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城好きのメガネ

「松田城」 (2020/03/30 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
松田城は国衆であった松田氏が築いたとされる。松田顕秀は後北条氏の家臣であり、小田原衆の筆頭でもあった。松田憲秀は伊勢宗瑞以来の股肱の家臣であり後北条氏を支えた。現在、遺構の多くは高速道路により破壊されている。また、城内も畠となっているため遺構の確認は難しい。

<アクセス>
JR松田駅・小田急新松田駅 徒歩40分

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のん

是非ぜひみなさん行ってください! (2019/08/04 訪問)

駐車場から天守台まではかなり歩きます。真夏の暑い日に行ったため、お城までの遠さと暑さに途中くじけそうになりました。が、これが最高に見応えあり大感動!
いままで見た中で一番感動したお城です。
日本のマチュピチュとはよく言ったもの。その通りでした。

天然の岩盤があちこちゴロゴロする無骨な箇所と、人の手で緻密に計算された石垣 で造られた箇所とのアンバランス感。木曽川を見下ろす断崖絶壁に建てられた天守台、見上げれば真っ青な空。自分がどこにいるのか不思議な気分でした。

一体どんな人が、どんな風に造ったのか、人数や期間…当時を覗いてみたいものです。

ここに住んでいたら、戦国時代の戦も忘れてしまうのではと思うほど、世俗と隔離された仙人のような気分になりそうです。でも、ここは戦に明け暮れた緊張感溢れる場所だったんですよね。

山登りの支度で、飲み物や軽食を持って行くことをお勧めします。
スタンプはふもとの資料館にあります。
トイレやベンチ、ドリンクの自販機などもここにあります。山の方にはありませんでした。


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のん

偶然の出会い (2021/04/26 訪問)

横浜周辺のお城や史跡巡りをして、Googleマップを見ながら駅まで歩くうちにたまたまひどく急な坂道に出くわしました。ここは城向きの地形だわ…などと思っていたら、帰宅してから気付きました。青木城でした。

偶然の発見に嬉しくなりました。

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のん

看板が見応え、読み応えあり (2021/04/26 訪問)

横浜周辺のお城めぐり。
小机城と同じく、北条氏傘下のお城ですので、雰囲気が似ていました。空堀の深さや土塁が見応えあります。

見所は、お城のあちこちにある丁寧な説明の看板です。
お城を愛する方が作った物なのではないでしょうか。当時高さや深さを正確に記したり、現在との違いを比較できるようになっており、看板一つひとつ見ているだけで楽しい物でした。続100名城などに入ってなくても、地元で愛され、大切にされているお城なのではないでしょうか。

トイレも入り口入ってすぐにあり、広場あり木陰あり、気持ちの良い場所です。

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のん

石垣 のみあります (2021/04/26 訪問)

権現山城からの帰り道、立ち寄りました。石垣 のみが残っていました。台場公園もありますが、工事中ではいれませんでした。
大通り沿いに進むと魚の市場があり、通り沿いには海鮮丼の看板が何件か立っていました。朝イチ行くと食べられるのかな。

近くにイギリス領事館あとや神奈川宿などもありました。

さすが横浜、お城以外にの史跡があちこちにありました。

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のん

大手門跡が公共の施設として… (2021/04/26 訪問)

おそらく大手門跡だった場所に公共の子ども用の施設ができていて、櫓をくぐるような気分が味わえ、思わずシャッターを切りました。

わかっていてあえて建てたのか、ここを建築された方と意向を聞いてみたい(笑)

普通の公園になって、あまり遺構的な雰囲気はありませんが、門側の急坂あたりはお城らしさを感じ、ワクワクします。

この坂の下にある小さなカフェの珈琲、注文してから豆を引いて入れてくださいます。人柄の良いマスターがお一人でやられているようです。美味しかったです。

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のん

深い堀が美しい! (2021/04/26 訪問)

