総社神社に大きな説明板があり、ここが主郭跡かと思ったら東の端とのことでした
少し歩いたところが城跡ですが遺構はありません。
盛り土の場所がありますが立入禁止となっています。
周りを歩いたところクランクになった道路があり、なんとなく城跡っぽさは感じられます。
冒頭の総社神社ですが由緒のある神社で当日は神前の結婚式が挙げられていました。
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2022/07/17 10:10
2022/07/17 08:01
2022/07/17 07:57
2022/07/17 07:25
戦国の山城 (2022/07/16 訪問)
高根城は、標高420mの九頭合の山頂に位置し、南北朝時代、後醍醐天皇の孫尹良親王を守るためにこの地の豪族、奥山定則が築いたとされています。戦国時代、この地を治めていた今川義元公が桶狭間で討たれると、三河の徳川家康公や、甲斐の武田信玄公の勢力が及ぶところとなり、武田氏と徳川氏の争奪の地となりましたが、高根城主民部少輔貞益の時、信州遠山郷の遠山土佐守に攻められ落城しています。この頃、高根城は武田方の遠江侵攻の拠点として、大改修が行われたと考えられています。
現在の高根城は市指定史跡として、発掘調査をもとに復元整備が行われ、本曲輪には、井楼櫓・主殿(管理棟)・城門などが復元され戦国時代の山城が再現されています。
城びとの「日本100名城・続日本100名城に負けない名城」を見て、3回目の訪問を決めました。車を利用し、自宅から2時間ほどで行くことが出来、駐車場・トイレも完備されています。また、駐車場からの登山道もよく整備されています。そして何よりこれほど復元されているにも関わらず、無料なんです。(*^▽^*)
戦国時代の山城が忠実に復元され、自分が訪問した際は、朝靄がかかり今にも戦国の武者が出てきそうな感じで、戦国にふれた時間を過ごすことが出来ました。
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2022/07/17 00:23
寄り道2城目 (2022/06/07 訪問)
鬼ノ城を堪能後はどこへも寄らずに2年半ぶりの実家に向かうつもりでいたのですが、JR吉備線の「備中高松~」の車内アナウンスに体が勝手に反応し、途中下車してしまいました。
舟橋・清水宗治自刃の地(碑)・ごうやぶをまわっていると閉館15分前になったので資料館へ。アットホーム感が心地よいです。
前回訪問時は本丸へ渡ったあたりまでしか行っていなかったので、今回は首塚と胴塚へ行きました。暦は違えど6月はじめの訪問で、“その時”を思わずにはいられません。
最後に、史跡公園となっている蛙が鼻に行きました。2.7kmの堤防の東端の跡が唯一残っている場所なのだそうです。こんな良きところがあるなんて知らなかった!
予定外の訪問でしたが新しい出会いもありましたし「備中7城」制覇したいという夢も生まれ、やっぱりお城っていいなぁと思いました。
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2022/07/16 22:56
2022/07/16 22:43
2022/07/16 22:35
2022/07/16 22:27
2️⃣ 七曲り 相畑跡 (2022/07/07 訪問)
車井戸から、七曲り①を進軍すると、右手に石垣②~⑥
相畑城戸跡⑦⑧⑨ 古戦場跡らしい。土塁のような物が残っています。番所跡や井戸も残っているそうですが、見つけることは出来ませんでした。
随所に緊急連絡先が。⑩。自分のスマホは、電波が届くようです。
案内板はありますが、道無き道もあり、山城歩きに慣れていない方は、迷う可能性あり。
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2022/07/16 22:13
1️⃣ 土橋、番所跡? 車井戸 登城道 (2022/07/07 訪問)
小松山城跡(猫城主 さんじゅーろー様の居所)から、大松山城跡(おおまつやまじょうあと)に向かいます。
本格的な山城の為、装備が必要。落ち葉が積もっており、晴れていても、滑り易かったです。
本丸の【猫城主 さんじゅーろー様】の許可を得て(本丸料金を支払い)、二の丸帯郭の奥の搦手から、攻めます。①~③
すぐに土橋④を渡ります。すぐに、郭っぽい⑤⑥ここが、番所跡でしょうか?
