宇和島城は、宇和島の中心に位置する標高約80mの丘陵に築かれた梯郭式の平山城で、最上部に本丸が置かれ、それを二の丸、藤兵衛丸、代右衛門丸、長門丸が囲んでおり、三の丸には伊達秀宗公の時代、伏見城から移築された屋敷があったとされ、17の門と33の櫓があったとされています。
宇和島城は、築城の名人として名高い戦国武将、藤堂高虎公によって慶長元年から5年の歳月をかけて築城されました。かつては大半が海に面しており、地形をうまく利用した縄張りで堀も築かれていましたが、現在は埋め立てられています。
その後、慶長20年に伊達政宗公の長男、伊達秀宗公が宇和郡10万石を拝領して宇和島城へ入城、現在残る天守は、2代伊達宗利公が城を大改修し、藤堂高虎公が岩盤の上に築いた望楼型天守から、石垣造りの天守台を持つ層塔型天守に変え築いたものが現在に残っています。また、この時に多くの石垣や櫓を修築しており、現在の姿にしています。
海城としても名高い宇和島城へは10年振り2度目の訪問です。10年前は行ったことに満足してしまい、見逃していたところが多々あり、いつか再訪しようと狙っていました。
この城の見所は国指定の重要文化財に指定されている、現存の層塔型天守です。千鳥破風・唐破風を層ごとに変化をつけた屋根が優美さを醸し出しています。また、上り立ち門は搦手口にある現存の門、桑折氏武家長屋門は家老の桑折氏屋敷にあった長屋門を移築したもので見所の一つです。
そして何と言っても石垣です。古い時代に積まれた石垣と、新しい時代に積まれた石垣が時代の流れを象徴しており、守り抜いてきたその時代の先人達のことを思うと感慨深いものがあります。
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