八上城は丹波の国のほぼ中央南部の丹波富士と呼ばれる高城山(標高462m)および、西方の法光寺山(標高340m)にあり、本城と支城が八上を挟み配置された典型的な中世山城です。
応仁の乱にて戦功をあげた波多野清秀が多紀郡郡代に就任し、高城山南西部に奥谷城を築き城下町を奥谷に置く。16世紀前半には、高城山山頂に八上城を築いたとされています。
三好長慶による10年近い攻防にも耐えた八上城ですが、16世紀後半になると織田信長の命を受けた明智光秀が丹波攻略が始まり、毛利氏や赤井氏の支援を受けた波多野秀治公は、4年も持ち堪えたが、最後は兵糧攻めにより八上城が落城、波多野氏は捕縛され安土城下にて処刑された。この時に明智光秀公の母が八上城内で磔にされた逸話が残りますが、事実ではないようです。
現在の八上城は国指定史跡に認定され、郭・石垣・土塁・堀切・井戸等が良好な状態で残り、中世山城の形態を色濃く残す典型的な山城です。
10~15台ほど駐車できる駐車場も完備されており、後の居館跡に建つ春日神社にトイレもあります。
今回、八上城を初めて訪れましたが、以前から八上城のことは知っており、前に丹波篠山城に訪問した際、篠山城から眺め行ってみたいと思っていました。今回八上城を巡り満喫できましたが(*^▽^*)、やはり、山城には冬季に行った方が良いと改めて感じています。
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