防己尾城は日本で一番大きい池、湖山池の西側に東に突き出た岬に築かれて居ます、鳥取城鹿野街道から県道21号線を西進、吉岡温泉入口を過ぎて温泉宿泊施設レーク大樹方向、末恒伏野方向北進、ほどよく行くと突き出た岬、案内板がある、南北に尾根が有り中間の平地に駐車場完備。
母の49日法要の為、帰省し法事が明けた翌日、レーク大樹に泊まって居ましたので、約1km程の所に在る防己尾城跡を久しぶりに訪ねました。
中学の頃先生によく鳥取城合戦の話、鳥取城側の武将の話、特に吉岡将監が秀吉の馬印千生瓢箪を奪った話とか授業中に聞いており、久しぶりの懐かしい城郭です。
現在は公園化されて居り散策路も付き歩き易い、北側の尾根が城郭域の様で頂上が削平整備されて本丸かな?城名石碑が立って居り、案内解説板も有ります、東先端は出丸か?現在展望台の様です、南側尾根は公園散策路が付き頂上は削平広場と成って居る、案内板に本丸・二の丸・三の丸・町屋と記載されて居ましたが、本丸以外よく分かりません、北側に船着場ともあり湖山池をよく移動して居たのでしょう。
防己尾城は天正9年(1581年)の鳥取城合戦攻防で秀吉の馬印千生瓢箪を奪った時が花の時期で、鳥取城落城時に鳥取方亀井茲矩によって落城して居ます。
朝露にやぶ椿が濡れて咲いて居ました、落ちた椿は絨毯の様、やぶ椿は群生ししっとりと綺麗です、早咲きの山桜は花を咲かせ始めの様で、桜と椿良い環境です。
レーク大樹に戻り伝説湖山池長者の像が金ぴかで池端に立って居ましたので撮影、伝説では湖山池は昔田圃で湖山長者の田圃でした、一日で全部植えたいと思って居ましたが後少し陽が沈み出来ない処、長者は太陽を扇で迎え戻し田植えをし終えましたが、翌日起きると田圃は一面の池に成って居たとの話です。
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