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ヒロケン

中世の典型的な山城 (2022/05/28 訪問)

八上城は丹波の国のほぼ中央南部の丹波富士と呼ばれる高城山(標高462m)および、西方の法光寺山(標高340m)にあり、本城と支城が八上を挟み配置された典型的な中世山城です。
応仁の乱にて戦功をあげた波多野清秀が多紀郡郡代に就任し、高城山南西部に奥谷城を築き城下町を奥谷に置く。16世紀前半には、高城山山頂に八上城を築いたとされています。
三好長慶による10年近い攻防にも耐えた八上城ですが、16世紀後半になると織田信長の命を受けた明智光秀が丹波攻略が始まり、毛利氏や赤井氏の支援を受けた波多野秀治公は、4年も持ち堪えたが、最後は兵糧攻めにより八上城が落城、波多野氏は捕縛され安土城下にて処刑された。この時に明智光秀公の母が八上城内で磔にされた逸話が残りますが、事実ではないようです。

現在の八上城は国指定史跡に認定され、郭・石垣・土塁・堀切・井戸等が良好な状態で残り、中世山城の形態を色濃く残す典型的な山城です。
10~15台ほど駐車できる駐車場も完備されており、後の居館跡に建つ春日神社にトイレもあります。

今回、八上城を初めて訪れましたが、以前から八上城のことは知っており、前に丹波篠山城に訪問した際、篠山城から眺め行ってみたいと思っていました。今回八上城を巡り満喫できましたが(*^▽^*)、やはり、山城には冬季に行った方が良いと改めて感じています。

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ダイエティシャン

月山富田城2️⃣ (2022/05/22 訪問)

整備完了により、以前は入れなかった復元館内に入ることが出来ました。

厠も新設(③)

井戸跡には、今でも水が(⑥)

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チェブ

だ、だ、だ、だ、大人気。 (2022/05/04 訪問)

2回目の「犬山城」です。
すごい混んでました。
ただただ、人の多さにビックリしました。

諸説ありますが、織田 信康さんにより築かれました。

現存12天守であり、国宝5城であり、100名城でもある「犬山城」。
お城好きが集まるのは、納得です。
が、驚いたのは着物を着たカップルや女の子達の多さです。
「犬山城」をバックに着物で写真とは、いいアイデア。
と、いろんな「犬山城」の楽しみ方があるようです。

100名城スタンプを押したく、入城の行列に並んでいると、時間がギリギリ。1時間待ちです。
駄目もとで、スタンプだけでも押せないか聞いてみると、『犬山城前観光案内』に設置してるとの事です。
混んでいるから、こちらの観光案内にも設置したのかもしれません。通常は城内の観光案内2階なので、確認する必要があります。
とりあえず、入城の列から外れ観光案内で、スタンプGET!、、、もう入城は諦めました。
それから、混んでいるので、写真が思うように写せず、石垣のアップばかりです。

前回の「犬山城」の思い出、2つあります。
城下町にラジオブースがあったり、おしゃれなカレー屋さんがあったり、散策が楽しかった事。
それから、天守内に飾られた歴代城主が、肖像画から写真に変わる歴史の長さ。
今もグラスを持った成瀬さんの写真なんでしょうね。
、、、じゃあ、前回も今回も「犬山城」、ちゃんと見てないじゃーん!

いろんな楽しみ方があった「犬山城」です。

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零汰

終活2:100城・続100、城郭巡りの記録:近畿・東海・四国 1・2日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問を求めて巡る終活シリーズ2。

今回は5/16~24フェリー泊含めて8泊9日で大阪上陸後、近畿・東海・四国の主に100城・続100城を巡ってきました。
出来れば100名道を走ると予定していましたが、天候(曇天・低気温)と時間の関係で予定した名道は走る事が出来ませんでした。
大阪から東は駿府城から西は大分迄の走行距離約2300km、最終的に攻城数は42城、うち100城・続100城は39城となりました。
100城・続100城縛りでの攻城ですので効率の悪いシリースですが致し方ありません。そうもしないと巡る事は無い一面もあります。

