伊勢未踏の城廻四日市陣屋を終えて北に約3~4kmの茂福城を訪ねました。道は狭く要注意です。
情報ガイドは城郭放浪記さん。
駐車場は有りません、近くに路駐し雨降りでもあり数分の探訪。
近鉄名古屋線沿いで東側、近鉄富田駅と霞ヶ浦駅の中間辺りに小山というか土盛り土塁上に梛の木と墓石、案内板、茂福城の大看板があります、大看板は線路の西側からしか文字は見えません。この場所は城の主郭の北西角に当たると言われる。
案内板によると、平維茂の子孫平貞冬が、越前朝倉よりこの地へ来て城を築き朝倉を名乗った。保々西城の朝倉備前守と同族ある。
永禄10年(1567年)にいたり最後の城主茂福掃部輔盈豊は織田信長の武将瀧川一益のため長嶋城へ誘いだされ殺された。とあります。
茂福城と書いてモチブクジョウと読みます。
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