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チェブ

梶原 景時館になったかも? (2022/05/04 訪問)

愛知県犬山市で、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で活躍中の、梶原 景時さんのお名前に出会うとは思ってもいませんでした。

「梶原景時城」は神奈川県にありました。
景時さんが、源 頼朝さんに支える前のお話です。
平 忠盛さん(清盛さんの父)の目代として尾張に下向赴任した時、羽黒の地に光善寺(興善寺)を建立しました。
いろいろあって、頼朝さんに支えます。
頼朝さんが亡くなると、御家人から嫌われ失脚しました。
一族で、落ち延びる途中に、景時さんは討たれます。
孫の 景親さんが助かり光善寺に逃げました。
「羽黒城」を築城しました。
景時さんには、こんなアナザーストーリーがあるんですね。

「羽黒城」はアパートの裏にありました。
こちらも、竹藪と虫達に悩まされながらの城攻めです。
駐車場には新しめの説明板がありました。竹藪から城域に入る所に古めの説明板です。
入り込むと、土塁の上にいるのでしょうか?一段低い場所が、やや細長くありました。
石碑は、土塁と言うより物見台のような高い所にあります。

西日が石碑を背に、キレイです。
いやいや、石碑が西日を浴び、キレイです。
城びと なんで(*^-^*)
その後、梶原家は信長さんに支え、運命を共にします。
景時さんが討たれていなかったら、「羽黒城」付近で活躍したかもしれませんね。

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POYO58

日本初の石垣の城!? (2022/05/28 訪問)

1563年織田信長が美濃攻めの拠点として築城。その後、信晴がいた犬山城を攻めると尾張統一を果たす。そして美濃攻めで稲葉山城を落とすと、信長は稲葉山城を岐阜城と名を変え、居城としたため、小牧山城は落城。1584年、秀吉が清洲会議により信長の後継者となると、命の危険を感じた織田信雄が家康を頼ると、徳川家康は小牧山城、豊臣秀吉は犬山城で睨み合っていた。その後、小牧長久手合戦が始まり、家康が大勝利となったものの和睦により終戦。小牧山城はまたしも落城した。

山麓には比較的家康の遺構が、山頂には信長の遺構が残っています。
1.山頂
信長がつくった野面積みの石垣が残っています。石は一つ一つがものすごく大きく、詰め石が何個も積まれています。今は発掘調査によって発見された石垣を復元したものや、転落石が見れます。石垣と土塁は本丸を囲み、なかなか堅固になっています。本丸には模擬天守(歴史館)が立ち、展望台からは犬山城、岐阜城、清洲城、名古屋城が見えます。

2.山麓
家康がつくった空堀や土塁が残っています。これは小牧長久手合戦において秀吉からの攻撃を防ぐためのものだそうです。また信長の御殿跡があり、そこが最大の曲輪になっています。そに周りにも家康のものとされる堀があります。またれきしるこまきという建物があり、小牧山城の遺構や発掘調査の内容が展示されています。

評価
遺構:4
建物:3
行きやすさ:2
全体:3

攻城時間
登るルートはいくつかありますが、登るのは早ければ10分もかかりません。そんなに登らないので心配はいらないと思います。
1時間くらい

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赤い城

常照寺 (2022/05/15 訪問)

常照寺が城跡で駐車場もあります。
参道脇に吉田城の石碑が立っています。
参道の左右は曲輪ですが藪化しています。
山門の手前両側に空堀が残っています。
また、本堂裏手の墓地のところにも空堀が残ります。
元々は平安末期に大掾氏が築いた城ですが、後に江戸氏の水戸城の支城となりました。
常照寺は水戸光圀が創建した寺でなかなか雰囲気のある良いお寺でした。

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刑部

整備された公園 (2022/05/03 訪問)

散歩するにはいいところ!

