【東条城】
<駐車場他>東条城跡駐車場3台程
<交通手段>車
<見所>曲輪
<感想>日帰り少し涼しくなったので伊勢湾ぐるり平山城行けるかな旅3城目。現地説明板(かなり細かく書かれている)を要約すると東条城は1222年頃、足利義氏は三河守護職となり3男義継が吉良荘東条を譲られ東条吉良氏の祖となります。12代持広は松平清康の妹を娶り清康が守山崩れで不慮の死を遂げた際には遺児の竹千代(家康の父・広忠)の親代わりとなり松平家を助けます。桶狭間の戦いの後は松平家康は信長と同盟したため、吉良氏・今川氏と戦い14代義昭の時に家康に攻められ落城します。落城後東条城は松平家が入城します。1581年松平家忠の時には無嗣な為に家康の4男忠吉が後嗣となりますが1607年に没したために城は廃城となりました。一方、吉良氏は関ケ原の戦い後に家康が13代義安の子・義定を旗本に取り立て高家吉良氏として再興します。ちなみに義定のひ孫にあたる人物が忠臣蔵で有名な吉良義央にあたります。
城跡は比高の比較的低い丘城といった感じで、主要部は主郭、八幡社のある二の丸、主郭下段の三の丸の3つの曲輪で構成されています。主郭は広い曲輪で東隅に櫓台、東南端に搦手門枡形虎口跡、北東辺に大手門跡と礎石の残る物見櫓跡と石積み土塁跡があります。堀切が無く、表面観察では傾斜面に竪堀等の遺構が見られなかったので、すごい防御性がある城ではなかったように感じた。
<満足度>◆◆◇
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