とうじょうじょう

東条城

愛知県西尾市

別名 : 東条城
旧国名 : 三河

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ぴーかる

東条城 (2024/09/23 訪問)

【東条城】
<駐車場他>東条城跡駐車場3台程
<交通手段>車

<見所>曲輪
<感想>日帰り少し涼しくなったので伊勢湾ぐるり平山城行けるかな旅3城目。現地説明板(かなり細かく書かれている)を要約すると東条城は1222年頃、足利義氏は三河守護職となり3男義継が吉良荘東条を譲られ東条吉良氏の祖となります。12代持広は松平清康の妹を娶り清康が守山崩れで不慮の死を遂げた際には遺児の竹千代(家康の父・広忠)の親代わりとなり松平家を助けます。桶狭間の戦いの後は松平家康は信長と同盟したため、吉良氏・今川氏と戦い14代義昭の時に家康に攻められ落城します。落城後東条城は松平家が入城します。1581年松平家忠の時には無嗣な為に家康の4男忠吉が後嗣となりますが1607年に没したために城は廃城となりました。一方、吉良氏は関ケ原の戦い後に家康が13代義安の子・義定を旗本に取り立て高家吉良氏として再興します。ちなみに義定のひ孫にあたる人物が忠臣蔵で有名な吉良義央にあたります。
 城跡は比高の比較的低い丘城といった感じで、主要部は主郭、八幡社のある二の丸、主郭下段の三の丸の3つの曲輪で構成されています。主郭は広い曲輪で東隅に櫓台、東南端に搦手門枡形虎口跡、北東辺に大手門跡と礎石の残る物見櫓跡と石積み土塁跡があります。堀切が無く、表面観察では傾斜面に竪堀等の遺構が見られなかったので、すごい防御性がある城ではなかったように感じた。

<満足度>◆◆◇

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T-Shionoya

吉良の東条城 (2024/01/27 訪問)

前回投稿した本證寺訪問の後、近くでの用事を済ませて訪れた愛知県西尾市の東条城。

当時の矢作川を挟み、吉良荘西側の西条(西尾)城に対する東側の拠点。
幡豆山地麓の比高約20mの小山に築かれた城で、南側は湿地に守られていた模様。

築城時期は定かでないが、鎌倉初期に三河守護に就いた足利義氏が三男吉良吉継を置いたことが始まりとされ、以後16世紀中頃まで東条吉良氏が継承してきた居城。
家康時代になると三河一向一揆の後に松平家忠と松井忠次が入り、1580年代始めに廃城となりました。

現在は帯曲輪から本丸に掛けて古城公園として整備され、二の丸は八幡社に。
以前は本丸に城門と物見櫓が復元されていたが、老朽化により撤去されたとのこと。

実際に訪れると、予想よりも城跡らしい城跡。
2つの冠木門が設置されており、本丸虎口の土塁も復元でしょうか。
二の丸北東部には土塁跡、本丸北東隅の藪の中にも小さな土塁だか櫓台だかの跡が存在。

滞在時間は1時間弱。
吉良の小さな城が、私の城郭巡りの173城目となりました。

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じゅんじん

城納め (2023/12/31 訪問)

二の丸の神社ではお正月の準備をしていました。

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小城小次郎

キラーコンテンツ (2023/01/23 訪問)

東条吉良氏が拠ったこのお城には模擬櫓や模擬城門も設けられたが老朽化で撤去され朽ちかけた柵のみが廃城の趣を湛えている。せっかく吉良というキラーコンテンツがあるのだからもう少し上手く活用できなかったものか。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 足利義氏
築城年 不明
主な城主 吉良氏、松平氏
廃城年 天正9年(1581)
遺構 曲輪、土塁、横堀
再建造物 模擬櫓門、模擬櫓、石碑、説明板
住所 愛知県西尾市吉良町駮馬字城山(古城公園)
問い合わせ先 西尾市観光協会事務局
問い合わせ先電話番号 0563-65-2169