道中100城・続100城を終了若しくは攻城中の方と話す機会が有りました。鹿児島ナンバーを見て呼び止められて話を聞かされるのが全ての真相です。ですが話を聞いて色々と考えるところもありました。その模様を途中でコメントするかもしれません。

これまでの攻城を思い起こすと、自分には建物は刺さらないと理解出来ました。今後は現存・復元関わらず内部を見る事は無いと思われます。そこで建物は外観のみ見る事としました。

1日目:志布志港より大阪港に向けてフェリー乗船
2日目:5月17日    1.大阪城(大阪)・・2時間20分:距離4.4km
           2.飯盛城(大阪)・・1時間:距離2.4km:高低差137m
           3.郡山城(奈良)・・25分:距離1km
           4.高取城(奈良)・・2時間:距離2.7km:高低差243m

全て100城・続100城です。レポートは先輩方のレポートをご覧ください。

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零汰

終活1残雪:100城・続100・100名道、城郭巡りの記録 8日目最終

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問と残雪を求めて名道を走る8日目最終

いよいよ本日夕方には大阪港よりフェリーに乗り込む。天候は曇りのち雨、昼からは確実に雨が降る模様。まずは5時過ぎに宿泊地の近くの長浜城に向かい鎌刃城までは予定通りのスケジュール。

長浜城・・・・公園の中にある綺麗な建物、秀吉さんもいますね。
鎌刃城・・・・林道の先から攻城しました。入口で初めて見た「熊注意」の看板、九州にはいないので新鮮。初めて今までとは違い静か 
       な場所を一人で巡るのがとても心地良い。毎回準備段階では城郭の場所の確認が主で、必要最低限写真などは見ないよ   
       うにしている。だから殆ど現地で見るものは予備知識の少ない分新鮮さが増すし驚きが大きい。ここも石積があるとは知  
       らなかった。写真も含め初見なので桝形や階段の石やウネウネの魅力が歩き回ると矢継ぎ早に目に飛び込んでくる。

鎌刃城を出るころに早めの雨が降り出した。本日は八幡山城・安土城・観音寺城の中の2城を巡って大阪港を目指す予定。まずは傘をさして攻城出来そうに思えた安土城に向かった。が、雨足は止まず雨具を着たり脱いだり他の観光客の視線も刺さり以降は断念。安土城が今回の最終攻城になった。奇しくも信長さん所縁の岐阜城・安土城は雨のなか傘での攻城となってしまった。

安土城・・・・中学生の頃、NHKスペシャルで(眼鏡を掛けた小太りのアナウンサー鈴木さん?)整備前の安土城の特集を見た記憶があ   
       る。その番組では天主の場所は現在不明、今後の調査委研究で分かってくるだろうとか何とか言っていたような気が。
       小僧の頃の記憶を思い出して感慨深いものがありました。今回ここに来ることが出来て良かった。

本日の3城は長浜城を除き100城・続100城。詳細は諸先輩方の投稿をご覧ください。

(エンディング)
今回は7日間で新規20城(うち100城・続100城は16城)巡った。城郭巡り単体で管変えると何とも効率の悪いシリーズではありましたが、残雪のサブテーマもあったので結果は上々と思っている。また少し脳内の記憶が豊かになったのではないでしょうか。

100城・続100城は義務なのか?に対してはっきりとした答えは出てきません、各々の城郭に到着した時の第一印象に温度差があったのは事実だったのですが。今後の課題として持ち送りしたいと思います。

今後も機会を作って、終活シリーズとして全国の100城・続100城を集中して巡って行きたいと思います。

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ぴーかる

木ノ浦城 (2022/05/03 訪問)

【木ノ浦城】
<駐車場他>駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>日帰り伊予海賊海城攻めの旅1城目。今回の旅はGWの天気予報とにらめっこし、様子を見ながらだったので後手になり今治の宿が空いていなく日帰り強行軍となった。
 
