さんぶつじじょう

三仏寺城

岐阜県高山市

別名 : 三佛寺城
旧国名 : 飛騨

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一番雰囲気のある出丸
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しんちゃん

クリの実がいっぱい。 (2024/10/14 訪問)

え~と案内板によると‥古くは平清盛に仕えて屋島で討死にした飛騨三郎左衛門景綱が在城し、左衛門尉藤原朝高、畑六郎左衛門安高を経て三木氏の支城となったが永禄7年(1564)武田勢が侵略すると聞き、城主三木新左衛門は城に火を放ち、逃走したとのこと。
城は出丸から北東に向かって尾根上に郭が連なって、腰郭もあるようなのですが、戦国時代に使われていたにしては堀切や土塁などの遺構に乏しかったような‥。正直、この城を訪れて思ったのが、クリの実がすごい落ちているということです。これだけ熊のエサになるものが落ちているのに入り口にはゲートなども設けられていない。
飛騨だったら考えられないですね。けっこう人里に近いのも有るけど、高山はやはり飛騨より街として開けているんですね。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:三仏寺城 (2023/04/25 訪問)

宿泊先ホテルの朝食前に、三仏寺城等を攻城しました。歓喜寺駐車場(36.152791、137.266369)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、平安時代末期に築かれたと云われています。 1141年(永治元年)頃には平時輔が飛騨守として在城し、平景高まで五代の居城であったそうです。
1181年(治承5年)木曽義仲に攻められ落城。城主平景綱は息子とともに京へのぼっており不在でした。
弘安年間(1278~1288年)頃は、藤原朝高、畑六郎左衛門、藤原安高が居城していました。
大永年間(1521年〜1527年)頃に、畑安高は三仏寺城を三木直頼に明け渡して江名子の畑館に移りました。
1547年(天文16年)三木氏の家臣平野右衛門尉が城主となり、その子平野安室の時に鍋山城を築いて移り、三木直弘が城主となりました。
しかし、1564年(永禄7年)武田信玄が飛騨へ侵攻すると直弘は城に火をけて桜洞城へ退き、後に廃城となったそうです。

城は歓喜寺の北東にある山に築かれています。
本丸には標柱があり、切岸や畝状竪堀群が確認できます。
早朝5時の攻城、外気温ー2℃、とても寒いです。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=鍋山城に向かいました。

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Fカット

案内板と登城口 (2022/07/17 訪問)

案内板の前の駐車できます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 平時輔
築城年 平安時代後期
主な城主 三木氏、平氏、畑氏
遺構 曲輪、堀切、畝状竪堀群
指定文化財 県史跡(三佛寺城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県高山市三福寺町井之上
問い合わせ先 高山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0577-35-3156