おにがじょう

鬼ヶ城

三重県熊野市


旧国名 : 紀伊

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にのまる

感動しかない!! (2022/10/11 訪問)

赤木城から、丸山千枚田・さぎりの里・花の窟・獅子岩に寄っていただきながら鬼ヶ城へ行きました。
そこらじゅう世界遺産\( ˆoˆ )/
城跡の展望台まで往復する時間はなさそうだったので、岩場の遊歩道を行けるところまで歩きました。楽しさいっぱい、驚きいっぱい。自然の力ってすごい!
いつか熊野古道の松本峠に抜けるハイキングコースを歩いてみたいです。
①〜⑥鬼ヶ城
⑦丸山千枚田
⑧花の窟
⑨獅子岩
⑩お土産

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POYO58

熊野・新宮日帰り旅行① 獅子岩・鬼ヶ城 (2022/07/17 訪問)

赤木城→新宮城→獅子岩→鬼ヶ城の順番で巡りました。
獅子岩の残り方には本当に感動しました。鬼ヶ城もこんなに綺麗に残っているとは思いませんでした。
獅子岩と鬼ヶ城はどちらも世界遺産に指定されています。海の浸食と数回の大地震により、隆起し、凝灰岩があのように削れたそうです。
鬼ヶ城は御城印がありました。少し高めですが。
この周辺には熊野古道や花窟など世界遺産が点在していますのでそれらも併せていくことをおすすめします。僕は時間の都合で行けませんでした。何しろ車で3時間30分という遠さだったので。

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イオ

奇岩・巨石めぐり (2021/04/25 訪問)

鬼ヶ城から駐車場に戻り、まだ時間の余裕もあったので、国の天然記念物・名勝であり世界遺産でもある山麓の「鬼ヶ城」にも行ってみました。鬼ヶ城は、熊野において鬼と恐れられた海賊 多娥丸が根城としていた地で、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって征伐されたという伝説があります。

鬼ヶ城センターの脇を抜けて登城(?)開始。ほどなく鬼ヶ島を思わせるような奇岩が行く手に見えてきます。その奇岩を掘り込んだトンネル状の通路を抜けたところが多娥丸の棲みかと伝わる千畳敷です。千畳敷は凝灰岩が熊野灘の荒波に削られてできた海蝕洞で、上端は牙のように鋭く尖っていて、さながら巨大な鬼が海に向かって大きく口を開けているかのようです。千畳敷の奥には岩と岩の間に道を通した奥の木戸があり、その先はあまりの断崖絶壁に猿も引き返すと言われる猿戻りの岸壁が続いています。
今でこそ遊歩道が整備され千畳敷まで楽々とたどり着けますが、往時は猿戻り側はもとより、鬼ヶ城センター側からも陸路で攻め込むのは困難でしょうし、海側にしても、海面からはあちこち岩が突き出ており、ほとんど風のなかったこの日でも打ち寄せる波が白いしぶきをあげていて、よほどこの地の海に詳しい者でなければ、船で近づくことすらできないと思われます。まさに難攻不落の天然の要害です。坂上田村麻呂が熊野に遠征した事実を示す史料は無く、多娥丸という海賊も単なる伝説なのかも知れませんが、この要害ぶりを目の当たりにすると、坂上田村麻呂でなく多娥丸でなかったとしても、この鬼ヶ城を根城とした海賊がいて、朝廷により征伐された事実はあったんじゃないかと思えてきます。

さて、千畳敷は鬼ヶ城のほんの入り口に過ぎません。猿戻りで猿は引き返しても私は先に進みます。絶壁を縫うように続く遊歩道を行くと、今度は犬戻りと呼ばれる断崖絶壁が。ついにお供はキジだけになってしまいました…(笑) その先も、神楽岩や鰐岩などの奇岩、波が轟々と音を立てる岩と岩の間を飛び渡る(現在は橋が架けられています)箇所があったり、鬼の見張場や水谷、波切不動、蜂の巣などの洞窟が続き、片道約1㎞の周回道は見応えたっぷりでした。
その後、遊歩道西口から鬼ヶ城センター駐車場まで来た道を戻りましたが、山城の鬼ヶ城と併せて訪れるのであれば、先に山麓の鬼ヶ城を一巡りして、木本側登り口から熊野古道を歩き、松本峠から南に入って山城へ、というルートのほうが無駄がなかったかな、とも思います。< 下調べ不足

