説明板によると本田氏は畠山重忠の重臣の後裔で、現在の本田氏はこれの末裔とのこと。現在のことまで記されている説明板って珍しい気がします。民家の後ろの林の中に、土塁、空堀を見つけることが出来ました。
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2023/01/25 06:55
城と云うか館跡 (2023/01/01 訪問)
説明板によると本田氏は畠山重忠の重臣の後裔で、現在の本田氏はこれの末裔とのこと。現在のことまで記されている説明板って珍しい気がします。民家の後ろの林の中に、土塁、空堀を見つけることが出来ました。
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2023/01/25 02:14
岡崎城を読みとく (2023/01/21 訪問)
岡崎城の本丸は、河岸段丘の先端に立地しています。
本丸南は、段丘下の風呂谷曲輪を挟んで龍城堀が廻ります。
一方、本丸北側は、地続きの段丘の為、深い空堀で区画して幾重にも重なる曲輪を造り出しています。
清海堀は、本丸と持仏堂曲輪を隔てる大規模の空堀で、岡崎城の最初の築城者の西郷頼嗣の法名(清海入道)に因み、「清海堀」と呼ばれています。
そこで、最初の誰が「清海堀」を造ったのかですが、西郷頼嗣という説と徳川家康という説がありますが、私は徳川家康だと推測いたします。
西郷頼嗣時代は、砦だけで堀は築いていなかったと思います。
また、本丸を護る為にどのような仕組みを造り出したのかですが、二の丸から本丸大手門へのルートは、まず持仏堂曲輪に入り、180度方向転換して清海堀に沿った幅の狭い通路(帯曲輪)を通らなくてはなりません。
この帯曲輪には本丸から常に横矢が掛かる仕組みになっていました。
このような本丸周辺の厳重な護りは、戦国時代後期に徳川家康が築き上げた縄張りを表しております。
田中吉政が本丸周辺の大改築を行った際に、清海堀に石垣を築いたと思われます。
清海堀の石垣には積み直しの痕跡が見受けられることから、江戸時代を通じて積み直しがあったと思われます。
最後に、田中吉政が東海道を総構えに沿ってくねくねと屈折した二十七曲りの道筋を城下町に造ったかは、城下防衛と共に、街道筋に店舗を並べて旅人たちに留まらせる経済効果を狙ったとされております。
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2023/01/25 00:55
主郭の石垣に思わず声が出てしまいました (2023/01/12 訪問)
この日は雪が積もる山を上にある主郭を目指して登りました。
登城口を歩くと、すぐに地獄の釜という沼があります。
昔、馬一頭が引き込まれたとの事、さすが地獄というネーミングが付いているだけある恐ろしい逸話のある沼です。
城の水の手という話しもあるようで、現在は井戸のようになってました。
主郭までの道のりは曲輪や竪堀や魅力的な遺構が見れました。
頂上の主郭が近づくと、囲んだ石垣が見えてきます。
雪が積もってると足場が滑りやすいのと、道が合っているのか不安を覚えながらの道のりです。
石垣が見えた時の喜びは大きかったです。
ここは林大城とのセットでぜひ訪問ください。
両城の遺構はもちろんですが、当時の2城の連携がどうだったかと連想しながら楽しめると思います。
登城口には駐車場はありません。
若干のスペースがあり、停めて獣よけフェンスを開けて山に入りました。
私はそのまま停めて林大城も見学しました。
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2023/01/24 22:17
小学校背後の竜子山城 (2023/01/09 訪問)
麓には武家屋敷などがあり、城下町の雰囲気があります。
小学校の隣の公園に駐車場があります。
公園から登りますが入口に説明板が立っています。
登ると井戸跡などがあり、途中に堀切や土塁も見ることができます。
主郭までもそんなに登らなくても到達。
その先、二郭との間に土塁と空堀があり、竪堀へと続きます。
二郭から東側の尾根を降りて行きました。
段になった曲輪がありますがロープが付いているほどの高低差が。
なかなかのハードさでした。
こちらの尾根はほぼ竹藪、堀切も竹で埋め尽くされていました。
やっとの思いで下まで降りると神社が鎮座。
背後には水堀も残っていました。
城下町も歩いて見ると発見がありそうですがやっぱり山城に惹かれる感じでした。
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2023/01/24 21:30
2023/01/24 17:21
キリシタン武将、内藤ジョアンの居城を訪ねて (2022/05/28 訪問)
松永久秀公の弟内藤宗勝の子として生まれた内藤忠俊公は、乳母がキリスト教信者であったことからフロイス神父の洗礼を受けてジョアン(如安)と名乗るようになります。足利義昭公に仕えて備後国、鞆の浦下向中に八木城は明智軍によって落城、その後はキリシタン大名小西行長公に仕えます。関ヶ原の戦い後は、前田家の家臣となりましたが徳川幕府のキリシタン追放令によって高山右近公と共にマニラへ追放、マニラの地で一生を終えます。
