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ぴーかる

波多野城 (2022/11/05 訪問)

【波多野城】
<駐車場他>波多野城登城口駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>畝状竪堀・堀切・土塁
<感想>波多野城の築城年代は定かではありません。城主の越前波多野氏は鎌倉時代の相模国の秦野氏(波多野氏)の波多野義重が承久の乱で活躍し越前志比荘の地頭とするのが始まりとされます。代々波多野氏がこの城を有したそうです。ちなみに丹波国八上城の波多野氏も相模国秦野氏と同族です。
 駐車場のある登城口から城跡入口まで約2.3㎞の長丁場ですが、道が車1台通れる幅の整備がされているのでかなり登り易いです。入口に柵のあるゲートをくぐり急斜面を登り尾根まで上がります。ここからの眺望がいいです。尾根伝いに進めば城跡に着きます。まず尾根の土塁と緩傾斜地に畝状竪堀が現れます。奥に切通しの堀切があり下部に水の手遺構があります。尾根上を更に進むと右手に尾根上土橋とその下段の平場にも畝状竪堀があります。畝状阻塞とか畝状阻障とかいうそうですがここは畝状竪堀でいきます。名称よりも気になるのが平場に設けられた畝状竪堀の特徴で、先に見た成願寺城や一乗谷城の詰め城でみた平場に設けた竪堀と同じ特徴があります。本来なら曲輪にしそうな削平地を竪堀にする朝倉家の城造りの特徴が分かりました。その右手尾根上土橋、左手奥が堀切があり高い切岸になっている主郭があります。主郭は舌状で段差を付けた曲輪です。主郭先に堀切があります。尾根上土橋を渡った先には主郭と対をなすような形で副郭(仮称)があります。櫓台のような盛り上げがあり石がゴロゴロしているので石積みの櫓台だったかもしれません。副郭の背後の先に堀切があり、堀切を下って行くと水の手に出ます。
 広くて大きな曲輪は無いものの凝らした防御設備遺構が残されたいい城跡でした。平場の竪堀群の特徴が自分の中でも解決できました。

<満足度>◆◆◇

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城好きのメガネ

「一色氏館」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
一色氏館は、古河公方の家臣であった一色氏が館を築いたとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武鉄道日光線 幸手駅 徒歩5分

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カズサン

本丸南堀底散策 (2022/11/14 訪問)

 本丸散策に続いて、搦手虎口より出て鬼怒川西の崖からの風景の鑑賞、広い鬼怒川遠く那須連山なのか?山並み良い景色です。
 
 搦手虎口から本丸西堀に入り南堀との角の土塁が高く素晴らしい、丁度鬼怒川土手の楓が紅葉して居て美しい、本丸西堀、南掘りも草が刈られて居り、土塁も同じく草刈りされて綺麗に見る事が出来ました、落ち葉が有りサクサクと音を発てて秋の風情がなおさら沁みて来る、他に人は無く貸切状態素晴らしい空間です、南掘堀底と、本丸南高土塁を充分に堪能させてもらいました、南堀から東堀への角も高土塁と堀底から大手木橋を堀底越しに見上げる景色も良いですね!
 此処までの散策路の写真を投稿します。
 
 

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マル

手すりの色が・・・ (2022/10/27 訪問)

2007年には赤かった天守閣の手すりの色が剥げ落ちていました。現在天守改修工事のため天守閣には登れませんでした。

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カズサン

本丸散策 (2022/11/14 訪問)

 さくら市の御前城を初登城の後、国道4号線走行中にもナビに勝山城跡が出ますし、御前城から南西に2~3km程の所、寄らなくちゃ!と3年振りの登城をしました。
 車は勝山城跡駐車場を利用、トイレ有り、登城日が月曜日でしたのでさくら市ミュージアムは休館、そのまま本丸跡へ、周辺草刈り整備されていて土塁や本丸堀底までよく観察出来ます。
 
 初めて気付きましたが本丸東堀の本丸土塁張出横矢部との間に畝が有り畝掘りと成ってる所が有りました新しい発見でした、本丸張出部櫓台か?草も刈られて良く見えます、横矢掛りで本丸大手の守り、大手橋も絵に成りますね、本丸虎口を東からと本丸内部からと眺めて、本丸内部、綺麗に整備されて居ます、本丸搦手虎口も内部から西外から眺めて、本丸西堀は鬼怒川土手と接してる。
 気持ちよく本丸散策を写真投稿します。
 
 勝山城は御前城の投稿に歴史を少し書きましたが、この地方の豪族氏家氏の戦国期対防御を考慮した崖城城郭、宇都宮氏の陣営に付き、宇都宮氏改易で廃城になった様です。
 

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マル

山形のお城 (2020/11/29 訪問)

