船岡山と呼ばれる小丘に位置する丘城で、平安中期に瀬戸道明寺が築いたとも、鎌倉初期に土岐氏が築いたとも云われますが、詳細は不明です。室町中期には高木氏の居城となりましたが、小牧長久手の戦いでは徳川・織田方についたため、戦いの後に退去しています。その後、関ケ原の戦いに際して石田三成の命により改修されるも、東軍についた松ノ木城の徳永寿昌の攻撃を受けて落城し、廃城となりました。現在は小学校の敷地になっていますが、校舎の裏手に土塁に囲まれた主郭の遺構が見られます。
2月の輪中の城めぐりの際に訪れるも、土曜の早朝でもあり校門が閉ざされていて諦めたことがあったので、再挑戦してみました。同じく土曜ながら今回は昼過ぎのためか校門が半分ほど開いていたので入らせてもらい、見学の許可を得ようと校舎に向かう途中、グラウンドの手前に駒野城跡の説明板が立てられていました。校舎前に着いても電気は点いておらず、校舎内に誰かがいる様子もありません。校舎外にいるのかな? と校舎裏手に回り込むと、裏山に続く道と虎口らしき開口部が! 吸い寄せられるように虎口を抜けると、三方を土塁に囲まれた主郭が広がっていました。
主郭を見学した後、校舎の周りをもう一周してみましたが、やはり誰にも会わず、やむなく校門に戻ると、来た時には半分開いていた校門が閉まっていました。どうやら行き違いになってしまったようです。…ということで、結果的に無断で校内に侵入した形になってしまいましたが、誓ってやましいことはしていませんので、どうぞご容赦ください。
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