吉田城検定問題集。無料配布が
来週
6月1日火曜日から
本丸跡、黒鉄櫓にてあるそうです
絶対手に入れたい!
豊橋市役所家観光振興課、やるな\(//∇//)\
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検索結果・・・「」を含む投稿
2021/05/29 23:52
検定問題集ですと⁉︎
吉田城検定問題集。無料配布が
来週
6月1日火曜日から
本丸跡、黒鉄櫓にてあるそうです
絶対手に入れたい!
豊橋市役所家観光振興課、やるな\(//∇//)\
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2021/05/29 22:30
勝頼公慰霊の本丸、本丸編 (2013/03/29 訪問)
本丸は結構広い、周囲に土塁が囲み、蔀の構、馬出虎口で守りは十分、立地は釜無川の東側の七里岩岸壁上の丘陵台地で西側は完璧な守り、南には大型の大手馬出、三日月掘りで守り、北側は濠と湿地帯、東側も水堀が守り南大手側までを護ってます。
本丸内部には現在、新府藤武神社が鎮座、その北の土塁基壇上に勝頼公の石祠、木製の墓標勝頼公霊位の社に成っている、両脇には木製の墓標が13武将の霊位を祀ってる。
案内説明板には勝頼公が天目山で嫡男、夫人と自刃し武田源氏は命脈を断ち、後に地元民が国主の恩徳を追慕し新府城守護神・藤武神社北西の地に石祠を建立し貞享・元禄の頃(1684年)、勝頼公の心霊を納め之を祀り勝頼神社と称し、毎年卒去の当日に慰霊祭を執り行ってるとあります。
長篠合戦の敗北後天正9年(1581年)新府城を築き数か月居城して織田軍の侵攻に火を放って天正10年(1582年)初めに退去、小山田氏の岩殿城に退き小山田信茂に裏切られ自刃しますが、これを真田昌幸の進言で岩櫃城に籠り真田軍とのゲリラ戦で3ヶ月耐えたら本能寺の変も無かったかもしれないし、武田家も存続の道が有ったのではないでしょうか?
また新府城での攻防戦も見たかった、守りはどうだったのか?と興味の有る所です。
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2021/05/29 20:25
肝心の丸馬出見忘れ、登城路編 (2013/03/29 訪問)
県境を越えての城探訪が憚られる昨今です、暫く過去の登城編でご勘弁ください。平成25年3月末の桜の甲府城復元鉄門探訪を終えて韮崎市の新府城へ初登城です。
駐車場:新府城北側東の専用駐車場、道沿いに在ります、砂利舗装、台数には余裕有。
探訪ルート:専用駐車場⇒東出構目視⇒本丸登城階段(登らず見るだけ)⇒帯曲輪登城路⇒大手門⇒三の丸⇒二の丸馬出⇒本丸、藤武神社、本丸土塁、蔀の構、勝頼公墓標石祠、北側の眺望、八ヶ岳⇒二の丸⇒北側の東、西出構、東堀、中堀、湿地帯、西堀⇒北側の土塁、帯曲輪⇒搦手口、枡形、七里岩岸壁を望む。
概要、感想:駐車場からはすぐ近くに東出構に目に入りここも特徴の一つ、本丸階段は私には厳しいので、帯曲輪登城路を登る、新府城の縄張図をよく認識理解して無かったので、新府城の一番の見所、大手丸馬出、三日月堀を登城路そのままの登った為見逃して仕舞い残念でなりません、南大手門の看板だけしか写してません、造りが大きく見応えも有りますが遺構と自然の境が登城路を歩いてるだけでは良く分かりません、標識看板だけで無く、遺構毎に解説板を備えて頂ければありがたい、また推薦登城探訪ルートの案内図も有ればありがたい。
甲府に比べ標高が高いのか桜は甲府は満開、新府城はまだちらほら咲、桃の花もまだまだ、桃源郷はもう少し時期は先の様でした。
登城路編は登城路と本丸手前までの写真を投稿します。
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2021/05/29 19:05
説明板の立ち位置がおかしい (2021/05/22 訪問)
東武大平下駅から徒歩で30分。
民家の脇に石碑と説明板がありました。
が、説明板の真ん前に石碑という。
説明読むのにも微妙な感じです。
石碑の側から空堀があり、奥には土塁も残っています。
ほとんどが宅地と農耕地になっていて歩き回るのには気が引けました。
小山宗長が築城、小山城の支城とされています。
戦国期には皆川氏、佐野氏、北条氏、結城氏の拠点となりました。
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2021/05/29 17:13
久松山山頂の山上ノ丸の石垣 (2016/07/17 訪問)
コロナで県外の城に行く事ができておらず、過去のもので失礼します。