柔らかな若葉の色をした竹林が本当に美しく、4月終わりのこの時期に訪問してよかったです。
小机城→茅ヶ崎城→権現山城→横浜台場と廻りました。

この城の見所は、とにかく空堀の深さと土塁の高さ!
空堀の底を歩き回ることができるため、高さが実感でき、ため息をつくばかり。石垣 も好きですが、空堀と土塁の迫力を感じたい方、こちらのお城オススメです。

城跡を楽しむために綺麗に保存されており、歩きやすく、立て看板や説明などもあちこちにあります。広いため長い時間歩き回ったのですが、二の丸広場などに雰囲気壊さない程度に休憩できるベンチやテーブルもあります。平日ということもありましたが、人もほとんどいなかったため、満喫しまくりました。 

三の丸は第三京浜で完全に分断されています。急な階段を上り降りして向かったのですが、三の丸側から見ると、地形の断面図のように横から見る形になり、もともとあった地形をうまく利用した城だということが実感できて、また、楽しいです。こちら側は、個人の所有地なのか、畑になっていて住民の方がいらっしゃいました。お気をつけください。

この後近くの茅ヶ崎城にも行きましたが、同じ北条氏の作りからか、規模は全く異なりますが、似た雰囲気がありました。

また、すれ違う方から挨拶されて、横浜でもこんな見知らぬ人に挨拶するような地域なのかと、親しみが湧きました。

注意!スタンプは城から15分ほど離れた小机地域センターにあります。設置場所は入ってすぐの玄関です。(コロナ感染予防のための変更かもしれません。確認してください)小机駅からは近く数分歩いたところです。
電車で行く方は通り道ですが、車などで行く方は注意してください。駐車するにもコインパーキングを利用するようにとの注意書きがありました。センター閉館日、開館時間外にはスタンプできないそうです。

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ぴーかる

古河藩陣屋 (2021/05/09 訪問)

【古河藩陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。大念仏寺は山門前に参拝者駐車場あり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾5城目。古河藩陣屋は天明年間(江戸中期)に下総国古河藩主が土井家の時河内国平野郷を飛地として与えられ、その知行所として置かれました。廃藩置県後郷役場→警察署→現在は平野小学校になっていて遺構は残っていません。陣屋屋門が西に少し行った大念仏寺南門として移築されています。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

中の御門表門竣工、見学して来ました (2021/05/14 訪問)

 令和3年3月13日竣工公開成った中の御門表門を見学して来ました、昨年11月末には工事中で表門が描かれてる仮設テント張りの所を九州城廻りの帰りに鳥取に寄り見学しましたが、復元された表門を平成30年9月に復元された擬宝珠橋と共に見学出来、且つ久松山山上の郭と共に見れる景観はまた素晴らしい、新しい景観が揃いました。
 竣工公開直ぐの桜の頃に行きたかったのですが母の13回忌法要に合わせて5月の探訪と成った次第です。
 後令和3年度末には完成予定ですが中の御門枡形石垣の完成、渡櫓御門の完成で中の御門枡形が完成形ですが現在の進捗状況を見ますと遅れ気味の様子ですが完成が待たれます。
 下馬場、太鼓櫓門と復元計画は続きます、此処までは元気な内に見れるでしょう❣

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ヒロケン

金川城の出城⁉ (2021/05/06 訪問)

徳倉城の築城時期は不明ですが、備前の守護代松田元隆の四男元資が1476年頃には居城していたといわれています。元隆のの子で元成の代に金川城が戦国大名の居城として整備された段階で、徳倉城も金川城の出城として整備され、松田氏の重臣宇垣氏が代々居城した。
しかし、1568年頃、宇喜多直家により松田氏が滅ぼされると直家の重心遠藤河内守が都倉城主になった。
1600年の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が没落し、小早川秀秋が備前国主になったころに徳倉城は廃城になったとされています。

