出水城は現在立ち入り禁止になっているのですが
出水小学校が出水麓の仮屋跡として、仮屋門が現存しています。
江戸時代、各国は支城を持つことを禁じられていましたが
薩摩藩は各地に代官所(麓)を置くことを口実に詰めの城をいつでも使えるようにして
いざという時に備えていたと言います。
いわば薩摩藩自体が独立した軍事国家の体制をとっていたと言ってよいでしょう。
薩摩の入り口にあたる出水はとくに若い武士たちの教育に熱心であり
勇敢で実直な薩摩隼人としての資質をよく備えていたと言います。
出水麓にはいくつか武家屋敷が残っていて、特に税所宅には面白い指向が施されています。
屋敷の壁が赤いのは薩摩藩が密貿易で富を得て、その富で海外から輸入した高級な顔料を
壁に使用しているからだそうです。べんがる壁‥というらしいですよ。
ほかにも床下に通じる隠し通路があったり、屋根裏に秘密の部屋があったり
まるで忍者屋敷のようです。
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