんでした、イオさんの投稿写真で白山神社の城郭構造を数拾年振りに見つける事が出来且つ探訪出来た事は久しぶりの快楽です。
イオさん有難うございました、投稿楽しみしています。
また勝山市周辺を含めて訪ねる時に再訪し見聞を広めたいと思います。
皆さんも白山平泉寺城訪ねられたら如何でしょう、素晴らしい所です。先ずはまほろば館で説明閲覧し散策マップを入手しましょう。
4編長々と見て頂き有難うございました。
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