徳倉城は、遠藤山の山頂に築かれた連郭式山城で、曲輪、土塁、石垣、井戸、空堀等が残り、現在に伝えています。
駐車場はありませんが、大手道登城口と案内板がある道路脇に駐車スペースがあり、駐車することができます。トイレはありません。
大手道登城口から、約20分程で本丸に到達できます。

この城の最大の見所は、何と言っても本丸虎口の高石垣です(*^-^*)。結構、急峻な登山道を登ってきても、この石垣を見ると疲れも吹っ飛んでしまいます(*^-^*)。この城は建物を除く城郭遺構はほぼ完存していて、見所の多い城跡です。
ただ、残念なことに大手登城口から登城し、大手登城口に下山したため、搦め手道沿いの竪堀を見逃してしまい、再訪しようと考えています(;´д`)トホホ

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さかたか

水戸城 登城

仕事の合間に登城

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朝田 辰兵衛

この惑星では… (2019/06/29 訪問)

「この惑星では,ダジャレで使った言葉が本来の言葉に代わって市民権を得るようだ…」
お台場エリアを歩くと,「台場シティ」という言葉をよく目にします。最初に使用した人は「ダイバーシティ」に引っ掛けて売り込んだのだと思いますが,すっかり定着している感があります。そもそも,元となった「ダイバーシティ」を知らない人も多いハズ。うまく,どちらも共存してもらいたいものだ。
それが,多様性(ダイバーシティ)というものだろう…。

ここは,レインボーブリッジを徒歩で渡り,第三台場を眺望するのが宜しいかと思います。

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ぴーかる

正覚寺城/畠山政長墓所 (2021/05/09 訪問)

【正覚寺城】
<駐車場他>旭神社西側駐車場あり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾4城目。正覚寺城は1493年、畠山政長が10代将軍足利義材と幕府軍と共に高屋城に籠城する畠山義豊(畠山義就の子)を攻めるのに本陣を置いた場所です。しかし、義豊に味方した細川政元が謀反を起こすと、味方であった筈の幕府軍4万余の軍勢が敵方にまわり、政長らが籠る正覚寺城に攻め寄せて落城し畠山政長は自害した。畠山政長の墓地は正覚寺城跡(旭神社)西に少し行ったところの住宅地内にひっそりとあります。
 現在旭神社には正覚寺城の城跡碑しかなく遺構は残っていない。また畠山政長墓地は墓石の横から雑木が大きく伸びてきており手入れされておらず寂しい感じだ。

<満足度>◆◇◇

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にのまる

3カ所セットで。 (2021/04/10 訪問)

 一年ぶりの訪問ですが、今回は説明板のある新川・島屋敷通り団地には寄らず、春清寺と勝淵神社に行ってきました。
 島屋敷(金子氏館跡)はこの地を与えられた柴田勝重(柴田勝家の孫)が館を構えた場所で、春清寺には柴田家墓所があり、勝淵神社には勝重が勝家に与えられた兜を埋納したという伝承があります。どちらも現在見ることができるのは「石」のみですが、北ノ庄の戦いを思いながら碑文を読んだりなどしていると、遠くの山城の苔むした石積みを拝むのと同じくらいじーんとしてきました。
 写真①~③が春清寺で、④~⑨が勝淵神社です。位置関係は⑩のとおりで充分歩いてまわれる範囲です。「金子氏館は説明板だけらしいからわざわざポチしに団地に行くのもなんだかなぁ」と一年前まで思っていましたが、長い間大切にされてきた史跡だったのだと知り、自分の無知と下調べの足りなさを思い知らされました。しかし現地を訪れて新しいことを知り、次はあそこに行こうと計画を立てるのも楽しみのひとつではあります。

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小城小次郎

年々 (2021/02/14 訪問)

1989年に現況遺構調査(表面調査)報告がなされた際に伐採されたはずだが、四の曲輪や五の曲輪など足柄城のダイナミックさを伝えるエリアの視界が年々悪くなっているのは残念。探せばまだ石積みも出てきそうだが。