本丸跡にベンチが複数設置されていて京都方面の山々を見ながら休憩することができます。 駐車場は東回りで登る場合は春日神社、西回りで登る場合は西山墓地下駐車場が近くて便利です。 西回りで登った場合、途中で分岐があります。左手に行くと岩場のある急なコース、右手に行くと緩やかなコースになります。妙見宮跡方面に行く場合は緩やかなコースを進む事になります。近くの料亭八光館にてプレミアム御城印が販売されています。
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2023/01/24 16:49
カズさんダメですか… ではヒント。にのまるさんも頑張ってください。
まあこれは難しいと思います。ただこれは以外と背後を見ればわかります。さてこの後ろにある山がヒントです。この城は文禄よりも前に建てられましたが、この石垣は慶長時代のものです。
もう一つ写真を投稿します。頑張ってください!あ、ちなみにですけどこれも100名城ですよ。
カズさん、鳥羽山城すごいですね。僕はその石垣見てません。見逃したのかな…。あ、そうそう実はこの前天竜浜名湖線乗ったんですよ。二俣城と鳥羽山城の御城印目当てに行ったんですよ。いい景色で最高でした♪カズさんは乗ったことありますか?あ、すみませんお城から鉄道の話になってしまいました。
にのまるさん、スタンプの写真ありがとうございます。スタンプは心配なさそうですね。安心です。
もうそろそろ行った城が100になるけど結局再攻城ばっかで増えませんな…
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2023/01/24 13:27
徳川紀行~じっちゃんの名にかけて~ (2022/12/28 訪問)
、、、と松本家康が言ってくれるとか、くれないとか。
群馬県太田市世良田町。そしてお隣は徳川町。ここまで読んでピンと来たあなたは、どうしようもないくらいの家康マニアに違いない。
ご存知のとおり、家康は三河松平。それが父祖の地を東国・上野に求めます。自分たちを名門・新田源氏の血筋とするためというのが自然な考え方でしょうか。史料による検証は難しいようなので、系譜が歴史的事実かどうかはグレー(ほぼブラック?)。ただ、それだけ必死に宣伝する必要があったという部分は、営みとして興味深いものがありますね。
さて、豪族としての世良田氏は、鎌倉時代に清和源氏の新田氏から分立。新田荘世良田郷を拠点にします。一方、松平は遅くとも家康の祖父・清康の代には公的な場で「世良田」を称したもよう。一説によると、とある新田の子孫が放浪の末に三河に移り住んだのが機縁だったそうですが、定かではありません。
何はともあれ、そんなじっちゃんに影響されたのか、家康も世良田への改名を目論んだと指摘する向きがあります。ただ、紆余曲折あって(ここは端折ります。近衛前久とかが登場しますので、興味ある方は調べてみてください)、苗字は徳川に。
徳川。根本は得川(前者は後者の嘉字)。ちょっと新田に戻ると、始祖・義重(太平記のヒーロー義貞から見て、曾曾曾曾曾祖父にあたる)の四男・義季は得川と称し、この地域を開発。そこから得川姓と世良田姓に枝分かれ。さらに時は流れて家康は、征夷大将軍となった後、源氏長者の立場から新田世良田氏の末裔として、その系譜を書き加えたとされます。
とまあ、話すだけで息切れしますが、結果、世良田駅前の案内板には「徳川氏発祥の地」の文字。一方、周辺に「どうする」の幟やポスターは見つけられず(12月末時点)。家康があくまで“つながり”を求めた町は意外と静かな印象です。
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2023/01/24 12:52
駐車場ができました (2023/01/22 訪問)
2022年2月のぴーかるさん登城、同年3月のイオさん登城後も整備が進んでいるようで、公民館駐車場と兼用の登城者用駐車場が作られてました。積雪はなかったですが、氷点下で駐車場全体に霜柱が。
頁岩の山体は、頂上付近が切り立っており、城びと先達レポートのとおり、ロープや鎖が設けられています。「あと何分」と書かれた表示が頻繁にあり、最初、鬱陶しさがありましたが、急勾配の頂上近くではコメントにほっこり。
下草刈りは万全のうえに、眺望確保のための木の伐採も大規模になされてます。西側の八上城、東側の籾井城がよく見えました。城びと先達のレポートのおかげで見処をしっかりおさえられました。
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2023/01/24 11:37
徳川家康(竹千代)生誕の城 (2023/01/21 訪問)
岡崎城は、竹千代生誕の城として有名ですが、総構えを設けた巨大な城でした。
清海堀について考えて見ましょう!
