宇利城は、標高165m比高90mの山上に位置し、東西両側には深い谷、南は登城口、北は城郭の背後で尾根が続いている山城で、周辺の地域は東南北に峠を抱え、西には遠江との国境がある、交通の要所に位置しています。
中心となる主郭は山頂に位置し、南面を除く周囲に土塁、北端に櫓台、その北側に比高差10m程の切岸、納所平と呼ばれる平坦地、納所平には堀が掘られています。主郭の東側には姫御殿跡が所在し、主郭の前衝的な曲輪の機能を有していると考えられます。宇利城全体では、曲輪・土塁・堀・井戸・石垣が残っています。
宇利城は1469年~1486年頃の間に熊谷重実が築城したとされ、その後の城主、熊谷実長は今川方に属し、三河統一を目指す松平清康に攻められた「宇利の戦い」で熊谷方320名・松平方90名の戦死者を出し、城を明け渡したとされています。
その後、徳川家康公の遠江平定後、宇利城の状況は不明とされているので、廃城になったものと思われます。
駐車場は中宇利交差点の一角に結構広い駐車場があります。トイレはありません。駐車場から歩いて10分位で登城口に着きます。
今回、「宇利の戦い」で戦死した松平右京亮の墓などもあり、戦国時代激しい戦いの場であった城跡を散策しましたが、一部雑木で立ち入ることが出来なかった場所があるため、2013年5月6日に登城した画像と織り交ぜて投稿させていただきます。
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