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びーこ

テレビっ子なもので・・ (2021/05/05 訪問)

NHK「日本最強の城スペシャル8」とテレ東「アド街ック天国」で相次いで取り上げられたのを見て「これは絶対に行かねば!」と、早速登城を計画。テレビっ子なもので、すぐに影響されてしまう。
お隣の県なのに、埼玉に攻め入るのは今回が初めて。
そして杉山城といえば「晴天を衝け」の舞台になった深谷にも近いではないか。そちらにも寄ってみよう。楽しみが2倍になった!(どうしてもテレビから離れられない私・・)

まずは町役場に行き、NHKにも貸し出されたという職員お手製の1/500模型を鑑賞。確かに良くできてる!職員の城に対する愛情が感じられる模型だ。ぜひこれで全体の地形を確認してから登城していただきたい。ここで続100名城のスタンプをいただき、いざ杉山城へ。

昇太師匠の解説を思い出しながら進んで行く。「邪魔だ!」と言っていた植込みはこれだな・・・ふむふむ。それにしても、どこもかしこも道が狭くて1列になって進むしかないではないか。道はくねくねだし、アップダウンもあるので、どうしてもノロノロ歩きになってしまう。こんな状況で上から横から襲われたら一溜まりもない。恐ろしいお城だ。

城攻めの後は、お待ちかねのご当地グルメ。埼玉と言ったらやはりこれでしょう。肉汁つけうどん♪程良い硬さ、モチっとした触感に肉汁が良く絡んで美味しい!

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イオ

奇岩・巨石めぐり (2021/04/25 訪問)

鬼ヶ城から駐車場に戻り、まだ時間の余裕もあったので、国の天然記念物・名勝であり世界遺産でもある山麓の「鬼ヶ城」にも行ってみました。鬼ヶ城は、熊野において鬼と恐れられた海賊 多娥丸が根城としていた地で、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって征伐されたという伝説があります。

鬼ヶ城センターの脇を抜けて登城(?)開始。ほどなく鬼ヶ島を思わせるような奇岩が行く手に見えてきます。その奇岩を掘り込んだトンネル状の通路を抜けたところが多娥丸の棲みかと伝わる千畳敷です。千畳敷は凝灰岩が熊野灘の荒波に削られてできた海蝕洞で、上端は牙のように鋭く尖っていて、さながら巨大な鬼が海に向かって大きく口を開けているかのようです。千畳敷の奥には岩と岩の間に道を通した奥の木戸があり、その先はあまりの断崖絶壁に猿も引き返すと言われる猿戻りの岸壁が続いています。
今でこそ遊歩道が整備され千畳敷まで楽々とたどり着けますが、往時は猿戻り側はもとより、鬼ヶ城センター側からも陸路で攻め込むのは困難でしょうし、海側にしても、海面からはあちこち岩が突き出ており、ほとんど風のなかったこの日でも打ち寄せる波が白いしぶきをあげていて、よほどこの地の海に詳しい者でなければ、船で近づくことすらできないと思われます。まさに難攻不落の天然の要害です。坂上田村麻呂が熊野に遠征した事実を示す史料は無く、多娥丸という海賊も単なる伝説なのかも知れませんが、この要害ぶりを目の当たりにすると、坂上田村麻呂でなく多娥丸でなかったとしても、この鬼ヶ城を根城とした海賊がいて、朝廷により征伐された事実はあったんじゃないかと思えてきます。