清海堀は、誰が造ったのでしょうか?
西郷頼嗣、徳川家康、田中吉政から選んで下さい。
岡崎城の本丸を護る為に、清海堀を利用しています。
どのような本丸を護る仕組みだったかを考えて下さい。
ヒントは180度ターンと横矢です。
田中吉政は、東海道を城下町に引き入れて、くねくねと屈折の多い道筋(二十七曲り)を造りました。
何故、こうしたものを造ったのでしょうかを考えて下さい。
三河武士家康の館が大河ドラマ館になっております。
岡崎城もリニューアルオープンしています。
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2023/01/24 10:37
鉢巻石垣が本丸城塁西外に遺って居ます (2021/01/16 訪問)
鳥羽山城は武田氏二俣城との攻防戦で家康側の陣城でした、家康関東移封後豊臣家臣堀尾吉晴が浜松を治め弟宗光が二俣城と合わせて石垣改修されました。
本丸鉢巻石垣は本丸庭園遺構の裏側に辺り、搦手門から出て西の丸Ⅰ(笹曲輪)前を廻り南に進んで本丸城塁西法面を登る細い道を上がると鉢巻石垣が約70~80m程南に伸びています、犬走りが有り歩き易く良く観察出来ます。
掲載写真は以前投稿した写真です。
POYO58さんへ、二回目の「もういっちょ城クイズ」の投稿掲載写真は、どこの城郭、石垣か判りません、判る方にバトンタッチしてください。
山上の崖淵にそそり立つ織豊系の打込み接ぎ石垣、隅が算木積では有りませんので文禄慶長の頃築城された城なのでしょうが?写真を見てピンと思い当たりません。
浜松城と「どうする家康」浜松大河ドラマ館楽しんでください、土日祝日は浜松城公園駐車場一般車は利用できません。公共交通機関でお越しくださいとの広報案内でした。
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2023/01/24 09:19
2023年前半の攻城予定
2023年前半の攻城予定を決めました。
①2/3~2/5 クラブツーリズムのツアーで「沖縄に残る13のグスクめぐり」に参加
②4/18~4/28 「長野県と岐阜県の未攻城」お城巡り
2022年8月の攻城から半年ぶりの攻城になります。
城びと登録分1500城攻城(70歳までには達成したいです)に向けて今年も頑張ります。
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2023/01/24 08:18
周辺の中世山城遺構 (2023/01/07 訪問)
(続き)
天守郭から東下の大御殿に降りて振り返ると、周囲に横堀をめぐらせた天守郭が聳え立っています。大御殿の南部には南東虎口部(大門)が開口し、石垣積みの櫓台を両脇に設け、石段や門の礎石も見られました。
虎口を出て堀切を越えて二の丸へ。大御殿と二の丸間の堀切あたりまではきれいに刈られていますが、二の丸は全く手つかずのため少し躊躇するも、虎穴に入らずんば…と覚悟を決めて笹藪に突入。二の丸内もほぼ藪ながら奥に進むにつれ多少はましになり、南東隅の櫓台も何とか確認できました(ただし写真で見るとただの藪)。二の丸から南西に続く尾根筋は堀切(現状は切通道)で断ち切り、南東隅の櫓台下には横堀がめぐり、東尾根にも堀切が設けられています。また、大御殿との間の堀切にあわせて北東下には竪堀も見られました。
大御殿に戻り、北東の御加番曲輪を経由して北麓へ。御加番曲輪の麓をめぐる横堀の堀底を西に進んで少し行くと、二重の堀切を竪堀で繋いだ大きな土の遺構が見られました。
…ということで、巨大な横堀に枡形虎口、石垣を備えた近世城郭に改修された宇陀松山城ですが、天守郭東側の曲輪群の周辺には秋山城当時のものかは不明ながら堀切や竪堀など中世山城の遺構も見られ、二重に堪能させてもらいました。本丸周辺はよく整備されていますので、あとは二の丸の笹藪を何とかしてもらえれば…。ともあれ、十二分に満足のいく城始めとなりました。やっぱり続100名城に選ばれるだけのことはありますね。
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2023/01/24 07:14