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刑部

桝形虎口からの神社 (2022/05/01 訪問)

篠山神社・キャンパスが城址、石垣が魅力ですね!櫓跡にはそれぞれ標示石があります。ここの御城印は神社とのコラボで大きさ2倍値段も2倍、でも記念タオル付。

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宗春

若狭・越前攻略戦⑥福井城 (2022/05/06 訪問)

ゴールデンウィークに友人と福井県のお城を訪問しました。
福井遠征2日目の最初は、宿泊したホテルから近い福井城でした。今は福井県庁・福井県警本部になってしまっていますが、ある程度の遺構は遺されており、予想以上に楽しめました。

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宗春

若狭・越前攻略戦⑤丸岡城 (2022/05/05 訪問)

ゴールデンウィークに友人と福井県のお城を訪問しました。
この日5城目の城攻めなので、いささか疲れました。それでも頑張って、町に点在するスタンプを捺すことでイラストが完成する「重ね捺し御城印スタンプラリー」に参加して特別御城印をゲットしました。

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Kimoくん

大分県お城巡り その2 (2022/05/22 訪問)

「もり山」で中津名物唐揚げで腹ごしらえしてからお城に隣接した歴史博物館石垣シアターでビデオを見た後登城。模擬天守閣から眺めると中津城が三大水城の一つであるのが感じられます。黒田と細川時代の石垣がY字に交わるのが見られるのが二の丸公園側ですがこの時期草が茂って少しわかりにくかったです。その後は街中にのこる「おかこい山」にも行きました何ヵ所かありますがお寺の境内や住宅街なので徒歩で回るのをおすすめします。

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Kimoくん

大分県お城巡り その1 (2022/05/22 訪問)

豊後森藩資料館「わらべの里」で資料と三の丸駐車場への地図を頂きました。まずは麓の陣屋跡の庭園と栖鳳楼を徒歩で見学(途中野生の鹿に遭遇!)してから車で三の丸駐車場へ。三の丸石垣→竪堀(畝状空堀群)を経て毛利高政時代の穴太積み石垣を見ながら二の丸曲輪で一休み。いよいよ本丸に向かいますが正面虎口からのルートは現在本丸北側石垣修復工事の
ため迂回して本丸跡に到着。三の丸駐車場からの往復で30~40分くらいです。石高が少なく城持ちを許されなかった森藩久留嶋氏でしたがいざという時のため城跡のメンテはしていたとの言い伝えもあります、栖鳳楼は天守閣の趣とも。

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おぃしーぃ

一見の価値があるお城 (2022/05/22 訪問)

茅ケ崎城や小机城址と違い、交通も不便であまり有名でないですが、説明板に書いてあるように堀と土塁の組み合わせが秀逸で驚かされます。陣城とも中継地とも思える小さな城跡ですが、誰がどんな時に築いたのか、謎が多く想像を膨らませられます。横浜市周辺の歴史的価値のある城跡がほぼ全て破壊されつくされているなかで貴重な遺跡と思います。是非とも構造を分かりやすく整備して欲しいと思います。

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にのまる

小山の中に (2022/05/03 訪問)

小高い山が城址中心部だとのことで、まずは公園広場の方から登ってみました。園路も整えられ、歩きやすかったのですがあと少しで主郭というところで蜘蛛の巣に阻まれたので退却、大手口の方へまわりました。虎口、土塁、櫓台遺構が確認できましたが、竹やタケノコがたくさんでメンテナンスが大変そうです。説明板にあった井戸跡がわからなかったのですが、坂の上の手作り看板のあたりに貯水池の標柱があり、水脈がありそうでした。

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朝田 辰兵衛

6年ぶりに再訪。 (2022/05/22 訪問)

本丸御殿を鑑賞したいのと,6年前は(天守こそ登ったものの)どうも消化不良的な散策だったので,再訪計画を立ててました。ところが,最強の城に選出されたことで激混みでした…。
晴天の日曜日ということもあり,予想どおりといえば,予想どおり。
個人的には,名古屋嬢の縦巻きカール探しも合わせて実施。昨年の『お城川柳キャンペーン』で,にのまるさんが詠んだ「なごやじょう5部作」が脳裏に焼き付いていますので…<笑>。無事に1名発見しました。写真は撮っていませんが。

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にのまる

【究極の1枚】

4年前の夏、日没間際、閉城時間ギリギリに駆け込んだ丸亀城。
下山後振り返った時に目にした夕闇に浮かぶ天守の美しさはきっと一生忘れません。

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おっちゃん

前橋城今昔図 (2017/02/18 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

泉頭城復元見取図 (2017/08/05 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

石垣山城案内図 (2016/07/05 訪問)