さて、千畳敷は鬼ヶ城のほんの入り口に過ぎません。猿戻りで猿は引き返しても私は先に進みます。絶壁を縫うように続く遊歩道を行くと、今度は犬戻りと呼ばれる断崖絶壁が。ついにお供はキジだけになってしまいました…(笑) その先も、神楽岩や鰐岩などの奇岩、波が轟々と音を立てる岩と岩の間を飛び渡る(現在は橋が架けられています)箇所があったり、鬼の見張場や水谷、波切不動、蜂の巣などの洞窟が続き、片道約1㎞の周回道は見応えたっぷりでした。
その後、遊歩道西口から鬼ヶ城センター駐車場まで来た道を戻りましたが、山城の鬼ヶ城と併せて訪れるのであれば、先に山麓の鬼ヶ城を一巡りして、木本側登り口から熊野古道を歩き、松本峠から南に入って山城へ、というルートのほうが無駄がなかったかな、とも思います。< 下調べ不足

帰る前にさらにもう少し熊野の奇岩・巨石を見て行こう、ということで、鬼ヶ城から南西に車で約5分の獅子岩と、獅子岩から南西に車で約1分の花窟神社を訪れました。獅子岩は海に向かって咆哮する獅子の横顔の形の岩です。花窟神社は伊弉冊尊(イザナミノミコト)を御祭神とする日本最古の神社ですが、御神体の高さ約45mの巨巌の存在感はあまりにも圧倒的で、この日は鬼ヶ城だけでなく曾根城や後山城でも多くの巨石、奇岩を目にしましたが、さすがは神宿る巌だけあって、それらに勝るとも劣らない迫力でした。すぐ近くの道の駅に駐車場もありますので、鬼ヶ城登城の際にはぜひお立ち寄りを。
 

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tshimojima

天下分け目の天王山 (2021/05/11 訪問)

ポンポン山ハイキングの途中で天王山に立ち寄っています。まさかここが「お城」だったとは知りませんでした!歴史関係の解説資料も多くありますし勉強になりました!

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ぴーかる

久宝寺城/長宗我部物見の松 (2021/05/09 訪問)

【久宝寺城】
<駐車場他>駐車場はないが、城跡碑がある場所は月極め駐車場の横なので、脇に数分程度なら駐車できそう。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾3城目。久宝寺の地は先達の方々の記述通り寺内町で有名です。城の説明は添付写真の通りです。城跡遺構は残っておらず、城跡碑と説明碑があるのみになっている。かつては土塁が残っていたようです。寺内町の北側にあり北からの脅威を守る為だったかもしれません。
 
 久宝寺城の城跡碑を訪れるより先に長宗我部物見の松に立ち寄った。ここは大坂夏の陣で久宝寺に陣を張った長我部盛親の家臣が対藤堂高虎軍を偵察するのに登ったといわれる老松があったそうです。場所は<34.628605, 135.589806>の地点、現在ある松は子孫だそうです。また古い五輪塔もあります。

<満足度>◆◇◇

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柳ケ瀬断層 (2021/05/08 訪問)

賤ヶ岳の戦いで、秀吉の弟の秀長が布陣しました。この戦いの秀吉軍の本拠とも言える城で、北國街道が、長浜がある沖積平野から山あいに入る箇所の東に聳えています。勝家がいた、玄蕃尾城へ向かって、ほぼ北にまっすぐに狭幅の平地が続き、北國街道が走っています。先に投稿した東野山城は、山あいに入って少し北上したところにあります。東野山城も、この田上山城も急斜面で、かつ比高があるのに、頂部は比較的平らで多くの軍勢が駐屯できそうです。両城とも土塁で囲われた主要部分の外側に広い自然地形の平坦地があります。
北國街道の東側の山の麓には、柳ケ瀬断層が走っており、西側に対して東側が隆起しています。このためにまっすぐな谷間が作られ、さらに、隆起する側が乗り上げてくる逆断層であるので、東側の急な斜面・比較的広い頂部を作ったのだと思います。
麓の神社から城域までよく整備、維持されています。城域の本当に端まで草刈り、雑木伐採がなされているのに感心しました。
下山後、北國街道沿いの山路酒造に立ち寄り、純米吟醸酒を買いました。田上山城に行ってきたと言うと、御城印を勧められました。

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