2年前に行ってきました。

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ランフランコ

#22 金剛山城 (2022/12/03 訪問)

楠木正成公が築城した難攻不落のお城。落ちないので受験生はあやかりたいところだが売店とかそういうものは無い。麓の豆腐屋で御朱印はもらえる。

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朝田 辰兵衛

公園の朝散歩。 (2022/11/27 訪問)

国立第一小学校裏の城山公園となります。主要部は私有地なので,ぶっちゃけ公園散歩です。
JR矢川駅から徒歩約20分。JR谷保駅へも徒歩約20分でした。

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赤い城

築土八幡神社の隣 (2022/11/20 訪問)

築土神社の隣にあります。
元々は太田道灌の別館として築かれたとのことです。
江戸時代には徳川将軍家の鷹狩の休憩所として使われていました。
元々は築土城とは一つの城だったのではないかと。
御殿坂は堀切だったとも言われています。
いずれにしても遺構はありません。
このあと五十番で肉まん買って帰りました。
美味しかった!

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マル

AR復元されてました。 (2022/05/11 訪問)

アプリを使用して、多賀城政庁正殿がAR復元されてました。
現在は、多賀城廃寺がAR・VR復元もされているようです。

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T-Shionoya

松前城 最後の近世日本式城郭 (2022/10/12 訪問)

10月の函館旅行で寄った幕末の城を、築城順で振り返り。
1つ目は北海道松前町の松前城。

古くから本州との渡し口であり、蝦夷支配の拠点とされてきた松前。
松前城はその海抜数十mの海岸段丘の、大松前川と湯殿沢に挟まれた舌状台地を城郭とした城。

1500年代初期から松前氏が統治してきた地も、江戸末期になると外国船への警戒が必要に。
幕命により陣屋クラスから7つの砲台を備えた城に大改修され、最後に築かれた近世日本式城郭となりました。

現在は城跡とその周辺が松前公園となり、資料館の復元天守と現存の本丸御門周辺が有料エリア。
実際に訪問すると丘の上の城であることがわかり、まずは天神坂から搦手門へ。搦手門は外側のつくりがおもしろく、三本松土居は二ノ門をカバーする壁。
続いて大手桝形を確認すると、二ノ丸上段から撃ち下ろせる構造。
地形的に弱い城郭北側には寺町が配置され、本丸の北側にも巨大な土塁だったと想像させる大土手の遺構が。

滞在時間は約1時間半。
意外にも中世からの防御システムが感じられた私の城巡りの132城目でした。

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宗春

紀伊半島中央突破シリーズその5 千早城 (2022/11/22 訪問)

紀伊半島中央突破シリーズその5(最終戦)
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。

「金剛山 山の豆腐」前の有料駐車場に車を停めて歩いて登城しました。その駐車場からだと金剛山林道が近いため、まず林道を登り、林道の途中にある登城口から「裏参道」を登りました。
よく見れば遺構があるのでしょうが、よくわかりませんでした。これが百名城?「続」じゃなくて?というのが率直な感想。
二の丸跡に千早神社があり、その奥に本丸があるはずなのですが、登城路がなく本丸には行けません。

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キンヤ

佐々成政の松根城に対抗して前田利家が築いた城 (2022/11/20 訪問)

1584年、加賀の前田利家と越中の佐々成政が対立した際、成政の松根城に対抗した城として利家が切山城を築城又は改修したとされます。
城の北東から南には街道の小原道が通ってます。

松根城はテクニカルで大規模な城でしたが、その後に行ったためか、切山城のインパクトは弱くアッサリしたコンパクトな城でした。
でも、枡形虎口や馬出など、なかなか巧妙な城だと思います。
北東の小原道の両側は竪堀・横堀で防御されてました。

良く整備され見学し易くありがたかったです。

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零汰

終活4:100城・続100、城郭巡り:ホクリク 1.2日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?
エリート城を訪問し、自分の目と頭で体感し、最後に自分はどう感じるのか確かめる4回目。

寒くなる前に行っときたいなと、11/2の夕方にフェリーに乗った。え!敬老会の慰安旅行か?と言わんばかりにいつもよりも随分年齢層の高い人々で溢れている。世間はGoToの時期に入ったようだ。見渡しても若者はチラホラ数えるくらい。働く現役時代は行ける訳ないよな。社会の縮図を横目に指を折りながら数えてみる、自分の賞味期限切れまでの年数を。残り時間は少ないな。

10/7迄の正味5日間、北陸方面を目指すのだが、3.4日の天気は確実に雨模様。それ以降も不安定だった。ホテルは前日確保しと、3パターンのルートを計画した。天気によっては北陸には行く事が出来ないかもしれない。まずは3.4日は琵琶湖周辺を訪問することにした。