次は登り⑦
車井戸の標注と、コンクリートの建物⑧裏に廻りましたが⑨、建物の正体は不明。
更に進軍すると、右手に石垣⑩
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2022/07/16 21:52
再訪問 (2019/07/07 訪問)
バイクは車と違ってタイヤが2本、自立の出来ない乗り物です。油断をしてしまうと倒してしまいます。何より倒した時はメンタルが崩壊して気を取り直すのに時間が掛かります。城訪問のお供の赤い2号機は重量が300kgオーバーで独りで起こすのはとても大変、今まで3回城跡で倒しています。初めて倒したのは3年前のこの城跡、気を取り直して訪問を初めたが堀切の土砂崩れで訪問不可能。踏んだり蹴ったりの城跡でその後どうにも足が向かなかった場所です。先月6/27に付近の城跡と合わせて3年ぶりの訪問。今回は無事に回る事が出来ました。
南郷城は高城・東の城・根子城・野〇城などの総称で高城が本丸となります。各々の曲輪は鹿児島特有の高い堀切で遮断され荒々しくも心地よい雰囲気を醸し出しています。写真には有りませんが切岸がほぼ垂直に近い場所もあります。石積など見る事は出来ませんが、歩き回るとあちらこちらに遺構の造形美を楽しむ事が出来ます。
所要時間1時間15分:1.6km:累計高低差121m
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2022/07/16 21:47
手作り感溢れる木製の碑 (2022/06/26 訪問)
上越線の線路沿い、畑になっている部分が城跡です。
遺構はありません。
畑の脇に木製の碑がひっそりと立っていました。
周囲も住宅地となっています。
近くの踏切が「剣城踏切」という名なのがせめてもの名残でしょうか。
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2022/07/16 20:20
歴史案内活動【令和4年7月24日(日)9:00~12:00】 (2022/07/24 訪問)
こんにちは、躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。
躑躅ヶ崎館跡の歴史案内活動を行います。
7月に入って武田神社境内の緑も色濃さを増し、
夏も本格化する季節になります。
よく甲冑姿で暑くないの?と尋ねられますが、
意外と胴鎧は通気性が良くて、風が吹くと涼しく感じます。
とはいえ、日中の活動は水分と塩分は必需、暑さ対策に気をつけて活動をしています。
暑さ対策といえば境内にある宝物殿、隣接するミュージアムなどの屋内施設、
冷房が効いた中で展示品を観るのもオススメです。
日時:令和4年7月24日(日) 9:00頃~12:00頃
参加ガイド:局長・大塚與左衛門、民部少輔(弥三郎)景政、上田絵馬之助
◆武田神社境内に今日も残る数々の城郭の痕跡を、個性豊かな甲冑ガイドがわかりやすく楽しく案内します。
◆案内時間は10分~30分、ご都合に応じて調整できます。
◆ガイドは無料です。
◆バスツアーなどの自由時間にあわせた案内も可能です。
◆雨天、COVID-19感染拡大状況等により中止の場合があります。
◆案内に先立ち検温等のCOVID-19感染対策を行っていただきます。
◆また、感染防止のため甲冑ガイドと一緒に写る記念撮影はご遠慮いただいてます。
甲冑ガイド単独の撮影は可能ですので、撮影者間の距離を保って撮影ください。
◆案内活動は武田神社様の承認のもとに行ってますが、当隊そのものは武田神社様とは無関係の有志団体なので
活動に関する武田神社へのお問い合わせはご遠慮ください。
問い合わせ、連絡は当隊公式ツイッター(https://twitter.com/KoufuSamurais)へお願いします。(E)
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2022/07/16 12:35
堀は四周を台形に巡っていた (2022/01/27 訪問)
同行者曰く「堀が半分しか残っていない」ことが強く印象に残ったそうだがかつては四周を巡っていた(北は川だが)。調べているうちに堀は絵図にある「ほぼ正方形」ではなく南が膨らんだ台形であったことにふと気づいた。
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2022/07/16 11:34
奥平氏と五平餅。 (2022/05/05 訪問)
前回 投稿した「古宮城」の次に「亀山城」攻めです。
国道301号を通ると、『道の駅 つくで手作り村』の奥に小高い山があり「亀山城」と大きな看板が手招きしてます。
1424年奥平 貞俊さんが築城しました。
奥平氏は上野国の出身です。
松平→今川→織田→今川→松平→武田→徳川と、一族を守る為に主君を渡ります。
「古宮城」は「亀山城」の奥平氏の監視の役割もあったそうで、1km位の場所で睨んでました。主君がこれだけ変われば、しょうがないのでしょうか?