帰る前にさらにもう少し熊野の奇岩・巨石を見て行こう、ということで、鬼ヶ城から南西に車で約5分の獅子岩と、獅子岩から南西に車で約1分の花窟神社を訪れました。獅子岩は海に向かって咆哮する獅子の横顔の形の岩です。花窟神社は伊弉冊尊(イザナミノミコト)を御祭神とする日本最古の神社ですが、御神体の高さ約45mの巨巌の存在感はあまりにも圧倒的で、この日は鬼ヶ城だけでなく曾根城や後山城でも多くの巨石、奇岩を目にしましたが、さすがは神宿る巌だけあって、それらに勝るとも劣らない迫力でした。すぐ近くの道の駅に駐車場もありますので、鬼ヶ城登城の際にはぜひお立ち寄りを。
 

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イオ

鬼退治のお供 (2021/04/25 訪問)

戦国中期に有馬忠親が隠居城として築いた城で、有馬氏が堀内氏により滅ぼされた(乗っ取られた)後は堀内氏の城となりましたが、堀内氏が関ケ原の戦いで西軍に属して改易されたことに伴って廃城となったようです。

国の天然記念物・名勝であり世界遺産でもある「鬼ヶ城」の背後の山上に位置し、山頂の主郭部から南、西、北に続く尾根に小曲輪群を配した城です。東斜面には桜が多く植えられ、見頃にはさぞ綺麗だろうと思います。また、北西の尾根を進んだ先には脇ノ浜城(城びと未登録)があるようですが、今回は未訪です。

鬼ヶ城センターの広い駐車場(無料)に車を駐めて、駐車場北端の木製階段を上って登城開始。歩き始めてすぐに東斜面一帯に広がる石積みが見えてきます。おそらく遺構ではなく後世のものなんでしょうけど、つづら折りの道をひたすら登って行く間、目を楽しませてくれる光景ではありました。15分ほど歩いて主郭部に到着。東に志摩半島から続くリアス式海岸、西に七里御浜の眺望が開けています。南部には櫓台状の巨石群が聳え、その脇を抜けて行くと鬼の見晴らし台と呼ばれる展望台から熊野灘が一望できます。展望台下方の南尾根には曲輪群があるようなので下りて行ってみましたが、階段状に小曲輪が連なっているくらいで目立ったものは見当たりませんでした。今度は北尾根に向かうべく主郭部最高所を越えて進むと、北尾根の曲輪群に入ったあたりに主郭部から北東下に続く石列があり、また北尾根曲輪群のところどころに石積みが見られました。北尾根は熊野古道の松本峠まで続いていますが、その尾根道を三条の堀切が断ち切り、さらに竪堀となって斜面を遮断している様子が状態よく残っています。主郭部まで引き返し、最後に西尾根の曲輪群にも行ってみましたが、ハイキングコースから外れているため未整備で、土留めと思しき石積みは見られましたが、これもやはり後世のものなんでしょうね。

随分と暖かくなったせいか、この日は熊野に向かう道中から城めぐり中までサル、カモシカ、リス、キジ、ヘビなどいろんな動物に遭遇しましたが、サルやヘビはまだしも、城めぐりでリスやキジを見たのは初めてのことで、これでイヌにも会ったら桃太郎だな、などと考えながら歩いていると、曽根集落で散歩中のイヌと出会っていたことを思い出しました。鬼ヶ島ならぬ鬼ヶ城攻めの日だけに、鬼退治のお供と出会うべくして出会っていたようです(笑)
 

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 有馬忠親
築城年 大永3年(1523)
主な城主 有馬氏
遺構 曲輪、堀切
指定文化財 世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)
再建造物 碑、説明板
住所 三重県熊野市木本町字城山1751
問い合わせ先 熊野市役所
問い合わせ先電話番号 0597-89-4111