山麓の山下ノ丸の投稿が多いですが、山頂の山上ノ丸も素晴らしいと思いますので投稿させて頂きます。
中坂ルートで登りましたが、急な坂道で夏でしたし、かなりきつかったです。
本丸周りの石垣が、よく残っていました。
本丸の直ぐ南下の石垣は修復されているようにも見えましたが、腰曲輪や天守台の周りの石垣は当時のままのように思え見応えがありました。
本丸からは秀吉が鳥取城攻めの際に本陣とした太閤ヶ平が見えました。
天守台からは、鳥取砂丘と日本海まで見えて絶景でした。
一番東側の十神砦まで行くと、石垣と堀切で組み合わされた枡形虎口のような珍しい防御施設が見られました。
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2021/05/29 16:55
2021/05/29 15:22
2021/05/29 10:18
伊豆に残る北条の土の造形 (2021/05/03 訪問)
伊豆半島の付け根に広がる田方平野。
その南東部にちょこっと突き出た天ヶ岳の北尾根が韮山城。
天城から北上する狩野川が沼津へ流れ、下田街道が平野部から山道に切り替わる伊豆の入口的な要衝。
室町中期には、狩野川の対岸に鎌倉公方の後釜として堀越公方が設立されたエリアでした。
その堀越公方の時代から砦があったのかもしれませんが、韮山城を築いたのは足利茶々丸を攻め伊豆を平定した北条早雲こと伊勢宗瑞。
本拠が小田原へ移った後も北条氏の主要拠点の1つとなり続け、秀吉の小田原攻めでは山中城が早々に落城したのに対し、天ヶ岳の各尾根に築いた砦群と連携し3か月間持ちこたえた城でした。
さて訪問時は午前に伊豆パノラマパークのロープウェイから天ヶ岳を確認し、午後から韮山城へ。
現在の韮山城は半分が高校となっており、城池側から入城。三ノ丸と権現曲輪の土塁は高く見応えがあり。
三・二・本の曲輪は1階ずつ階層が上がるつくりで、物見台のような本丸からは愛鷹山と箱根が見渡せました。
ここから城主氏規は秀吉の大軍(織田信雄、蒲生氏郷、細川忠興など)が迫ってくるのを確認したのでしょうか。
一旦、入城口を出て城池沿いを南へ歩くと、立派な堀切があるので必見。
お城巡りの106城目となった韮山城。
個人的には静岡東部で最も満足感の高いお城かな。
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2021/05/28 23:50
お堀だけでもう幸せ (2021/05/18 訪問)
家康公出生でおなじみの岡崎城🏯
有名なのが青海堀ですが石垣が湾曲していてかなり特徴的です🙆♀️(いつか降りてみたい)
岡崎城は天守閣(中は博物館のような感じ)もありますが、個人的にはお堀や石垣だけでもじゅうぶん楽しめます(笑)
敷地内には家康公産湯の井戸もあります👶🏻
隣接する龍城神社では御籤も引けますし、三河武士のやかた家康館は関ヶ原の戦いがジオラマで見れたり、今は期間限定で浮世絵展やってるのでオススメです👌
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2021/05/28 22:40
2021/05/28 17:38
2021/05/28 16:44
2021/05/28 16:30
丁子屋 (2021/05/28 訪問)
他の方も投稿されていますが、丸子宿といえばとろろ汁が有名です。丁子屋さんは丸子城近くにある江戸時代初期(慶長元年創業)から400年以上続く、静岡で最古のとろろ汁の店です。広重の東海道五十三次、芭蕉の俳句、十返舎一九の東海道中膝栗毛にも登場する、丸子宿のとろろ汁。近くに行く機会があれば立ち寄ってみてください。丁子屋の前には徳川家康が駿府城築城のときに石垣を作るために、この周辺から切り出したと伝わる辰石があります。「東海道中膝栗毛」では丸子のとろろ茶屋で夫婦げんかに巻き込まれて、とろろを食べそこねた弥次さん、喜多さんのエピソードが書かれていますが、自分は食事はしましたが、料理の写真を撮ることを忘れました。
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2021/05/28 01:19
光秀の法要
明智城跡の麓の天龍寺で光秀の命日、6月13日に法要が予定されています。
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2021/05/27 21:12
城跡を活用しての再利用を心待ちにしている (2021/02/27 訪問)
学校の敷地となり、更に学校が閉鎖されたことでいよいよ入るのが至難の城となった。遺構は綺麗に残っているようなので、いつかは城跡を活用しての再利用を図ってもらえることを心待ちにしている。
