つづらおじょう

防己尾城

鳥取県鳥取市

別名 : 亀山城、吉岡城
旧国名 : 因幡

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城址碑
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みんなの口コミ

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しんしんちゃん

羽柴秀吉相手に善戦するも兵糧攻めで落城。 (2019/05/02 訪問)

防己尾城は湖山池に突き出た丘陵上に築かれていて東西二つの尾根があり東に二の丸、西に本丸が築かれています。本丸の先は出丸になっており見張台の役割をしていたようです。
天正6年頃、吉岡将監定勝によって築かれたとされています。天正9年・羽柴秀吉の鳥取攻めの際に吉岡将監および舎弟右近らが毛利方として籠城し秀吉と対峙します。天正9年7月羽柴方の多賀文蔵は将監に攻められ旗指物を奪われます。文蔵は秀吉に願い出て防己尾城攻撃の先陣を務めますが城内からの一斉攻撃を受け討死します。戦上手の将監に秀吉も苦戦を強いられますが得意の兵糧攻めにて落城させたとのことです。将監は毛利氏のもとに逃れた後、因幡に戻って帰農したとされています。
将監の活躍は後世に盛られた部分もあるようですが秀吉が兵糧攻めにするほどの強敵であったことは確かだと思います。

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カズサン

秀吉馬印を奪った吉岡将監の城 (2009/03/21 訪問)

 防己尾城は日本で一番大きい池、湖山池の西側に東に突き出た岬に築かれて居ます、鳥取城鹿野街道から県道21号線を西進、吉岡温泉入口を過ぎて温泉宿泊施設レーク大樹方向、末恒伏野方向北進、ほどよく行くと突き出た岬、案内板がある、南北に尾根が有り中間の平地に駐車場完備。

 母の49日法要の為、帰省し法事が明けた翌日、レーク大樹に泊まって居ましたので、約1km程の所に在る防己尾城跡を久しぶりに訪ねました。
 中学の頃先生によく鳥取城合戦の話、鳥取城側の武将の話、特に吉岡将監が秀吉の馬印千生瓢箪を奪った話とか授業中に聞いており、久しぶりの懐かしい城郭です。

 現在は公園化されて居り散策路も付き歩き易い、北側の尾根が城郭域の様で頂上が削平整備されて本丸かな?城名石碑が立って居り、案内解説板も有ります、東先端は出丸か?現在展望台の様です、南側尾根は公園散策路が付き頂上は削平広場と成って居る、案内板に本丸・二の丸・三の丸・町屋と記載されて居ましたが、本丸以外よく分かりません、北側に船着場ともあり湖山池をよく移動して居たのでしょう。
 防己尾城は天正9年(1581年)の鳥取城合戦攻防で秀吉の馬印千生瓢箪を奪った時が花の時期で、鳥取城落城時に鳥取方亀井茲矩によって落城して居ます。
 朝露にやぶ椿が濡れて咲いて居ました、落ちた椿は絨毯の様、やぶ椿は群生ししっとりと綺麗です、早咲きの山桜は花を咲かせ始めの様で、桜と椿良い環境です。

 レーク大樹に戻り伝説湖山池長者の像が金ぴかで池端に立って居ましたので撮影、伝説では湖山池は昔田圃で湖山長者の田圃でした、一日で全部植えたいと思って居ましたが後少し陽が沈み出来ない処、長者は太陽を扇で迎え戻し田植えをし終えましたが、翌日起きると田圃は一面の池に成って居たとの話です。

 

 

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ぴーかる

防己尾城 (2019/08/10 訪問)

【防己尾城】
<駐車場他>登城口に無料あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪

<感想>米子御城印取得と鳥取県の攻城の旅4城目。鳥取市周辺は何度も来ているのにもかかわらず、湖山池も「なんか湖あるなあ」くらいにしか思っておらず、まして池の東西に城跡があるとは知らなくて、今回の旅の下調べで初めて知った。
 
 防己尾城は气水湖である湖山池の西の端の半島にある平山城。秀吉の鳥取城攻めの時は毛利方の吉岡定勝という武将の居城で、秀吉が3度攻めて来ても守りぬいた。特に3度目は千成瓢箪の馬印を打ち捨てて逃げる程の大勝利だったそう。その後兵糧攻めに切り替えられて落城した。
 城跡は少し広めの主郭以外目立った遺構はなくて、登城途中に僅かに曲輪があり、湖側の展望台も小山で出丸のような曲輪になっていた。竪掘や堀切も見当たらなく堅守さは感じられなかったので吉岡定勝の名将ぶりが感じられた。知らない武将でしたが少し好きになった。

<満足度>◆◆◇

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国重

防己尾城 (2019/08/16 訪問)

吉岡将監定勝が築城したといわれる。城郭は本丸・二の丸・三の丸とそれに取り囲まれた町家とから構成されており、北側には船着場が設けられていた。【城址案内板より抜粋】

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 吉岡定勝
築城年 天正年間(1573〜1592)
主な城主 吉岡氏
廃城年 天正9年(1581)
遺構 曲輪、土塁、竪堀、切岸
住所 鳥取県鳥取市福井