山城の鬼ヶ城は城郭大系にも載っています。ふもとの駐車場のあたりが居館だったのでしょうか? 世界遺産の「鬼ヶ城」との関係も気になります。残念ながらあまり地元では山城としての認識はないようです。石見銀山の山吹城みたいに「城郭」として世界遺産に登録されれば良かったのに‥時代が異なるのかな? 登城道に桜の木がたくさん植えてあり、少し遠回りしながらジグザグ城址に向かって道が続きます。なんにせよ、この時期はちゃんとした道が付いているのは有難いです。もう直登は一生分ぐらいやった気がするので、できれば遠慮したいのです(危ないし)。主要な郭は二つで、北側の高い位置にある郭を主郭とすれば、南にある大きな郭はニの郭になります。二の郭の先には見晴らし台のある郭があり、その先の南側にも腰郭が付いています。
主郭の北側には熊野古道松本峠に向かう道が続いていて、その先には郭と堀切があるようです(未確認)。城郭大系には有馬忠親が跡継ぎとして甥の河内守忠吉を養子に迎え、隠居所として築いたと記載がありますが、天然の要害にあることから「北方に対して作戦的な意味合いがあるとも考えられる」と記載があります。確かに隠居城とするにはいささか物々しくはあります。
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