みつぼしじょう

三星城

岡山県美作市


旧国名 : 美作

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三星山
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ぴーかる

「美」の山城 (2022/12/03 訪問)

【三星城】
<駐車場他>道の駅彩菜茶屋
<交通手段>車

<見所>畝状竪堀・土塁
<感想>1泊2日城びと美作・備前山城攻めの旅2城目。現地説明板によると三星城は1160年頃に土豪の渡辺氏によって築城され妙見城といっていたそうです。室町時代の1336年に地頭職として入封した後藤氏の居城となります。戦国時代の後藤勝基の時に近隣の豪族を従えて東部美作国の大半の勢力を誇りますが浦上氏が宇喜多氏に滅ぼされると宇喜多直家に攻められ落城、自刃します。
 三星山はみまさか商工会が美作建国1300年を記念して「美」の文字を点灯しています。たぶん城びと会員になる前の百・続百名城巡りをしている時に点灯しているのを偶然見て覚えていました。今、城跡だったのだと繋がりました。
 城跡は明見三星稲荷神社の参道から登って行きます。鳥居前に城跡説明板、三星合戦の説明板等があります。幅広のスロープを登っていくと寺跡の曲輪があります。忠魂碑の横の五輪塔が後藤勝基の墓碑になっています。寺跡横の車止めのチェーンをまたいで進むと山腹の西の曲輪に入ります。西の曲輪には背後に土塁、畝状竪堀を備え外枡形虎口らしきものも見られ見応えあります。山頂側に竪土塁・竪堀が立ちそびえています。ここを無理して登らず横の整備道を進みます。右:頂上へ登る方と左:山腹を進む方の分岐を右の山頂方面をアタックします。急斜面の岩場をよじ登るような感じで進むと「美」の電灯のある斜面に出ます。山頂からの眺望はとてもいいです。山頂は二の丸らしいのですが超狭で物見台がある程度だったでしょう。山頂から南側に進んで灌木ゾーンを突破するともう一つの山頂に主郭らしい場所に出ます。主郭は中央端に土壇らしきものがあり点灯用の電柱があります。主郭は平曲輪で土塁や他の防御遺構が見当たらず小さい曲輪です。主郭から南へ降りて行きます。主郭南側も段曲輪もなく道も無くなって不安になりもう少し行って戻ろうかと思った時に道が薄っすら復活して「各段ハ曲輪アト」の札が落ちています。「段曲輪はもはや無い!」とつぶやきつつ復活した山腹の小径を進むと岩井戸があります。岩井戸横を進むと先の2股分岐地点に戻ってきますので城跡を1周できました。

<満足度>◆◆◇
<グルメ>道の駅彩菜茶屋は野菜コーナーが充実しフルーツ館、食堂もあります。黒豆が名産らしく黒豆を使ったメニューがあります。私はうどんと鳥丼のセットをいただきましたが付いている茶碗蒸しがすごく美味しかった。

新年あけましておめでとうございます。今年も城びと生活を楽しみ、また事故なく攻城をしたいと思います。拙い文章ですが少しでも役立つ情報をお伝え出来ればと思います。よろしくお願いいたします。

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急斜面に美作の「美」の字が灯る (2021/03/07 訪問)

城びと先達のレポートの通り、「宇喜多の捨て嫁」にも書かれた、宇喜多直家の厳しい処世の舞台である。三星と言うのも珍しい名前と思う。韓国の巨大企業のSamsung(三星)には苦労させられた。
城主の後藤勝基の墓の後ろに登城口の表示があり、ピンクのテープ表示もあるが、途中から道がわからなくなる。北の丸は中腹よりも低い位置にあるので、直登でもOK。
北の丸には、畝状竪堀や横矢がかりの土塁がある。さらに、北の丸から、二ノ丸、三ノ丸への登り口への緩い斜面には登り土塁なるものも。
城の名前の三星は、三つの頂きがあることから来ていると。頂きは、西から一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸と東西に並び、同じくらいの高さである。山体は堆積岩で、麓の川が激しく浸食し、急峻な斜面を作っている。二ノ丸下の斜面は、特にそそり立っており、そこに、「美」の形に灯り装置が並べられている。そそり立っているから、麓から字として見えやすい。夏には、天の川の「天」の灯りになるとのこと。
訪問日は、地元の方による、草刈りが行われていた。草刈りの範囲は、麓から後藤勝基の墓までのようだった。城域には、表示がたくさんあり、また、その中身も思い入れがある。ただ、だいぶ年期が入って、読みにくかったり、倒れていたりするのが残念。
二ノ丸から三ノ丸とその周辺は、探索しやすいが、二ノ丸から西への一ノ丸は入口が雑木林で分かりにくい。

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りあそーる

病院の前

津山方面から湯郷温泉に行く途中右折して、病院の向かいの神社が城域。駐車スペースはありますが、病院の邪魔になるのでオススメできません。「宇喜多の捨て嫁」を読んで訪れました。お城の説明と、後藤氏対宇喜多氏の合戦の表記があります。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 なし
築城主 渡辺長寛
築城年 応保年間(1161〜1163)
主な城主 渡辺氏、後藤氏
廃城年 天正7年(1579)
遺構 曲輪、土塁、井戸
指定文化財 市史跡(三星城跡)
再建造物 説明板
住所 岡山県美作市明見
問い合わせ先 美作市教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 0868-72-2900