え~と案内板によると‥古くは平清盛に仕えて屋島で討死にした飛騨三郎左衛門景綱が在城し、左衛門尉藤原朝高、畑六郎左衛門安高を経て三木氏の支城となったが永禄7年(1564)武田勢が侵略すると聞き、城主三木新左衛門は城に火を放ち、逃走したとのこと。
城は出丸から北東に向かって尾根上に郭が連なって、腰郭もあるようなのですが、戦国時代に使われていたにしては堀切や土塁などの遺構に乏しかったような‥。正直、この城を訪れて思ったのが、クリの実がすごい落ちているということです。これだけ熊のエサになるものが落ちているのに入り口にはゲートなども設けられていない。
飛騨だったら考えられないですね。けっこう人里に近いのも有るけど、高山はやはり飛騨より街として開けているんですね。
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