2023年の初城詣で (2023/01/01 訪問)
2022年の年始に行こうと思っていたのに時間が足りなくなってしまって今年に持ち越しとなりました。実家近くの橋上から大関東平野に登る初日の出を拝み、関東風雑煮の朝食を摂ってから、繰り出しました。元旦からの攻城は余り記憶がありません。「鎌倉殿の13人」の効果だと思いますが、地元熊谷ナンバーの他につくばナンバーや横浜ナンバーの車も駐まっていて人気の高さがうかがえました。皆さん、愛馬を担ぐ銅像や墓所をしっかりとチェックされていました。この近隣には、畠山重忠の幟が至る所に立っていて地元での崇拝ぶりがうかがえました。
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2023/01/23 23:47
2023/01/23 21:08
もういっちょ城クイズ
この城はどこでしょう?これ瞬殺されてしまったら泣きます。ってか僕が出す問題ってかんたんですか?カズさん、わかったらまたこの城の投稿見せてくださーい。
朝田辰兵衛さんスタンプの件ありがとうございます。わざわざ写真まで。ご迷惑をおかけしました。
来週の日曜日は浜松城と吉田城に加えて岡崎城も行くことにしました。どれもスタンプ目当て。家康館は時間の都合上浜松城のものだけ行きます。楽しみです♪
今日小牧山城行ってきましたが、ショックなことに天守閣周辺が工事中で閉鎖していました。石垣も見ることができません。石垣を見にきたのに…。まあスタンプは押せたので良かったです。投稿は後ほど
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2023/01/23 20:36
峯城 (2022/12/30 訪問)
【峯城】
<駐車場他>峯城北登城口からスロープを上がった所に駐車出来ます。私は柴崎公民館に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>曲輪・土塁・伝天守台跡
<感想>峯城の築城は正平年間(1346 - 1370年)に関盛政の5男関政実が峯氏を名乗り築いたといわれます。峯氏は以降6代続きましたが1574年、当主の峯盛祐が長島一向一揆で討死(関氏はこの時信長に従っていた。支族の峯氏も同様と思われる)すると後継者が幼小であったため、信長家臣の岡本良勝が峯城主となりました。1583年、柴田勝家に味方した滝川一益、その甥の滝川益重(一説にあの前田利益とされる人物)が攻めて落城しましたが、秀吉の包囲軍に兵糧攻めにされ奪い返され織田信雄の領地となります。小牧長久手合戦の前哨戦で再び秀吉軍に攻められて落城し1590年、岡本良勝の亀山城移封により廃城となったようです。
北の登城口から墓地を通り入城しました。墓地辺りが北東の虎口的な感じになっています。墓地脇にかんざし井戸、墓地奥からが仕切り土塁があり曲輪になっています。送電線の鉄塔や綺麗に杉が植林された曲輪跡を過ぎると虎口があり通路側に高土塁のある段曲輪があります。屋敷跡といった感があります。次に伝天守台の西側下段の広い曲輪に出ます。曲輪南側虎口付近には仕切り土塁があり、段が石積みであったような石が多く落ちています。帯曲輪南東側の登城道?と合流して南側から主郭に入ります。主郭虎口も石積みであったようで石が多く落ちています。左手の土塁上スロープを登っていくと伝天守台に着き、ここも石積みであったようです。主郭は広い楕円状で土塁と曲輪の間に深い堀がある珍しい防御遺構があります。伝天守台のある土塁と主郭は空堀で仕切り、西側下段の曲輪と一体としていた形状だったろうと思われます。
平山城表記となっていますが、北からの台地の南端に位置して周囲からは比高もあり、縄張りも山城の様相があります。しかし臨時制の詰城ではなく居住感を残した見ごたえある城跡でした。
<満足度>◆◆◇
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2023/01/23 20:09
「遅参」はサイコー,座布団5枚!
