【三星城】
<駐車場他>道の駅彩菜茶屋
<交通手段>車
<見所>畝状竪堀・土塁
<感想>1泊2日城びと美作・備前山城攻めの旅2城目。現地説明板によると三星城は1160年頃に土豪の渡辺氏によって築城され妙見城といっていたそうです。室町時代の1336年に地頭職として入封した後藤氏の居城となります。戦国時代の後藤勝基の時に近隣の豪族を従えて東部美作国の大半の勢力を誇りますが浦上氏が宇喜多氏に滅ぼされると宇喜多直家に攻められ落城、自刃します。
三星山はみまさか商工会が美作建国1300年を記念して「美」の文字を点灯しています。たぶん城びと会員になる前の百・続百名城巡りをしている時に点灯しているのを偶然見て覚えていました。今、城跡だったのだと繋がりました。
城跡は明見三星稲荷神社の参道から登って行きます。鳥居前に城跡説明板、三星合戦の説明板等があります。幅広のスロープを登っていくと寺跡の曲輪があります。忠魂碑の横の五輪塔が後藤勝基の墓碑になっています。寺跡横の車止めのチェーンをまたいで進むと山腹の西の曲輪に入ります。西の曲輪には背後に土塁、畝状竪堀を備え外枡形虎口らしきものも見られ見応えあります。山頂側に竪土塁・竪堀が立ちそびえています。ここを無理して登らず横の整備道を進みます。右:頂上へ登る方と左:山腹を進む方の分岐を右の山頂方面をアタックします。急斜面の岩場をよじ登るような感じで進むと「美」の電灯のある斜面に出ます。山頂からの眺望はとてもいいです。山頂は二の丸らしいのですが超狭で物見台がある程度だったでしょう。山頂から南側に進んで灌木ゾーンを突破するともう一つの山頂に主郭らしい場所に出ます。主郭は中央端に土壇らしきものがあり点灯用の電柱があります。主郭は平曲輪で土塁や他の防御遺構が見当たらず小さい曲輪です。主郭から南へ降りて行きます。主郭南側も段曲輪もなく道も無くなって不安になりもう少し行って戻ろうかと思った時に道が薄っすら復活して「各段ハ曲輪アト」の札が落ちています。「段曲輪はもはや無い!」とつぶやきつつ復活した山腹の小径を進むと岩井戸があります。岩井戸横を進むと先の2股分岐地点に戻ってきますので城跡を1周できました。
<満足度>◆◆◇
<グルメ>道の駅彩菜茶屋は野菜コーナーが充実しフルーツ館、食堂もあります。黒豆が名産らしく黒豆を使ったメニューがあります。私はうどんと鳥丼のセットをいただきましたが付いている茶碗蒸しがすごく美味しかった。
新年あけましておめでとうございます。今年も城びと生活を楽しみ、また事故なく攻城をしたいと思います。拙い文章ですが少しでも役立つ情報をお伝え出来ればと思います。よろしくお願いいたします。
+ 続きを読む