室町中期に土岐氏家臣の福束益行が築き、その後は丸毛氏代々の居城となりましたが、関ケ原の戦いでは丸毛兼利が西軍についたことで松ノ木城の徳永寿昌や今尾城の市橋長勝ら東軍の攻撃を受け(福束城の戦い)、大垣城に逃れ、戦後に廃城となりました。
揖斐川に複数の支流(水門川、牧田川、相川)が合流する舟運の要衝に築かれた平城でしたが、木曽三川分流工事により遺構は消滅しており、福束城に隣接していたとされる福満寺(分流工事により現在地に移転)に「丸毛兼利と関ケ原の戦い」の説明板が立てられているくらいです。また、福満寺から東に約3.7kmには、福束城の戦いでの両軍の死者を埋葬した北塚(と説明板)があります。
…と、見るべきものは限られているものの、輪之内町では大いに福束城と丸毛兼利推しで、町立図書館内の歴史資料館には福束城のコーナーが設けられ、パネルやジオラマ、福満寺に伝わる福束城跡が描かれた版木(複製)が展示されています。さらには丸毛兼利を主人公とするアニメ「丸毛戦記」制作に、先日開催された第3回丸毛サミットも盛況だったようで、かなりの力の入れようです。かく言う私も、丸毛サミットにあわせて輪中の城めぐりをするつもりだったのが、当日に別用が入ったためにわざわざ半月繰り上げて訪れるなど、輪之内町にうまく乗せられている気もします(笑)
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