うりじょう

宇利城

愛知県新城市


旧国名 : 三河

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宇利城主郭部
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ヒロケン

三河・遠江国境の城 (2023/09/30 訪問)

宇利城は、標高165m比高90mの山上に位置し、東西両側には深い谷、南は登城口、北は城郭の背後で尾根が続いている山城で、周辺の地域は東南北に峠を抱え、西には遠江との国境がある、交通の要所に位置しています。
中心となる主郭は山頂に位置し、南面を除く周囲に土塁、北端に櫓台、その北側に比高差10m程の切岸、納所平と呼ばれる平坦地、納所平には堀が掘られています。主郭の東側には姫御殿跡が所在し、主郭の前衝的な曲輪の機能を有していると考えられます。宇利城全体では、曲輪・土塁・堀・井戸・石垣が残っています。

宇利城は1469年~1486年頃の間に熊谷重実が築城したとされ、その後の城主、熊谷実長は今川方に属し、三河統一を目指す松平清康に攻められた「宇利の戦い」で熊谷方320名・松平方90名の戦死者を出し、城を明け渡したとされています。
その後、徳川家康公の遠江平定後、宇利城の状況は不明とされているので、廃城になったものと思われます。

駐車場は中宇利交差点の一角に結構広い駐車場があります。トイレはありません。駐車場から歩いて10分位で登城口に着きます。
今回、「宇利の戦い」で戦死した松平右京亮の墓などもあり、戦国時代激しい戦いの場であった城跡を散策しましたが、一部雑木で立ち入ることが出来なかった場所があるため、2013年5月6日に登城した画像と織り交ぜて投稿させていただきます。

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姫街道

家康期の改修はあったか? (2022/12/30 訪問)

連郭系の今川期の城。縄張りは、本曲輪に土塁が巻いていて、尾根背面を大きな切岸がそびえ立つ。1568年の家康による遠江侵攻以降の改修と思われる遺構があるかないかを意識しながら歩いたが、感想としては…立地環境からも家康期の無いと思います。よって東三河の今川期後期の貴重な山城だと。本丸からの眺望が素晴らしい!!

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小城小次郎

二度の激戦を経験している境目の城 (2022/02/23 訪問)

三遠の国境に位置する境目の城の宿命か、松平清康と今川方それぞれの猛攻により二度の落城を経験している壮絶なお城。室町時代の様相を残す主郭部分と戦国ばりばりの外郭部分とを並存させるハイブリッドな感のあるお城でもある。

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熊谷次郎直実の末裔の城 (2022/03/04 訪問)

 石垣、空堀、土塁などを観ることができます。築城した熊谷氏は熊谷直実の末裔ということです。徳川家康の祖父松平清康によって攻め落とされたことでも知られています。
駐車場から登城口まで5分。そこから主郭まで15~20分くらいでしょうか。道も整備され標識もあり主郭までは迷うことはありません。ただ他の遺構を見に行くと少し苦労します。石垣はこの城址の見どころです。標識は比較的新しく迷うことはありません。ただ井戸のあたりまではよいのですが、途中崖のようなところがあったり倒木があったり、またシダ類の藪こきをしなければなりません。御馬屋平へ行く道も崖っぷちの道で注意が必要です。御馬屋平の先には浅くなった空堀がありました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 熊谷重実
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 熊谷氏、菅沼氏、近藤氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、井戸跡
指定文化財 県史跡(宇利城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県新城市中宇利字伝田
問い合わせ先 新城市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 0536-22-0673