防己尾城は湖山池に突き出た丘陵上に築かれていて東西二つの尾根があり東に二の丸、西に本丸が築かれています。本丸の先は出丸になっており見張台の役割をしていたようです。
天正6年頃、吉岡将監定勝によって築かれたとされています。天正9年・羽柴秀吉の鳥取攻めの際に吉岡将監および舎弟右近らが毛利方として籠城し秀吉と対峙します。天正9年7月羽柴方の多賀文蔵は将監に攻められ旗指物を奪われます。文蔵は秀吉に願い出て防己尾城攻撃の先陣を務めますが城内からの一斉攻撃を受け討死します。戦上手の将監に秀吉も苦戦を強いられますが得意の兵糧攻めにて落城させたとのことです。将監は毛利氏のもとに逃れた後、因幡に戻って帰農したとされています。
将監の活躍は後世に盛られた部分もあるようですが秀吉が兵糧攻めにするほどの強敵であったことは確かだと思います。
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