実は「古宮城」攻め前に、道の駅で「古宮城」のスタンプが設置してると勘違いして寄りました。売店の方が親切に教えて下さり「古宮城」の作手歴史資料館に時間ギリギリで間に合い、スタンプを押す事ができました。
そのお礼を言おうと、道の駅に戻ると、同じ質問をしてる親子がいました。
、、、勘違い、私だけじゃないのだね。
『道の駅つくで手作り村』はバイクの方々で賑わってました。奥の「亀山城」横の駐車場は余裕で駐車できます。山城ですが公園として整備されているので歩きやすく、まさに亀山の如くです。
曲輪から国道を見下ろすと、道の駅は『五平餅』を販売してる売店が、たくさんありました。
東京の端っこに住む私は『五平餅』と言ったら群馬県だったので意外でした。群馬県のは『焼きまんじゅう』だったかな?
、、、!!
群馬県=上野国と、ざっくり考えると奥平氏が広めたんでしょうか?奥平氏は上野国出身です。
『五平餅』は長野県・岐阜県・愛知県の山間部で広まったそうです。
因みに、『五平餅』はお米を潰したもので、群馬県は『焼きまんじゅう』。小麦粉からできてます。
この辺りの小豪族の方々が、名を残す為に戦った最中に食べられたのだとしたら、と、『五平餅』で戦国の世に酔ってしまいました。
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2022/07/16 11:08
2022/07/16 09:10
関越道のトンネルの上 (2022/06/22 訪問)
県道255号線から少し入ったところに案内板があるもののここからが分かりにくい。
畑の中の細い道を迷いながらやっと到達しました。
ちょうど関越道の長井坂トンネルの上にあります。
畑の脇に車を置き、城跡に入っていくと曲輪があります。
さらに進むと追手口の標柱がありました。
そこから長い堀底道が続いていて左手に本丸。
本丸は土類に囲まれています。
本丸から堀切を挟んでさらに先には馬出。
その先、畑となっている三の丸に説明板が立っていました。
二の丸も畑ですが土塁は残っていました。
築城は不明ですが上杉謙信が関東出兵の際に着陣したとされています。
その後は真田氏、北条氏によって改修されています。
関越道を見下ろす眺望も含め、苦労が報われる城でした。
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2022/07/15 23:06
新城:鹿児島県出水市高尾野町 (2022/06/24 訪問)
今回のマイナー城跡は鹿児島ではとても珍しい平城です。新城と呼ばれていますが城館だったのかもしれません。調査報告書には詳しい記載が有りませんが遺構を探しながら十分に楽しめました。
城域半分は住宅地になっておりますが、東側には高さ3m程の土塁が100m弱の長さで残っており、それに伴って空堀が配置されています。土塁開口が当時の大手口だったのでしょう。土塁を隔てて曲輪がしっかりと残っています。また西側にも3mの土塁が残っています。その他にも主郭だったのではと思われる曲輪が1か所残っています。四方を土塁で囲われて2か所の虎口があり、井戸跡が3か所有ります。
鹿児島は400城近く訪問しましたがこのような城跡は初めてでした、もしかしたら消滅した城跡にも城館の様な場所があったのかもしれません。
先週8日の残念な事件から1週間の投稿自粛、今後も思い付きで投稿したいと思います。
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2022/07/15 21:28
九州自然歩道下山口に案内はナシ。 (2022/07/09 訪問)
伐株山の北北東より攻め上がる「九州自然歩道登山口」はわかりやすいですが,山頂側の「九州自然歩道下山口」は何気に入る感じでわかりづらいです。けれど,私以外で徒歩攻城の可能性が高いのは,にのまるさんぐらいしか思い当たりませんが…。
JR豊後森駅から九州自然歩道登山口まで,徒歩約30分。九州自然歩道登山口から伐株山山頂まで,徒歩約50分。車道だと,大きく円を描いて南側から攻め上がるので,車道を徒歩だとやたら非効率に感じます。
なお,第7土塁奥の堀切および畝状竪堀は,季節的に確認が取れませんでした。
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