西方城からの転戦です。
蛭子神社前県道スペース(33.859254、134.502213)に駐車後、蛭子神社の土塁(33.859905、134.501721)➡鷲敷小学校の石碑(33.8596、134.4993)の順番に回りました。
築城時期など定かでないようですが、天正年間(1573年〜1592年)湯浅対馬守(藤原兼時)の居城でした。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐の後、蜂須賀氏が阿波に入部すると、湯浅氏はこれに反して一揆(仁宇谷一揆)を起こしたが鎮圧されました。
その後、仁宇城は阿波九城のひとつの支城として整備され、一揆を鎮圧した重臣山田宗重を城代とし5,000石を所領としました。
元和の一国一城令にもかかわらず、1638年(寛永15年)まで存続していたそうです。
阿波9城のひとつです。
現在城址は蛭子神社の境内となっており、北東側に土塁が確認できました。また鷲敷小学校に「仁宇山城阯」と書かれた城址碑が建てられています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=小仁宇城(城びと未登録 徳島県那賀町)に向かいます。
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