 木ノ浦城は瀬戸内伯方島の東方に位置した山城で1170年頃、紀氏によって築城されたらしい。紀氏は河野氏の有力な武将で承久の乱で後鳥羽上皇方として戦ったが敗れ、鎌倉方の攻撃により落城し滅亡しました。
 現地は山頂の主郭と思われるに模擬天守があり、「伯方ふるさと公園居館」になっていますが、昨年閉館になっていて中に入ることが出来ません。その下段の曲輪が大駐車場になっていて駐車場内に巨石が数個無造作に置かれているので城跡の物かとも思われます。明瞭な遺構はあまり見られず模擬井楼や模擬城門もあったらしいが既に撤去され、模擬天守にも入れず眺望もあまり楽しめなかったです。伯方港への眺めは良かったです。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

武田氏館 茨城県ひたちなか市 (2022/05/15 訪問)

館前に駐車場もあります。
甲斐武田氏の発祥はひたちなか市だそうです。
入館は無料でパンフレットもありました。
靴を脱いで上がると小規模ながらも資料が展示されていました。
隣には発祥の地とされる湫尾神社があります。
遺構は特に残っていませんが武田氏のルーツでありファンの方は一度どうぞ。

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三浦の晃ちゃん

今でも子孫の方が住んでいるようです。 (2022/05/28 訪問)

横浜市唯一の大名、六浦藩の陣屋跡地です。案内板等は一切ありません。横浜金沢シティガイドさんのウォーキングに、参加したところ、教えてもらいました。現在でも、子孫の方が住んでいるというお話でした。近くには、藩主の方の明治時代以降のお墓もあるそうですが、隣接している住宅から、大勢の、人で行くと苦情が、出るので、行かれないと言われました。陣屋に、関係の深い、蝸牛庵も、併せて載せます。

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朝田 辰兵衛

河井継之助墓所散策ついでに。 (2022/05/28 訪問)

福島県只見町の河井継之助墓所散策&只見町河井継之助記念館鑑賞ついでに登城。主郭背後に二重堀切があるハズということで,期待していたのですが,急斜面とヤブという悪条件で断念しました。雨上がりだったので,滑ったら下まで滑落し,這い上がってこれないだろうな…と思いましたので。
虎口はすぐにわかりました。主郭からはけっこう下です。大人1人分の幅に入口を狭め,内枡形という形状をとっていますが,なんちゃって感が…。これでは防御できないだろって思いました。ん~,まだ完成してなかったんだな…きっと。と,思うようにしました。
標高:546.7m,比高:220m。冬枯れの季節がオススメです。パネルから主郭まで徒歩約30分です。
すでに,蝉が鳴いてました。

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Kimoくん

大分県お城巡り その8 (2022/05/22 訪問)

今回の旅の大ラスは木下家の日出城です。二の丸館の案内所で資料を頂いて登城開始。散策図に従い本丸跡である現日出小学校のまわりを歩きました。細川忠興の縄張りによる築城で想像以上に見事な石垣と城下公園からの絶景には圧倒されました。登城終了後は大分空港のお寿司屋さんで城下カレイや関鯵の握りをつまみに一人酒で今回の大分お城巡りも無事終了!

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今井町 (2022/05/28 訪問)

 古い街並みが残る今井町の西側に「伝 織田信長公本陣跡」と石にはめ込んである「今井の環濠」の案内板がありました。
今井町を散策したかったのですが、二上山へ行った疲れと暑さでヘロヘロになっていたので断念しました。

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常光寺公園 (2022/05/28 訪問)

近鉄高田市駅より徒歩15分くらい、常光寺公園付近が城址です。石碑と案内板があります。

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大津皇子 (2022/05/28 訪問)

 万葉集に出てくる山としては知っていましたが、城址とは認識していませんでした。山城ですが、「あ」さんの投稿でハイキング道が整備されていると知り、この時期でも行けると思い登城しました。「余湖くんのホームページ」では堀切があると書かれていましたが、藪になっていてよくわかりません。段々となった削平地は曲輪の跡でしょう。
 近鉄「二上神社口」駅から登城しました。先に記載したようにハイキングコースとなっていて歩きやすい道です。この日は晴天で多くのハイカーが来てみえました。雌岳山頂に日時計がありますが、時間がはっきりわかります。大津皇子の墓を見て雄岳から雌岳へ行き、岩屋を見て祐泉寺を経由して下山しました。