現地案内板より抜粋。

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ふゆづき

隠れた国の史跡 (2022/05/21 訪問)

比企城郭群の一つになりますが、杉山城や菅谷館の陰に隠れている山城である小倉城を訪問してみました(。
この城が築かれたのは後北条時代で、城主は上田氏か遠山氏と伝わっているようです。
築城当時、ときがわ地区は、地域にある山林を活用した木工細工(欄間等)がさかんであったようですので、その地域防衛のために、築かれたのであると思います。

この城は、埼玉県ときがわ町と嵐山町の境界近くに位置しており、駅は遠く(最寄り駅は八高線の明覚駅。ここの観光案内所で小倉城の御城印を取り扱っています)、バス路線からも離れていることから、公共交通機関でのアクセスは難しいと思います。
車で行く場合には、嵐山渓谷を先ず目標として、その奥に進んだ処にあります。
訪問者用の駐車場は、大福寺の近くに整備されており(訪問者用のバイオトイレがあり、城のパンフレットを入れた箱もあります)、20台近くは止められると思います。
登口から、先ずは郭3に向けて登山道を進みますが、この郭3には石垣の一部が残っています。
この城の石垣は板状に割れた比較的薄い石を積み上げたものであり、高さはそれほど高いものではありません(せいぜい3~5メートルくらい)。この郭3から郭1(本郭)に向かう道は二つに分かれており、左に進み切通にかかる木橋(今は通行止)、虎口を経由してアクセスする方法と、右に進んで枡形虎口を経由してアクセスする方法があります。
いずれの虎口も比較的状態は良く、郭1の周囲を形成する土塁とともに、良く遺構を残しています。
郭1と郭2の間には、クランクを伴う大堀切がありますが、今は枯木で埋もれており、少しわかりづらい状況です。
また、郭2にも虎口と土塁が残っていますが、ここから眼下に小川町の集落を望むことができます。
ここまで述べた郭1~郭3がこの城の見所の中心になります。
年長者とともにゆっくり見たので、攻城時間は約90分。戦国時代の関東では珍しい石垣の残る城で、整備が進んでいるところですので、訪問する価値はあるように思います。

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【究極の1枚】 (2022/05/21 訪問)

自分ちの畑から見る楯岩城です。西側は平地からすっくと山が立ち上がり、山体の容積感も適度で、こどもの頃から、とても好きな景観です。花崗閃緑岩の山体を大津茂川が浸食して急斜面を作り、氾濫原が麓までの小さな平野を作っています。
小城小次郎さんの楯岩城投稿とかぶりました。整備ボランティアを募集する地元紙ではご指摘のように土塀跡とありました。

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小城小次郎

尼子詮久がここにいたかもしれないのだそうだ (2022/01/09 訪問)

以前は迷いやすいお城だったようだが近年登城路が整備され格段に行きやすくなっている。赤松氏一族の広岡氏の城だが尼子詮久が播磨侵攻時にここに入った可能性もあるとか。白い土塁はもしかしたら土塀だったのではなかろうか。

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todo94

県内の城めぐり2022㉔ (2022/04/07 訪問)

山家城同様、9年ぶり2度目の攻城だというのにこれまた山家城と同様、獣よけフェンスのすぐ右手に伸びる登城路に気付かず、舗装された林道を延々と進んでしまいました。体力と時間を無駄に消耗してしまいましたが、林間に石積や大量の石を見つけることが出来て改めてこの城のすごさを実感することが出来ました。9年前、同時に初攻城したときは林小城、山家城より下の評価でしたが、今回は桐原城に最も魅力を感じました。ただ、同じゴールデンウイークの時期の攻城なのに葉がずいぶん茂ってしまっていて石垣の写真は前回のほうが撮影しやすかったかな。降雪を避けつつ冬枯れの時期の攻城をお勧めします。この城も山家城同様、小笠原氏城跡として長野県史跡に指定されていますが、国史跡に指定されるだけの価値はあると感じます。

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