にうじょう

仁宇城

徳島県那賀郡

別名 : 和食城、仁宇山城
旧国名 : 阿波

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城址碑
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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征3日目:仁宇城 (2022/07/22 訪問)

西方城からの転戦です。
蛭子神社前県道スペース(33.859254、134.502213)に駐車後、蛭子神社の土塁(33.859905、134.501721)➡鷲敷小学校の石碑(33.8596、134.4993)の順番に回りました。

築城時期など定かでないようですが、天正年間(1573年〜1592年)湯浅対馬守(藤原兼時)の居城でした。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐の後、蜂須賀氏が阿波に入部すると、湯浅氏はこれに反して一揆(仁宇谷一揆)を起こしたが鎮圧されました。
その後、仁宇城は阿波九城のひとつの支城として整備され、一揆を鎮圧した重臣山田宗重を城代とし5,000石を所領としました。
元和の一国一城令にもかかわらず、1638年(寛永15年)まで存続していたそうです。

阿波9城のひとつです。
現在城址は蛭子神社の境内となっており、北東側に土塁が確認できました。また鷲敷小学校に「仁宇山城阯」と書かれた城址碑が建てられています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=小仁宇城(城びと未登録 徳島県那賀町)に向かいます。

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todo94

阿波九城 (2013/05/25 訪問)

阿波九城を偲ばせるような仁宇城の遺構はなさそうだった。周囲を少し回ってみると小学校の敷地の一角に仁宇山城址碑を発見。更に離れた場所には仁宇城址碑もあるのだそうだが、其処は城地とは関係ない場所なのだそうだ。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 湯浅兼朝
築城年 戦国時代
主な城主 湯浅氏、山田宗重
廃城年 寛永15年(1638)
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑
住所 徳島県那賀郡那賀町和食