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2021/05/27 19:46
2021/05/27 11:15
高石垣と復元諸門 (2013/03/29 訪問)
平成25年3月末に木造復元鉄門を主目的に登城しました、先に鉄門編、天守台編、稲荷櫓編と投稿させて頂きましたが、まだまだ甲府城の見所は沢山有りますが投稿写真10枚に合わせるため甲府城の稲荷曲輪、数奇屋曲輪の東面高石垣と木造復元された居る諸門の内、内松陰門、稲荷曲輪門、山手門を選んで写真投稿致します。
朝八時前から鉄門渡櫓、稲荷櫓の開館時間を経て約2時間ぐるっと一周半、充分に甲府城を堪能しました、復元建物の度に訪れ、出張の度、プライベートの旅行と拾数回訪れていますが何時も何時も新鮮な気分で登城出来ます。
今後の更なる復元が進展する事を応援し祈って居ます。
この後は新府城、山高神代桜へと探訪に出発しました。・・長々とご覧いただき有難うございました❣
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2021/05/27 06:56
浄福寺城方面へ脱出 (2021/05/01 訪問)
昨年大みそか以来の訪問です。夏が来る前に、気になっていた搦手道を制覇しておこうと出かけました。
とりあえず新道から登って本丸へ。登頂の証に城址碑にタッチし松木曲輪を覗いてから八合目の柵門跡まで引き返しました。
事前に見ていた地図ではここから陣馬街道の松竹橋までは約2㎞、60分。まあまあの覚悟はいるかな?とは思いましたがひたすら下っていけばいいはずなので前進あるのみ。この石は遺構か?とか、この段差や平場は曲輪の跡か?とか、どこから攻められる?とか、上杉景勝軍はここから?とか諸々真剣に考えるのは今回はナシで、脱出できたらOKの予定。(と書くと危ないところのようですがハイキングコースです。)
進み始めてわりとすぐにかわいい矢羽根の道案内がありました。左が松竹で、右は松姫の心源院方面。右の道も捨てがたいのですが予定通り左へ。あとはホントに踏み跡のある道っぽいところを進んで30分足らずで林道から住宅地に抜けられました。途中、脇道に入ると滝が見られるところもあるようでしたが道が整備されていないと書いてあったので寄りませんでした。住宅地に出てからさらに15分ほどで陣馬街道に出ましたが、ここが八王子城と浄福寺城をつないでいる道かと思うと稲荷神社やそのそばの空き地、畑や墓地の盛り土も城の一部だっただろうなとなかなか感慨深く、歩いてみてよかったなぁと思ったのでした。
しかし、ここから高尾駅まで戻るのがちょっと面倒で…。歩数稼ぎに(‼︎)歩道を延々と歩きましたが、八王子城に戻って(下山した道を再び登るか心源院からのコースを行くかして)旧道から下るのもアリだったかもと思いました。
これまでの訪城で、御主殿とその周辺、本丸、詰城、富士見台、新道、旧道、搦手道、北条氏照と家臣の墓所に行けて、あとは太鼓曲輪だ…と思っていましたが、外郭まで含めると相当広くてまだまだ行ってみたいところもあるし、この日見上げた浄福寺城はこれまでに行った城びと登録都内城址77ヶ所のうち唯一途中断念で消化不良なところ。ぼちぼちと少しずつ行ってみようと思います。
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2021/05/26 22:48
整備された公園 (2021/05/22 訪問)
東武宇都宮線の壬生駅から徒歩で15分くらい。
城址公園として整備されています。
足利銀行のところが大手門跡、そこから公園に向かいます。
公園には復元された二の丸門があり、マンホールカードの図柄にもなっていました。
本丸には図書館や歴史資料館があり、南側に土塁や堀が残っています。
公園として整備されているため綺麗すぎ感はありです。
壬生町は城よりも藩校、蘭学の歴史推しでした。
宇都宮氏家臣の壬生氏が築いた城です。
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塩沢城 (2021/05/25 訪問)
小鹿野町コミュニティバスの「午房」バス停付近の道、和千葉・塩沢方面の案内板が示す道、「林道塩沢線」を進入します。途中、「宇賀神社・入口」の案内板があるので、それを左折します。道の最後に宇賀神社・奥院の赤い鳥居の前に駐車場があります。
祠の後に登山道があり、山頂まで一時間弱、ひたすら登山することになります。途中から明確な道が無くなります。必ずGPSを持参してください。
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