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Kimoくん

大分県お城巡り その7 (2022/05/24 訪問)

観光交流プラザで資料を頂きました。現在古橋口から鐙坂が工事中で通行止めになっています。今橋門跡ルートで登城しました。もともとは臼杵湾の小島である丹生島だった面影を残していて面白いです。現存遺構の畳櫓、卯虎口門櫓はともに重箱造りです。天守台とその下の空堀、鉄門枡形石垣などが見所です。

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POYO58

ほとんど八幡宮だけど意外と遺構残ってる (2022/05/28 訪問)

1548年、織田信秀が尾張今川氏に備えて、織田信光の守山城とともに築城。織田信秀が末森城において病死すると、信長の弟の信勝が後を継ぎ、信長を攻めるが、稲生の戦いで敗れる。その後信勝が清洲城で暗殺されると末森城は落城となる。

城のほとんどは城山八幡宮ですが、周りが空堀に囲まれています。代表的に切岸や空堀、土塁が良好的に残っています。御城印は八幡宮で売っていますが、16:30までなので注意。御城印や御朱印もたくさん種類があり、全て500円でした。空堀はとても綺麗に残っていますが、木が邪魔でなかなかいい写真は撮れませんでした。

評価
遺構:3
建物:3
行きやすさ:4
全体:2

攻城時間
20分くらい

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Kimoくん

大分県お城巡り その6 (2022/05/24 訪問)

いよいよ今回の旅も最終日となりました。臼杵に向かう前に大分市内の大友氏館跡に行きました。南蛮BVNGO交流館が目印ですがちょっと迷いました。九州の名族であり西洋との交流も盛んだった大友氏ですのでかなりの規模の戦国大名館です。発掘調査と復元が進められ、庭園部分がかなり整備されています。大おもて(中心建物)の復元は大友宗麟生誕500年の2030年だそうです。

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Kimoくん

大分県お城巡り その5 (2022/05/22 訪問)

大分お城巡り2日目の最後は大分府内城。本丸跡、西の丸跡、東の丸跡が現在の大分城址公園と駐車場になっています。北の丸跡が松栄神社になります。現存の遺構は西の丸の宗門櫓と本丸の人質櫓のみですが廊下橋や櫓のいくつかの建物が復元されており平城ですので散歩がてら気軽に行けるお城ですね。資料は廊下橋などに置いてありました。「府内城ウォーキングマップ」はお城の昔と現在の位置関係がわかりやすいです。

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Kimoくん

大分県お城巡り その4 (2022/05/23 訪問)

豊後竹田から小一時間のドライブで佐伯に到着。文化会館が老朽化による解体工事中のため三の丸櫓門はくぐれず残念。歴史資料館は月曜休館で資料は後程JR駅前の観光案内所で頂くことにして先ずは登城開始。本丸の天守台へは独歩の道、翠明の道、登城の道などがありますが行きは登城の道を進みました。結構な山道ですので注意が必要です。下りは安全を考え独歩道から。

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Kimoくん

大分県お城巡り その3 (2022/05/23 訪問)

前夜は割烹丸清で中津名物の鱧料理で孤独のグルメ満喫。中津から2時間のドライブで豊後竹田の岡城へ。総役所跡の料金所からかまぼこ石を見ながら大手門跡へ、西の丸から近戸門、屋敷跡、賄方跡、籾倉跡、鐘櫓跡を経由し本丸へ到着。とにかく圧巻の石垣群に囲まれたお城の規模と見事な整備に感動しました。お城好きだけでなくたくさんの方にも満足してもらえるお城ですね。先日の千田先生の城ライブの影響で門跡では足元ばかり見ていました(笑)

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BUCHI38

土塁、堀編 (2022/05/28 訪問)

小牧山城の山麓はいくつもの曲輪が置かれ、その全体が土塁や空堀に囲まれています。この遺構は全て家康のもので秀吉からの攻撃に備えていたそうです。

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