こやまじょう

小山城

山梨県笛吹市


旧国名 : 甲斐

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東に位置する虎口
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イタさん

下草が枯れた時季が良い (2025/08/26 訪問)

 説明板には、天川に面した崖の上に造られた城で、室町から戦国時代の城跡である土塁と空堀を巡らしたほぼ方形の形状で、土塁は最大5メートル、虎口は東にあり両脇に石組みが残っている。南辺の土塁中央部が大きく崩されているが、虎口があったとされ、土塁隅には櫓があったと考えられる。空堀の幅は東辺で8メートル、南辺と西辺が15メートル、崖となる北辺は幅の狭い横堀となっている。土塁の西10メートルに「ごんぱち塚」と言う塚がある。
 宝徳2年(1450)に小山城主・穴山伊豆守信懸(ノブトオ)が小石和の武田信重を攻めたとの記録がある。大栄3年(1523)に南部下野守に攻められ落城し、穴山伊予守信永は常楽寺で最期を遂げた。武田氏滅亡・本能寺の変後の甲斐国をめぐる徳川・北条の争乱では、鳥居元忠が騎馬130騎、雑兵600人で守る・・・。と記されている。
 土塁法面、空堀には雑草が生い茂り、土塁の上(南東・南西・北西)に東屋が建つが、腰より高い草で一ヶ所登ったのみ。

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朝田 辰兵衛

勝山城(甲府)より,徒歩約80分で🐾 (2024/01/07 訪問)

勝山城(甲府)より,徒歩約80分で小山城に到着しました。とくにストレスフルなところもなく,休憩ナシで一気に向かいました。
うれしいことに,普通なら発見しないであろう看板を住宅街で発見しました。小山城の南西約500m付近です。さらに約300m先には,セブンイレブンがあります。こういう発見はホッコリしますネ…。写真の最後に入れておきます。

ぴーかるさんへ。
残念石の刻印ですが,「桐文」は間違いないと思います。「たつ己 き十七」については,積む場所を指しているのかな…と思いますが,「十」が「千」や「チ」に読めなくもないので自信がありません。場所が大坂城内ということもあり,解説板の設置を希望します。

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しんちゃん

土塁の三方に櫓台があったのではないか。 (2023/11/25 訪問)

小山城は笛吹川の支流の南の丘陵上に築かれていて、すぐ近くまで車で行くことが出来ます。約72m×約55mの郭の周囲を高い土塁で囲った館のような構造で土塁の周囲を北側から西を周って南側まで堀が囲みます。長方形の郭の長編を縦側として西に40度ほど傾けた配置になっていて、南西側に大きな間口があり、虎口は南東に付いていて案内板も建っています。
土塁は高いうえに幅も厚く、東側を除く三方の隅部に東屋が建っていて、櫓があったことを示唆しているようにも見えます。城の東と北東側には堀が無く、代わりに帯郭のような扁平地がありました。
いささか古い造りの城ですが、穴山氏の城とされていて大永3年(1523)に城主・穴山伊予守信永は南部某と花鳥山で戦った後に小山城で防戦しますが常楽寺まで落ち延び自害したそうです。
そのため「一に花とり二に小山三につらいは常楽寺」という童謡がのこっていたそうです。(甲斐国志)

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赤い城

冬が良かったかも (2023/05/28 訪問)

果樹園の中に城跡があります。
南東側の虎口に説明板と石碑が立っていました。
駐車スペースも有りです。
単郭で周囲を土塁が囲み、その外側には空堀が巡っています。
ただやはりこの時季、下草の勢いは半端無く歩くのは断念しました。
堀底道歩き隊としては冬季に再訪したい城かな、と思いました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者 穴山信永、鳥居元忠
主な城主 穴山氏、鳥居氏
廃城年 天正10年(1582)
遺構 曲輪、土塁、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 山梨県笛吹市八代町高家
問い合わせ先 笛吹市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 055-261-3342