にのまるさん,わざと「遅参」のタイミングを狙っていたのかな…と,勘ぐってしまいました。誰も反応してくれませんでしたね。
うまく,真田勢,上田城,徳川秀忠,関ヶ原がからんだ絶妙な漢字2文字でした。思わず「やられたぁ~!」と,声が出ました。
POYO58さんの心配していた薄いスタンプですが,薄いのは心配ないかと思います。今のところ。どちらかというと,濃いのが問題を起こしています。日本100名城では,熊本城が裏の佐賀城に影響を及ぼしています。また,続日本100名城では,佐土原城が裏の中津城に影響を及ぼしています。画像を添付しますね。祝登城完了のスタンプも含めて。
そうそう,4月15日から(6月11日まで)東京の三井記念美術館で「どうする家康展」が開催されます。たぶん,4月中に行くと思います。
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2023/01/23 17:55
寒い二条城と温かいすき焼き (2022/12/23 訪問)
「青天を衝け」にハマって早2年。ようやく二条城に行く機会に恵まれた。半日という時間制限の中、効率良く見学するためには予習が必要。ということで、タイミング良く放送された千田先生の「京都ぶらり歴史探訪」を見てしっかり見所を確認して、いざ京都へ!
東大手門の隠しキャラ
徳川の力を見せつけるために正面に建てられた東大手門。
立派な金の飾り金具の中に、可愛い小鳥が隠れていた!当時の人の遊び心?
重要文化財の唐門
これは言うまでもなく素晴らしい彫刻の数々。
縁起の良いアイテムがたくさん隠されている。龍、虎、唐獅子、牡丹、蝶、鶴、亀が、金とカラフルな色合いで施されている。あまりの美しさにしばし見とれる・・
二の丸御殿
入口にある部屋(遠侍)には、何頭もの虎や豹が金の襖に描かれており圧倒される。徳川の力を表しているようだ。
大政奉還の部屋と言われる大広間(黒書院だという説もあり)には、巨大な松の絵が!将軍に後光がさしているように見える効果がある。大広間の奥にある黒書院にも松が描かれているが、大広間より小さく、桜もあしらわれており、落ち着いた雰囲気になっている。更にその奥には将軍が生活していたという白書院があるが、こちらの襖は水墨画になっており、いかにも生活の場所という感じである。巧みに計算された、遠侍から白書院の襖絵のコントラストが素晴らしかった。
二重構造の二ノ丸庭園
大広間から見た庭の石は大きく縦長なものが多く、武家らしい猛々しい印象になっている。
また、池の対岸側から見ると、柔らかい雰囲気の横長の石が配置された公家風の庭となっている。二条城を訪れた天皇を
おもてなしするために造られたということだ。非公開のため、残念ながらこちら側から庭を眺めることはできなかった。
本丸御殿
こちらは現在改修中で見るとができなかった。完成したら、また訪れたい。
中仕切門
本丸の正面ではなく側面にある、中仕切門。
こじんまりとした門だと思って油断して門と対面すると、背後には本丸が!ぐるりと回り込んだことで方向が分からなくなっていたようだ。
雁木
本丸の四方を取り囲むように張り巡らされた雁木は、他のお城にはない珍しいものだとか。
確かにこの雁木を登った先に鉄砲隊がずらりと並んだら、もうどうすることもできないであろう。
恐ろしく寒い二条城で2時間以上も費やしてしまったので、
手足は痺れるほど冷たく、お腹はペコペコである。
ということで、調べてあった京都おばんざいとすき焼きのお店へ!
冷え切っているとは言え、このご馳走の前でビールを飲まないわけにはいくまい。
ということで、暖かい部屋で、温かいすき焼きと冷たいビールを堪能して、二条城見学はお開きとなった。
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2023/01/23 16:55
見所満載!奥三河の名城 (2023/01/03 訪問)
今回は、「竪堀群」「桝形門」「二の丸腰曲輪」に注目した。見事な竪堀群は、逆に地形的な弱点だからこそ。竪掘を上がってきた敵に対する、主曲輪に絶対到達させない誘導性構造に惚れ惚れしました。二の丸腰曲輪は、ここほど綺麗に感じるところは無い!階層的であり、「ザ・腰曲輪」的な適当な面積。土塁も巻いていて、この城の見所の一つ。桜の季節も良いが、下草が枯れてるこの時期も見やすくて本当に楽しめます🎵
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