11月3日(2日目)
1.宇佐山城(滋賀)・・・・・・40分:1.1km:累計高低差153m
2.坂本城(滋賀)
3.壺笠山城(滋賀)
4.青山城(滋賀)・・・・・・・3.4同時:1時間40分:4km:累計高低差319m
5.大津城(滋賀)
6.膳所城(滋賀)
7.多喜山城(滋賀)・・・・・30分:0.8km:累計高低差118m
9.浮気城(滋賀)
本日は全て正続100以外です。幾つか有名な城を訪問してみました。

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ぴろちゃん

新 岡山城 (2022/12/04 訪問)

月見櫓の公開で行ってきました。新しくなってからやっと訪れることができて、ゆっくり見学しました。子どもさんから大人まで楽しんでいました。

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ぴろちゃん

死ぬかと思った (2022/12/04 訪問)

ナビにしたがって進んだら、タイヤが滑って死ぬかと思いました。ナビに従わず看板通りきちんとすさい橋の手前で曲がりましょう💦建物は現存ではありませんが、すごい堀がありました。

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ヒロケン

雲海!! (2022/12/03 訪問)

黒井城跡は、丹波井ノ口山(標高356m)にある山城で、南北朝時代の1335年春日部荘を領した赤松筑前守貞範が山頂に砦を築いたことからその歴史が始まると言われています。
その後、約200年間数代にわたって城主の変遷はありましたが、戦国動乱の中、1554年荻野悪右衛門(赤井直正)が城主となり、その勢力拡大に伴い改修されたのが、現在の黒井城です。
主郭部は、半独立した井ノ口山の山頂を平らに削り、中央より少し西にかたよって一番高く広い本丸を置き、西に西曲輪を接続させて左に空堀を隔てて二の丸、さらに角度をやや南にふって三の丸と東曲輪を階段状に配しています。
本丸・二の丸の南面には自然石をそのまま使った野面積みの石垣が積まれています。これらの石垣は、黒井城落城後、斎藤利三・堀尾吉晴など織田・豊臣政権下の武将によって築かれたとのことです。(パンフより抜粋)

3度目の訪問ですが、イオさんの雲海の投稿を見て是非とも言ってみたいと思っていました。豊橋を出発する時は、雲海が見れるか心配していましたが、見事な雲海・雲海につつまれた城跡を見て感動(#^^#)大満足(*^▽^*)しました。また、次から次へと雲海見たさの方たちが、30分程かけて山頂を目指して登っていました。

チェブさん 目眩がするとのことで心配しておりましたが、最近の投稿を拝見し安心しております。無理せず御自愛下さいませ。

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キンヤ

テクニカルな縄張りで佐々成政の築城技術が凄い城 (2022/11/20 訪問)

1584年、越中の佐々成政と加賀の前田利家が対立した際、佐々成政が国境を守るために改修したとされます。
今も富山県と石川県の県境にあります。

城の南側は街道の小原道が通っており、前田利家が築いた切山城からの小原道を大堀切や櫓台などで守られています。大堀切は幅広で圧巻です。
南側の大手虎口から主郭への登城ルートは何度も折れ巧妙です。特に馬出は二段構成で複雑に折れてます。
主郭から北側のニノ丸・三ノ丸は、南側ほど厳重ではないですが、喰違い虎口や竪堀・堀切で防御されてます。
主郭から馬出の西側の横堀は長大で見応えがあります。

規模が大きくテクニカルな縄張りで、佐々成政の築城技術が凄いと思いました。
良く整備され見学し易い城でした。

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キンヤ

越中の佐々成政が国境を守るために改修したテクニカルな城 (2022/11/20 訪問)

1584年、越中の佐々成政と加賀の前田利家が対立した際、佐々成政が改修し、杉山小助が守ったとされます。
城の西側から南側には街道の田近道が通ってます。

加賀側の西曲輪(三ノ丸ともされる)の西側下には巨大な堀切があり切岸も高く圧巻です。西曲輪の折れた土塁や櫓台から横矢が効いています。
西曲輪の北側の登城ルートはスロープ状から折れて西曲輪や櫓台から横矢が効いており、更に枡形虎口があり巧妙です。
西曲輪・主郭間の曲輪(ニノ丸ともされる)の虎口も枡形状の折れがあります。
大手とされる東側の登城ルートは枡形状や竪土塁で何度も複雑に折れがあります。

遺構がしっかり残され見所が多く、テクニカルな縄張りで、佐々成政の築城技術が凄いと思う山城でした。

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とってぃ

娘との初100名城 (2022/12/04 訪問)

ピクニックがてら。
木橋はまだ通れず。
でも、大堀切から見上げる木橋はいい眺めだった。

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