麓にある日亜化学工業さんの駐車場を利用します。
案内板もあるので安心です。
少し西に進むと登城口があります。
整備されていて登りやすい、手すりにはLEDが付いています。
山頂部は段になっていて曲輪の跡がよくわかります。
主郭には展望台があり、夜はイルミネーションが輝くようです。
その奥には虎口もあるようですが柵もあり侵入は自重しました。
【見どころ】
・山頂部の段になった曲輪
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2026/04/23 06:53
2026/04/22 06:18
高源寺城 徳島県阿南市 (2026/04/05 訪問)
城びと未登録の城です。
麓の公園になった空き地に車を置かせてもらい登城しました。
登城口の案内板がありますがその先の林道を登って行きます。
小型の車なら行けますが無理は禁物です。
しばらく登ると分岐があり、折れてさらに登ると右手に尾根があり、これに取り付きました。
南北に走る尾根には堀切が三条、曲輪に近い南側の堀切は深さもありました。
主郭部の曲輪は二段になっていて南側にも細長い曲輪があります。
この辺りには明瞭に遺構が残る城が少ないのですがここはコンパクトながら見応えのある良い城でした。
【見どころ】
・尾根上の堀切
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2022/08/08 05:20
2022夏の青春18キップ遠征3日目:西方城 (2022/07/22 訪問)
宿泊先のホテルルートイン阿南からです。日亜化学駐車場入口(33.926094、134.620486)から侵入し、車を駐車後、西方山登り口(33.925889、134.616990)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)に東条紀伊守によって築かれたと云われています。
東条紀伊守は桑野城主東条関之兵衛の伯父です。
1577年(天正5年)頃に東条氏は長宗我部氏に従い、東条関之兵衛は元親の養女を妻に迎えます。この頃、東条関之兵衛は西方城を守っていました。
1582年(天正10年)長宗我部元親の阿波平定以後、東条関之兵衛は木津城城主となりました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐では、戦わずに東条関之兵衛は土佐へ逃亡しました。その後、阿波公方家の隠居所としても使用されました。
しかし、敗戦の責任を問われ、東条関之兵衛と弟の東条唯右衛門は長宗我部元親に処刑されました。
天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐では東条関之兵衛は木津城を守備していたが、秀吉方であった伯父の東条紀伊守の説得によって開城し、桑野城へ退いた後に土佐へ逃れた。しかし、敗戦の責任を問われ、東条関之兵衛と弟の東条唯右衛門は処刑された。
登山道が整備され、東側の一部に展望台と説明板が設置されています。
登山道は結構な階段(今、何合目付近かを示す標識あり)を登るので、登山口においてある杖は使ったほうがいいです。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=仁宇城に向かいます。
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2021/02/24 06:53
光の八十八ヶ所 (2021/02/11 訪問)
徳島県は、20世紀中の開発は困難と言われていた高輝度青色LEDを世界で初めて製品化しており、光の八十八ヶ所なるものを選定しています。まだ63ヶ所しかないようですが。近くの牛岐城も選定されていますが、ここ西方城も「夜青龍」として選定されています。眼下の企業の尽力のたまものなのでしょう。登城路の木の手すりにもずっとイルミネーションが取り付けられていました。少し離れたところにある駐車場への案内もあり、ありがたい限りであります。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 東条紀伊守 |
| 築城年 | 永禄年間(1558〜1570) |
| 主な城主 | 東条氏 |
| 遺構 | 曲輪、帯曲輪、土塁、切岸 |
| 再建造物 | 説明板 |
| 住所 | 徳島県阿南市長生町西方 |
| 問い合わせ先 | 徳島県立埋蔵文化財総合センター |
| 問い合わせ先電話番号 | 088-672-4545 |