仕事で近くに来たついでに和歌山城へ。今回のお題は、和歌山城のホームページでダウンロードできる「石垣散策マップ」(http://wakayamajo.jp/pdf/ishigakimap.pdf)です。和歌山城の石垣は豊臣・桑山期、浅野期、徳川期でそれぞれ特徴が異なっていますので、石垣散策マップを片手にめぐってみました。
① 天守台石垣
天守台の石垣は羽柴秀長による築城時に積まれた最古の石垣で、結晶片岩による野面積みです。随所に転用石も見られ、写真では石落とし直下の白っぽい石が転用石(たぶん宝篋印塔)です。
② 新裏坂下の石垣
浅野期に積まれた和泉砂岩による打込接ぎの石垣です。新裏坂下の石垣には様々な種類の刻印が施されています。
③ 砂の丸の高石垣
徳川頼宜が城主となった際の大改修で設けられた砂の丸の高石垣は、和泉砂岩による打込接ぎです。
④ 鶴の渓の石垣
天守曲輪北麓の鶴の渓の石垣は、豊臣・桑山期の結晶片岩による野面積みで、天守台石垣と比べて巨大な石が用いられています。
⑤ 不明門跡付近の高石垣
徳川期の高石垣で、隅角部に熊野地方産の花崗斑岩、その他は和泉砂岩を用いた切込接ぎです。非常に精緻に積まれています。
⑥ 松の丸櫓台石垣
不明門と同じく徳川期の石垣で、隅角部に花崗斑岩、その他は和泉砂岩を用いた切込接ぎです。こちらも見事な高石垣です。
⑦ 一中門跡の石垣
徳川期に積まれた花崗斑岩による切込接ぎの石垣で、多角形に加工した石材による亀甲積みが見られます。
⑧ 石垣の変遷がわかる場所
松の丸下の豊臣・桑山期の結晶片岩による野面積みの石垣に、徳川頼宜の大改修で設けられた南丸の門の和泉砂岩による打込接ぎの石垣が接続されている様子がよくわかります。
⑨ 石材の変わり目
一中門跡の⑦の反対側の石垣も徳川期の切込接ぎですが、途中で石材が異なっており、向かって左側には花崗斑岩、右側には和泉砂岩が用いられています。よく見ると真ん中あたりで五角形の花崗斑岩が和泉砂岩側(右側)に食い込んでいるのがわかります。
⑩ 石垣を後世に伝える
西の丸西側石垣は浅野期の和泉砂岩による打込接ぎですが、長い年月の中で劣化していたのを平成29年から令和元年にかけて修理しています。これからもこの和歌山城の石垣を後世に伝えていっていただきたいものです。
「石垣の博物館」と呼ばれる金沢城には及ばないまでも、和歌山城の石垣もなかなか見応えがありますので、ご来城の際にはぜひ!
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